第32話 悪意の行方
結局、世継ぎの王子を誰にするかは、王が熟慮した上で後日指名することになった。
スーファ王女の結婚というお祝い気分がすっかり薄れたところで晩餐会がお開きになると、トゥランはさっさと大広間を後にした。
東の宮に戻るなり、トゥランは煌びやかな衣を脱ぎ散らしてゆく。
カナンはあちこちに投げ捨てられた衣装を回収してまわった。
仕事をする必要はないと言われているが、一応侍女という名目でここにいるという意地もある。
カナンが拾い上げた衣は、金糸で刺繍が施された青い薄絹の夏衣だ。手が透けて見えるほど薄いのにしっかりとした布で、様々な国から職人が集まる
(南部の貴族の子では、こんな衣を目にする事もないわね)
カナンが手にした衣を衣裳部屋に持って行こうとすると、目の前にヨナが立ちはだかった。
「それはわたしがいたします。カナンさまは、トゥラン皇子にお茶を差し上げてください」
にっこり笑って、ヨナがカナンの手から衣を取り上げる。
円卓の上を見ると、すでに冷たいお茶の入った玻璃の器が二つ用意されていた。
(なぜ二つ? お茶を飲みながら話をしろとでも言うのかしら)
腹立たしい気もしたが、カナンはとりあえず玻璃の器の乗ったお盆を持って、トゥランが袖なしの衣のままだらしなく寝そべっている長椅子の前まで歩み寄った。
「お茶です」
長椅子の近くにある小卓に玻璃の器を二つ乗せ、カナンがそのまま下がろうとすると、体を起こしたトゥランが手をつかんで引きとめた。
「待て、さっきの質問に答えてやる」
「えっ?」
「いいから、おまえもそこに座れ」
カナンは言われるまま、トゥランの向かい側の椅子に腰かけた。
「月紫国に留学する他国の王族は、今までにもたくさんいた。大抵は、留学という名目で連れて来られた人質のようなものだ」
「……人質?」
予想はしていたものの、カナンは思わず眉をひそめた。
「そう悪くはない。自由は無いが、それなりの生活は保障される。ただ二、三年では戻れないし、月紫国の皇女を娶らされるだろう。義父という立場を手に入れた皇帝は、当然他国に介入する。まぁ、半属国状態と言う訳だ」
トゥランは一息に冷たいお茶を飲み干した。
(半……属国か)
いずれはこの国も、月紫国の属国になるだろう。どう考えてもそうなるしか道がないのだと、この王宮に来てからわかった。
「おれが王に渡した皇帝からの親書には、属国となるか世継ぎの王子を差出すか選ぶようにと書いてあったはずだ。王は王子を差出すだろう」
「……そのようですね」
カナンは静かに答えた。
「もうひとつ教えてやろう。おれはユジンとコウンに個別に会う機会をもうけて、二人に同じ話をした。月紫国への留学は体のいい人質だ。この国が欲しいのなら、王位継承権の第一位にはなるな。二位に留まれ、とな」
「それは……」
カナンは息を呑んだ。シオンを押すユジンと、ユジンに遠慮するコウンの姿を思い出す。
「そうだ。一位の者が月紫国へ送られる。国に残った二位の者が、事実上この国を支配できる」
「でも、半属国になったら、皇帝の指示に従わなくてはいけないはずでしょう?」
「従っているフリをすればいい。皇帝からの要望に応えるのは大変だが、辛うじて自治は保てる。留学する世継ぎの王子は、初めから生贄のつもりで留学させる。ユジンもコウンも、継承権第二位になりたがっていただろう?」
「そんな……」
だんだん息が苦しくなって来て、カナンは喉元に手を触れた。
「程度の差はあれ、どこの国も同じだな。権力を手にするべく画策している奴らばかりだ。おまえもそう思うだろう、カナン?」
トゥランは人の悪い笑みを浮かべている。
カナンは唇を噛みしめた。
「あたしも……先ほどの質問にお答えします。ユジン王子もコウン王子も、王には相応しくありません。あたしはやはり、シオン王子が王になるべきだと思います」
「ほう、体が弱く王位から逃げたがっている兄の気持ちを、おまえは無視するのか?」
「元気になれば、きっと自信も湧いてきます。それに、シオン王子にはジィンという有能な従者がいます。個人的には嫌いだけど、きっとシオン王子を助けてくれるはずです」
カナンがそう答えると、トゥランはふぅーとわざとらしいため息をついた。
「なるほど。もう、おれに王になれとは言わないんだな?」
しれっと首をかしげて見せる。
カナンは怒りに震えた。
「あんなことっ、二度と言いません! あなただって、自分で言ったじゃないですか。この国のことを大切にしないって。今ならあたしにも、よっくわかります!」
「ふーん……つまらんな」
「あなたが王になるなら、属国になるのと大して変わりません」
「それはわからんぞ。何なら、イーファ王女の婿になって、証明して見せようか?」
「いいえ。十分想像できますから結構です。それに、イーファ王女が可哀そうです。スーファ王女はあなたに想いを寄せていたようですけど、イーファ王女は違いますから!」
「なら、おまえの婿になろう。可哀そうな兄を王位から自由にしてやれるぞ」
「何を馬鹿なことを! そうやって、誰でも自分の思い通りに動かせると思ったら大間違いです。それに、あたしはあなたなんて、まっぴらごめんよ!」
トゥランが長椅子に突っ伏して笑い出したのと、カナンがハッと手で口を塞いだのはほぼ同時だった。
「し、失礼しました」
カナンが失言をごまかすように、慌てて玻璃の器を回収して下がって行っても、トゥランの笑いの発作は止まらない。
衣裳部屋から戻って来たヨナが笑っているトゥランを見て、不思議な顔でカナンに目を向けてくる。
「あのっ、ご用が無ければ、下がらせて頂きます」
カナンは丁寧に礼をすると、さっさと自分の部屋に戻って行った。
「楽しそうですね、トゥランさま」
笑いつかれて長椅子に寝そべっているトゥランに近づき、ヨナは呆れた顔をする。
「ああ、楽しいよ。あのじゃじゃ馬姫はまったく愉快だ」
「あなたの提案を、王が本気にしてくれればいいのですがね」
「そうだな、ヨナ。王はどうするだろう?」
トゥランは、悪だくみをしている子供のような笑みを浮かべる。
「さぁ、どうするでしょうね……」
〇 〇
今宵の晩餐会に居合わせた人々は、それぞれ複雑な思いを抱えたまま宮に戻り、眠れぬ夜を過ごしていたが、王子宮では大変な事態が巻き起こっていた。
「王子! シオン王子!」
自室に戻るなり嘔吐して倒れ込んだシオンを、ジィンが抱き止めた。
「何ごとです?」
寝室から出てきたユイナは目の前の状況を把握すると、警備の兵士に医師を呼びに行かせた。そしてジィンのそばに戻って来ると、シオンの体を床の上で横向きにする。
「母上……」
「遅行性の毒物かも知れません……もっと吐かせなければ」
ユイナがそうぶつやいたとき、ナガルが駆け込んできた。
「ジィンさま、毒見役の近習が……」
「倒れたか?」
「はい……シオンさまも……」
「すぐに医師が来る。シオンさまを寝台に」
「はっ!」
意識を失ったシオンを、ナガルはそっと抱き上げた。
痩せた体で青白い顔をしたシオンはいつもより少女めいて、まるでカナンのようだった。
(痛ましい……)
ナガルは思わず目を瞑った。
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