第4話 ジィン
(他の方法を、探す……だと?)
カナンがにっこり笑って踵を返すのを見て、ジィンはカッと血が沸き立ちそうになった。
どんな時でも冷静さを失わないよう、ジィンは常に自分を律している。けれど、何故かカナンが相手だと、ついつい感情が表に出てしまう。
ジィンは感情のまま、背を向けて駆け出してゆくカナンの腕をつかんだ。
「待て! まだ話は終わってないぞ!」
力任せにカナンを引き寄せた時、ナガルの声がした。
「ハルノ! ジィンさまも……どうか、したのか?」
駆け寄って来るナガルを見て、ジィンはカナンの腕を離した。
血のつながりが無くても、ナガルはカナンの
「兄さま! ジィンさまが変なこと言うの。あたしとジィンさまが結婚するのが、一番都合がいいんだって。酷いと思わない?」
カナンはナガルの腕にしがみつき、ジィンに非難の目を向ける。その瞳を見たとたん、鼓動が大きく胸を打った。
「……結婚?」
ナガルの目がスッと細められた。しかし、彼はすぐに苦笑を浮かべてカナンを見下ろした。
「ジィンさまとは俺が話をする。おまえは戻っていなさい」
「わかった。けど、絶対に断ってね!」
カナンは念を押してから、離宮に向かって走り出す。
ジィンは思わず彼女の背中に手を伸ばしそうになったが、寸前で食い止めた。ぎゅっと拳を握りしめて、胸に湧いた怒りを鎮める。
(私の提案は、現時点で考え得る最良の案だった。誰も傷つかないどころか、双方の困った問題も解決できる。なのに何故……)
カナンの後ろ姿が遠くなってゆくにつれ、訳の分からない不安がじわりと胸に浮かぶ。
(いったい……私の何が不満なんだ?)
身分も容姿も水龍国貴族の中では上位に入る。女官や侍女たちから潤んだ目で見つめられることだって少なくはない。確かにカナンが相手だと、つい言葉を飾ることを忘れてしまうが、今の彼女には以前のような悪い感情は持っていない。
(私がこんなに譲歩しているのに……)
「さて、どういう事か話していただきましょうか?」
ナガルの声に視線を戻すと、冷ややかな目とぶつかった。
「ナガル。王子宮で働くおまえならわかるだろう?」
「ええ。あなたとシオンさまが何を危惧し、心配していたかは存じております」
「ならば説明など不要だろう。おまえも妹を説得しろ」
「それは出来ません」
「何だと?」
ジィンはキッと睨みつけたが、ナガルは少しも動じず、さらに冷たい視線を向けてくる。
「あなたがシオンさま至上主義なのは知っておりましたが、まさか、こんな馬鹿げた提案をされるとは思いませんでした。俺は彼女の兄として、あなたの提案は受け入れられません」
ナガルはきっぱりとジィンの提案を却下する。
色黒で大柄な南部人。剣の腕は将軍から一目置かれるほど強い。そして、身分の上下に左右されない意志の強さを持っている────正しいと思えば身分が上の相手にでも躊躇なく意見する。そこが気に入っていたのに、今はその彼に気圧されている。
「何故だ? お前は妹のことが心配じゃないのか?」
「もちろん心配です。赤子の頃から見守って来た大切な妹ですからね。だからこそ、受け入れられないのです。あなたの提案は、王家とシオンさまにとっては最良なのかも知れませんが、彼女の気持ちは全く考慮されていません。あなたは一度でも、彼女の気持ちになって考えたことがありますか?」
「彼女の……気持ち?」
ナガルの言葉がジィンの胸を貫いた。
ジィンは立場上、人の考えや動きを読むことはある。しかし、それ以外で誰かの気持ちを考えたことはない。むろん、シオンは別だ。
「確かに、彼女の気持ちは考えなかった。だが、これはそんなに悪い話だろうか? 貴族の結婚など政略がほとんどだ。それに比べれば、互いによく知る相手だ。知らない相手よりよほど良いではないか」
答えた途端、ナガルに大きなため息をつかれた。
「あなたは……彼女との仲の悪さを自覚していないのですか? いくらシオンさまのためでも、彼女が幸せになれないなら、俺はいくらでも反対します」
「おまえも、私が気に入らないのか?」
「彼女の気持ちを考えられない相手にはやれません。それだけです。馬鹿げた例え話をするなら、あなたの提案と同じ結果は、俺にも出すことが出来ます。俺が彼女を娶れば、王家の問題もシオンさまの淋しい気持ちもあなた同様に解決できますからね」
「何を言っている! おまえたちは義理とは言え兄妹だ。彼女が南部へ戻ることを選んだ時から、その可能性が消えた事は承知していただろう?」
「勿論です。これはあくまでも例え話です。あなたの提案も、彼女にとっては同じくらい馬鹿げた話だという事です」
「なっ……」
「少し頭を冷やしてから、戻って来てください」
ナガルはそう言って踵を返した。
彼の大きな背中が遠くなってゆくと、ジィンはようやく我に返った。
ナガルに言われたからではないが、冷静さを取り戻そうと青い湖へ目を向ける。
(私は……そんなにあいつと仲が悪かったのか?)
ナガルがああ言うのだからそうなのかも知れないが、自覚はない。
もはやカナンを貶めようとは思っていないし、一年前よりも遥かに和やかに会話しているはずだ。くだらない事で喧嘩はするが、それが彼女と自分の日常なのだ。結婚だって多少我慢すればと────。
(いや、違う。これは私の気持ちだ。ナガルはあいつの気持ちを考えろと言ったのだ)
ジィンは愕然とした。いくら考えても、カナンの気持ちがわからない。
(あいつは私の申し出を断った。嫌いな相手とではなく、好きな人と結婚したいと言っていた。私が我慢できると思ったことを、あいつは我慢できないと判断した……そういう事なのか?)
ジィンは今でも、自分の提案が最良の策だと思っている。ただ、自分が事を急ぎ過ぎたのだと、ようやく理解した。
(難しいが、まずは関係の改善が必要か……)
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