第37話 双子の絆


 その夜、カナンはなかなか眠れなかった。

 一番気になったのはトゥランとの結婚話などではなく、シオンの事だった。


 イーファが言ったように、もしシオンが自分に対して劣等感のようなものを抱いていたら、そう思うと、どうしても眠れなかった。


 確かにカナンは、重圧とはほど遠い環境で育った。他の貴族の娘と比べてさえ、自由で気ままな子供時代を過ごしたと言えるだろう。それはとても幸せなことだし、カナン自身もそれをちゃんと自覚していた。


 そんな自分が、この王宮で育ったシオンの気持ちに悪影響を及ぼしているのなら、とても申し訳ない。出来ることなら、そんな思いは取り除いてあげたい。そう思うのは傲慢だろうか。


 自問自答を繰り返すたびに、よけい眠れなくなる。

 カナンは寝台から起き上がると、手燭に火を灯した。

 居間の隅にある隠し扉を押し開けると、暗くて細い通路を通ってシオンの寝室へと忍び込む。

 幸い、部屋の中にユイナの姿はない。

 手燭を小机に置くと、穏やかなシオンの寝顔が淡い光に浮かび上がる。


『──王の子である重圧は生半可なものじゃないわ』


 イーファの声が頭の中に蘇る。

 カナンは床に座り込むと、寝台に寄りかかるようにしてシオンを見つめた。


「誰? カナンなの?」


 ふいに、シオンが目を開けた。


「ごめんなさい……起こしてしまって」

 カナンは慌てて立ち上がった。


「いいんだ。たくさん寝すぎて、ぼくもあまり眠れないんだ」

 シオンがカナンの手をとる。

「何かあったの? きみがこんな時間に来るなんて、初めてだよね」


 カナンは引きとめられるまま、元の場所に座った。


「いろいろ考えてたら、眠れなくなって……シオンさまを起こすつもりはなかったの」


「そんなの構わない。ぼくに話したいことがあったんでしょ? 誰かいたら話せないこと? ぼくたちは兄妹なんだから、遠慮はいらないんだよカナン」


 シオンの事が心配で来たのに、逆に心配されている。

 何だか情けなくなって、カナンは黙ったまま首を横に振った。


「今日のカナンは、何だか変だね。何があったの?」


 真っすぐに見つめて来るシオンの瞳があまりにも優しくて、カナンは思わず口を開いた。


「シオンさまは……あたしのせいで、色んなことが悪くなったとは思わないの?」

「思わないよ。カナンこそ、ぼくの身代わりになったせいで、命を狙われたとは考えないの?」

「だって、それはあたしの発言が、この王宮に波風を立てたからだわ」

「きみらしくないよ。本当にどうしたの?」


 シオンはカナンの頬に手を伸ばした。


「シオンさまは、元気になっても王さまにはなりたくないの?」

「そうだね。たぶん、健康だったとしても、ぼくは王には向いていないよ」


 シオンの答えにためらいは無い。


「……そうかな? シオンさまの気持ちを聞いても、あたしはやっぱり、シオンさまに王さまになって欲しい。国を背負う重圧はあたしにはわからないけど、誰かの命を奪ってまで王になりたい人より、王になりたくない人の方が王さまに向いてる気がするの」


「カナン……誰かに何か言われた?」

「ううん、そうじゃないの」


 カナンはもう一度かぶりを振る。

 自分でも何が言いたいのかわからなくなってきた。


「シオンさまの命を狙った人は、どうして王になりたいのかしらね? 月紫国ユンシィに頭を押さえつけられて、このさき独立を保てるかどうかもわからない小国なのに……」


「そうだね、ぼくもそう思うよ。きっと欲に目がくらんで、物事が見えなくなっているんじゃないかな?」


 薄暗い灯りの中で、シオンが笑ったような気がした。


「ねぇカナン……ぼくはこれでも、きみやぼくの命を狙った人間のことは許せないと思っているんだよ。自分でも驚くほど怒りが湧いてくるんだ。このまま、何もなかったことにされるのは絶対に嫌だよ。ぼくたちの命は、そんなに軽くはないよね?」


