第36話 イーファの忠告


「ここから先は、カナンさまお一人でお願いします」


 侍女にそう言われて、カナンとサウォルは門の前に立ったまま顔を見合わせた。

 カナンたちが連れて来られたのは、王宮の北にある王女宮で、この門から先は王族以外の男子は立入禁止という決まりらしい。

 広い庭の池のほとりには、イーファらしき少女がひとりで立っている。


「ごめんね兄さま」

「いや、おれはここで待っているよ」

「ううん。あたしは大丈夫だから、先に帰って」


 カナンはサウォルに手を振ると、イーファの待つ池のほとりに走って行った。

 萌黄色の薄絹をまとったイーファが、木陰に立っている。


「あなたがカナンね」


 問いかけではなく、確認の言葉だった。


「はい、イーファさま」


 イーファの前に立ち、カナンは深々と礼をする。


「敬称も敬語もいらないわ。あなたのこと、父上から聞きました」

「えっ……」


 カナンは目を見張った。

 なぜ王は、イーファにカナンの事を話したのだろう。理解が出来ない。

 動揺するカナンとは対照的に、イーファは顔色一つ変えない。


(どこまで、知っているんだろう)


 イーファの言葉だけでは、王が何を話したのかまではわからない。


「座って話しましょう」


 イーファはそう言って、池のほとりの東屋に入ると椅子に腰かけた。

 カナンは東屋の中に入ると、彼女の向かい側に腰を下ろした。

 正面から見ても、イーファは冷静そのものだ。カナンよりも二歳年下だが、恋に一生懸命だった姉のスーファ王女よりも、思慮深く落ち着いている気がする。


 侍女が冷茶をテーブルの上に乗せ、静かに下がって行った。


「トゥラン皇子が来た日、一番初めの夕食でわたしが話しかけのは、あなただったのね」


 これも、問いかけではなく確認の言葉だ。

 そう言えば、シオン姿のカナンに、最初に話しかけてくれたのはイーファだった。


「はい。申し訳ありませんでした」


 カナンは口調を崩さなかった。血のつながりなど関係ない。カナンにとってシオンが王子さまであるのと同じように、イーファは王女さまなのだ。


「あなたが謝る必要はないわ。王命に逆らえる者はそれほどいないもの」

「そうですね」


 カナンは苦笑した。


「シオン王子にはしばらく会ってなかったから、わたしもすっかり騙されたわ。兄上は、こんなに明るく溌溂とした口調で話したかしらって、ほんの少し戸惑ったけど、まさか双子の妹がいるなんて知らなかったんですもの、仕方がないわよね?」


 イーファは無表情だ。決して騙されたことに対する言い訳ではない。


(何もかも、ご存知ということか……)


 カナンは、イーファに失礼にならないくらい小さくため息をつく。

 そして、彼女の言葉の意味を考えてみる。


「シオンさまの話し方はずいぶん特訓したつもりでしたが、やはり似ていなかったのですね?」


「ええ、そうね。先日の……姉上の輿入れを祝う晩餐会、あの時は本当のシオン王子だったのよね。あなたの言動に慣れていたせいか、あの日は違和感を覚えたわ。後で父上からあなたの話をされて、とても納得したの。はっきり言うと、あなたには、兄上の中にある劣等感がなかったわ」


「劣等感?」


 カナンは眉をひそめた。

 シオンは確かに、幼いころから病気がちなことに自信を無くしてはいたようだが、カナンの前では素直で明るい一面も見せていた。


「……王の子である重圧は、生半可なものじゃないわ。特に父上の場合は、役に立つか立たないかで全てを判断するの。親子の情なんてないわ。あの圧力には、相当な自信家か馬鹿じゃなければ耐えられない。王女でもそうなのだから、世継ぎの王子の重圧は計り知れないわ。兄上はそれに負けたのよ。でも、あなたの言動にはそれがなかった」


 イーファは少しだけ感情を露わにした。


「そう……ですか」


 カナンは、初めて王の間に通された時のことを思い出した。

 玉座に座っていた王の氷のように冷たい表情からは、確かに親子の情などというものは微塵も感じられなかった。


「もしかしたら、兄上よりもあなたの方が、王に向いているのかも知れないわね。あのトゥラン皇子もすっかりあなたに打ち解けて……きっと兄上は、さらなる劣等感に打ちひしがれているでしょうね」


 クスッと笑うイーファに、カナンは怒りを覚えた。


「そんなことは、ありません」

「いいえ、あるわ!」


 イーファが初めて声を荒げた。


「わたしにはわかるの。兄上はきっと、あなたのようにトゥラン皇子と話せない自分を、不甲斐なく思っているわ。毒で倒れたことで、むしろホッとしたはずよ」


「そんな……」


「だからって、別にあなたを責めている訳じゃないの。あなたは何も知らずに、一生懸命王子を演じただけなんですものね」


「イーファさま……」


 なぜイーファがこんな話をするのか、カナンにはわからなかった。王の子の重圧など知らぬカナンを、姉とは認めないという牽制なのだろうか。

 カナンが言葉を返せずにいると、ふいに、イーファが皮肉な笑みを浮かべた。


「父上は、あなたとトゥラン皇子を結婚させるつもりよ」

「は?」


 いきなり話題が変化したことに、頭が混乱する。


「あなたが断ると、わたしにとばっちりが来るの。絶対に断らないでちょうだい!」


 よほど体に力が入っていたのだろう、イーファは椅子から立ち上がり、息を弾ませている。


(絶対に断るなって……)


 頭の中で、プチッと何かが弾けた。

 カナンは目に力を込めて、イーファを正面から見据えた。


「イーファさまのお願いでも、それは嫌です。なぜあたしがトゥラン皇子と結婚しなくちゃいけないんですか? 一度は捨てた子供を、都合の良い時だけ利用しようとするのは王さまの勝手ですけど、どうしてあたしが言いなりにならなきゃいけないんでしょうか?」


 カナンはあえて言葉を飾ろうとはしなかった。


「あなたは今まで、王の子の重圧にも晒されずに、自由に生きてきたじゃない!」


 イーファは立ったまま反論する。

 遠巻きに見守っている使用人たちは、きっと困惑している事だろう。


「だから、言う事を聞かないといけないんですか? 例え王命だとしても、それは出来ません。結果がどうなるとしても、あたしは嫌なものは嫌だとはっきり言います。イーファさまも、嫌なら嫌とはっきり断って下さい。逆らえないからって自分の意志を示さないでいれば、あなたの言う王の重圧は増すばかりですよ!」


「知ったような事を……」


 ぎりっと、イーファは唇を噛んだ。


「イーファさま、あなたはご自分のために戦って下さい。あたしも、あたしのために戦います」


 カナンはそう言って静かに立ち上がると、丁寧に頭を下げて東屋を後にした。

 イーファは立ち上がったまま、去ってゆくカナンの後ろ姿を見送った。


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