「シオンさま……」


 カナンは驚いて、何度も瞬きした。

 穏やかな表情の中に静かな怒りを湛えてるシオンは、まるで別人のように見えた。


「……シオンさまに毒を盛ったのは近習のルウェンだったけど、誰が指示したかはわからないわ」


「うん。でも、カナンを殺そうとした犯人はわかってるよね。きみがぼくなら、このまま黙ってはいないでしょ?」


「そりゃあ……もちろん、出来ることなら仕返ししたいわ」


「ぼくもそうだよ。処罰できるような証拠が無いなら、敵が一番嫌なことをすればいいと思わない?」


 シオンの瞳には、いたずらを考えている子供のような光があった。


「ああ……なるほど」


 カナンは、シオンの言いたいことがわかった気がした。

 二人は見つめ合ったまま、ふふっと笑った。




 翌朝、一番最初に王子の寝室に入ったユイナは、手をつないだまま眠っているシオンとカナンを見つけた。


「ジィン、ちょっとおいでなさい」


 他には誰もいないのに、控えの間にいたジィンを小声で呼びつける。

 やって来たジィンが寝室の入口で立ち止まり、絶句する様子を楽しそうに眺めてから、ユイナは満足そうに笑った。


「双子には、特別な絆があるといいますからねぇ」

「……笑ってないで、早くカナンを起こしてください母上。誰にも見つからないうちに、カナンを部屋へ戻さなくては!」

「はいはい。つまらない息子ね」


 ユイナは肩をすくめて寝室の中に入って行った。



 〇     〇



 大きく開け放った窓からは、朝の涼やかな風が通って来る。

 カナンはシオン王子の居間で、ハルノから貰った岩紅茶を淹れていた。


「ねぇカナン、ジィンの話だと、近々トゥラン皇子が帰国なさるそうだよ」


 シオンは長椅子でくつろぎながら、カナンがお茶を淹れてくれるのを待っている。


「では、晩餐会がありますね?」

「うん。父上はきっと、世継ぎの王子を発表すると思うんだ。その時がいいよね?」

「はい」


 二人は顔を見合わせて、にっこりと笑い合う。


「きみの方はどうするの?」

「ああ、あの話なら、今日にでも断りに行ってきます」


 カナンはお茶の器をシオンの前に置いてから、自分の茶椀を持ってシオンの向かい側に座った。


「一人で行ったらダメだよ。ナガルと一緒に行くといい」

「うーん、兄さまは何だか忙しそうだから、サウォル兄さまに頼んでみます」

「そうか……これが終わったら、帰ってしまうんだね?」


 淋しそうにシオンがつぶやく。


「はい。でも、また遊びに来ます。きっとナガル兄さまは、このままお城で働くと思うから」


 カナンがそう言ってお茶を飲んだ時、ジィンが部屋に入って来た。

 美しい装飾の入った平べったい木の箱を、両手で捧げ持っている。


「シオンさま、陛下から発言のお許しが出ましたよ」

「そう、良かった。ジィン、その箱は何?」

「これは……陛下から、カナンさまへの贈り物です」


 ジィンはカナンをさま付けで呼び、意味深な目を向けて来る。


「なに、それ? 気持ち悪い呼び方しないでよ」


 両手で自分を抱きしめるようにしてのけぞるカナンに、ジィンは平べったい箱を押し付けて来る。


「陛下がカナンさまに、これを着て明日の晩餐会に出るようにと……」

「え?」

「陛下は……あなたのことを、庶子として皆に紹介するようです」

「何だって?」


 反応したのはシオンだった。

 カナンは固まったまま、体中が冷えてゆくような感覚に囚われていた。


「そっか……なるほどね」


 カナンはつぶやいてから、ジィンを見上げた。


「双子が……男女の双子は厭われるって話は聞いてます。だから庶子なのよね?」


 王の考えが手に取るようにわかる。


「そうだ」


 ジィンはようやくいつもの口調に戻った。


「王さまも、臣下たちの評判は気になるようね。そう言えば、ジィンは最初からあたしのこと嫌ってたわよね。王宮の人たちがみんなジィンと同じ気持ちなら、話は簡単だわ。自分から双子だとバラせばいいのよ」


 カナンは不敵に笑う。


「それいいね。どうやってバラす? ジィンも協力してくれるよね? 協力してくれないのなら、今すぐ席を外してくれないかな?」


「シオンさままでそのような……下賤な言葉遣いをなさって」

 ジィンは心底嫌そうに眉をよせる。

「わたしが協力しなくて、いったい誰が協力するんですか」


 ジィンは木箱を窓際の円卓に置くと、カナンたちの話に加わった。



 〇     〇



 午後になると、カナンはサウォルと一緒に、トゥラン皇子が滞在している東の宮までやって来た。

 滞在客用の東の宮は王宮に一番近く、門がない代わりに入口の扉が王宮の回廊と接していて、雨の心配なく王宮と行き来出来るようになっている。

 扉の前に立つ二人の兵士に、サウォルが近づいてゆく。


「わたしはサウォル・シンと申します。トゥラン皇子の従者ヨナさまにお話があるのですが、取り次いでいただけますか?」

「しばし、お待ちください」


 一人の兵士が扉の中に入り、すぐに戻ってきた。きっと誰かに伝言を頼んだのだろう。

 しばらくして、ヨナが扉から姿を現した。


「これは……カナンさまもご一緒でしたか」

 ヨナは一瞬だけ驚いた表情を浮かべたが、すぐにいつもの穏やかな顔になった。


「せっかくいらしたのです、中でお茶でもいかがですか?」

「いいえ、ここで結構です!」


 カナンは即座に断った。一歩でもこの宮の中に入ってしまったら、またおかしな事になってしまう。


「すぐに済む話ですから」


 カナンはサウォルの腕をしっかりとつかんだまま、出来るだけ愛想良く笑った。


「そうですか。それは残念。シオンさまが回復されたと聞きましたが、トゥランさまの元に戻って来られた訳ではなさそうですね」

「もちろんです!」

「わざわざ兄上の護衛付きで来られたのですからね」


 ヨナは微笑みを浮かべたまま、カナンとサウォルを見比べる。


「それで……トゥランさまではなく、わたしを呼び出されたのはどうしてですか?」


 カナンは警備の兵士たちを横目で見てから、深呼吸をして心を落ち着けた。


「王さまが、可笑しな話を持って来たの。もちろん、あたしはその話をお断りするつもりです。でも、あなたの皇子さまに、衆目の前で恥をかかせる訳にはいきませんから、その前にそちらから断って頂きたいんです」


「なるほど。せっかくのお心遣いですが……それは無理でしょう」

「何故ですか?」

「その可笑しな話というのは、こちらが持ち掛けた話だからです」


 ヨナは微笑む。


「へぇ……そうでしたか」


 一瞬で頭が冷えてくる。

 トゥランは本気で、自分の野望のために水龍国スールンを使うつもりなのだ。


「それなら、恥をかいても構わないという事ですね?」


「ええ。トゥランさまの事ならご心配には及びません。あの方は外聞よりも実を取る方です。あなたがどんな風に抵抗するのか、きっと楽しみになさるでしょう」


 ヨナはまったく顔色を変えない。

 その穏やかな顔に、カナンは怒りを覚えた。


「そうですか……なら、トゥランさまに伝言をお願いします。

 あなたが月紫国ユンシィで何をしようと勝手ですけど、この国を巻き込むのはやめてください。復讐がしたいなら、自分の国の中だけで何とかすればいいじゃない。月紫国に居られなくなったらこの国に逃げ込もうなんて、冗談じゃないわ! 最悪の場合、月紫国と水龍国が戦になるかも知れないのよ! とっても迷惑です!」


 怒りに任せて言いたいことを全部言ったカナンは、肩で息をする。


「確かにそうですね。トゥランさまには間違いなくお伝えします」

 ヨナはにっこりと笑った。


「……失礼します」

 カナンは頭を下げると、すぐに踵を返した。


「なかなか食えないヤツだな」


 隣でサウォルがつぶやく。

 主人への暴言を笑って受けとめるヨナが不気味でならない。


「ほんと。やりにくいったらありゃしない」


 カナンはぷんぷん怒りながら、不安を打ち消した。



 〇     〇



「ヨナ、ナガルの弟は何の用だった?」


 いつものように長椅子に寝そべっていたトゥランは、部屋に戻って来たヨナに顔を向けた。


「いえ、カナンさまでしたよ。兄上はただの護衛役でした。カナンさまはあなたの申し出を断るとおっしゃっていましたよ。あなたに恥をかかせると悪いから、こちらで断ってくれと」


 ヨナは平然と報告を終えると、円卓でお茶を淹れはじめる。


「ほう、それで?」

 トゥランは面白そうに目を細める。


「あなたは恥など気にしないと言ったら、怒って帰ってしまわれました」

「そうか。相変わらず面白いやつだな」

「ええ本当に。わたしも個人的には、あなたがどうやって断られるのか今から楽しみです」


 笑顔でそう言うヨナに、トゥランは苦笑する。


「悪趣味だな」

「ええ、悪趣味です。そうそう、カナンさまから伝言を頼まれていました」


 ヨナはお茶を持ってトゥランの前に歩み寄ると、じっとトゥランを見つめる。


「伝言?」


「はい。要約しますと、復讐するのは勝手だが水龍国を巻き込むな。自分の国の中だけでやれ。とても迷惑だ。とのことです」


「復讐? おまえ、カナンに話したのか?」


 トゥランは長椅子から身を起こした。


「ええ、お話しましたよ」

「余計なことを……でもまぁ、そうか。なるほど、迷惑か」


 やれやれと言うように肩をすくめると、トゥランはお茶をひと口飲んだ。


「本当はトゥランさまだって、前のように水龍国を利用しようとは思っていないのではありませんか? 王にカナンさまとの婚姻の話を持ち掛けたのだって、本気ではなかったのでしょう?」


「まあな」


 お茶を飲みながら、トゥランはあっさりと肯定する。

 ヨナはその場に片膝をついた。


「わたしの希望を言わせて頂ければ、カナンさまの言うように他国に迷惑をかける復讐はやめて、正々堂々と月紫国の皇帝の座を奪いにいって欲しいのですがねぇ。あなたの仇は皇太子の母君です。次期皇帝の座を奪うだけでも、十分復讐になるではありませんか?」


「……ほう、それがおまえの本心か?」


「はい。トゥランさまにも、ぜひお考え直しいただきたいですね」

 ヨナはニッコリと笑った。 

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