第30話 様々な思惑
ハルノと別れて裏庭から帰る途中、カナンと並んで歩いていたヨナがふいに笑いだした。
「あなたは本当に不思議な方ですね。さっきの娘、友達か何かは知りませんが、下働きの娘とあんなに仲が良いとは正直驚きました。南部の田舎とはいえ、あなたは貴族の娘として育ったのですよね?」
馬鹿にしたように笑うヨナを、カナンは黙ったままジロリと睨みつけた。
「この国は馬鹿みたいに平和な国ですよね。あなたはトゥランさまの事を良く思っていないようですが、あの方はあれで、あなたのことを大切に思っているのですよ」
「とてもそうは思えませんけど」
カナンは正直にそう答えた。
「でも、そうなのです」
ヨナはにっこりと笑う。
「この国に比べたら、
そう言ってカナンを見下ろすヨナの視線は、まるでカナンのことを責めているようだった。
「トゥランさまの、母親の死因は何だと思いますか?」
「さぁ、わかりません」
「毒殺です。犯人はトゥランさまの母上と同じ、後宮の妃でした」
カナンは驚いてその場に立ち止まった。
「妃が? それで、その……犯人は?」
「もちろん、まだ生きていますよ。すこぶる元気にしています。トゥランさまは、その妃の皇子と敵対せぬよう上手く立ち回り、力をつけて皇帝の信頼を得るまでになりました。いつか復讐するためにです」
「復……讐?」
カナンはゴクリとつばを飲み込んだ。
「ええ。それに比べたら、あなた方のした事など可愛いものです。意地を張ってないで、もうそろそろトゥランさまに本当のことを話したらどうですか? あなたが認めたからと言って、この国やあなた方を罰したりはしません」
「それは……トゥランさまがそう言えと?」
「いいえ、わたしが勝手にしたことです。でも、嘘はありませんよ」
そう言われても、はいそうですかと信じられる訳がない。穏やかに微笑むヨナも、見たままの穏やかな青年ではないことをカナンはもう知っている。
(どうしたらいいんだろう……)
トゥランが示してくれたシオンへの好意は、カナンも疑ってはいない。
最初の別れ際の言葉や、再会してから彼が時折見せたシオンを心配する言葉に嘘はなかったと思う。
カナンもあの鹿狩りの日まで、トゥランを騙しているのがずっと辛かった。
いっそ何もかも話して謝れば、楽になれるのかも知れない。
〇 〇
「カナン、ようやく戻ったか。今夜の晩餐会に着ていく衣を出しておいたから、それに着替えて来い」
カナンとヨナが東の宮に戻って来ると、長椅子に寝転がっていたトゥランが円卓の上に置かれた衣装を指さした。
「これは……」
円卓の前でカナンは足を止めた。
そこにあったのは、金糸の織り込まれたあわい朱色の衣で、かなり上質な絹だった。
「我が国の衣装だ。今はおれの侍女なのだから、王子宮の侍女のお仕着せを着ていく訳にはいかないだろう?」
「あたしはこのままで結構です」
「おれは嫌だぞ」
「でも、これは侍女が着るようなものではありません」
カナンが逆らうと、トゥランは長椅子から起き上がり大きなため息をつく。
「おまえはどうして、そうおれに逆らうんだ?」
不機嫌そうな顔で立ち上がりカナンの前まで歩み寄ると、トゥランは腰に手を当てたままじっとカナンを見下ろしてくる。
「シオン姿の時の方が、まだ素直だったんじゃないか?」
もう遠回しに言うのはやめたのか、トゥランははっきりとシオンの名を口にする。
これでは、いくら誤魔化しても意味がない。
カナンは腹をくくると、その場に跪いた。
「トゥラン皇子さま、申し訳ありませんでした。シオン王子と偽り、あなたを騙しました。本当に申し訳ありませんでした」
カナンは床に両手をついて深々と頭を下げた。
自分が煽ったにもかかわらず、トゥランは跪くカナンの姿を見て狼狽えた。
「いきなり……どうした?」
「ヨナさまに言われました。トゥランさまは、あたしがシオン王子の身代わりをしていた事などすでにご承知だから、トゥランさまに本当のことを話すようにと」
「ヨナめ、おれに気を遣ったつもりか?」
苦笑するトゥランの顔を見て、カナンは部屋の中を見回したが、いつの間にかヨナの姿は部屋から消えていた。
「トゥランさまを騙したことは、本当に申し訳なく思っています……でも神に誓って、シオン王子の意志を曲げるような言動をしたことはありません。どうかお許しください」
真剣な顔でカナンが見上げると、トゥランは皮肉な笑みを浮かべていた。
「本当にそうかな? 確かにおまえは、シオンの意志は曲げてないんだろう。それは疑ってはいないさ。だが、シオンがおれに王位継承権を放棄する話なんかすると思うか?」
「えっ?」
「考えてみろ。もしもシオンがおれの前に立っていたとして、そんな話をすると思うか? きっと怖気づいて、二年前のように当たり障りのない外交をしていたはずだ。おまえだから、あんなとんでもない事を言えたんだ」
「そんなことは、ありません!」
カナンは両手の拳をぎゅっと握りしめた。
「ほーら、おまえは平気でおれに盾突くだろ? シオンにはそんな気概はない。おまえは王子らしく振舞おうとして、上手くやり過ぎたんだ」
トゥランは跪いているカナンの腕をつかんで立ち上がらせると、首を曲げてじっと見下ろしてくる。
「もう少しで、おれは自分の性癖を疑うところだったぞ」
トゥランの意味不明な言葉に首をかしげつつ、カナンはつかまれた手を振り払おうとする。
「あの、手を放してください」
「嫌だね」
トゥランは手を放すどころか、背中に回した手でカナンを抱き寄せる。
「おまえがシオンの妹で本当に良かったよ」
耳元で囁かれた言葉に、カナンは息を呑んだ。
(何で……この人が知ってるの?)
「無理してスーファ王女を手に入れないで、本当に良かった」
トゥランの言葉ひとつひとつに、政治的な思惑が見え隠れしている。
権力を持つ人間たちは、なぜ平気で人の心を踏みにじれるのだろう。自分と同じ人間だとは思っていないのだろうか。
勝手に駒にされる人間はたまったものではない。トゥランに想いを寄せていたスーファ王女も、きっと勝手に決められた結婚に心を痛めているだろう。
今までは王に対して感じていた怒りのようなものが、トゥランに対して湧き上がってくる。
「あたしはシオンさまの妹ではありません。ナガルの妹です!」
カナンは怒りを込めてそう言ったが、トゥランは気づかない。
「今さら嘘をついても無駄だ。ちゃんと調べはついている。さぁ、着替えて来い」
トゥランはそう言って腕を緩めると、円卓の上にあった衣装をカナンの手に押し付けた。
「これは着られません。王子宮のお仕着せがダメなら、王宮の侍女のお仕着せを借りてきます!」
「嫌でも着てもらうぞ。我が国の衣装を身に着けたおまえを、王に見せてやりたいんだ」
王という言葉が、カナンの怒りにさらに火をつけた。
「そんなことがしたいなら、あたしはここに残ります。晩餐会の主役はスーファ王女さまです。あの方の気分を損ねるようなマネはしたくありません!」
「思った以上に強情だな。だが面白いな。おまえ、王に遺恨があるのか?」
あごをつかまれて上を向くと、トゥランが獲物を捕らえた獣のような目で見下ろしている。
(しまった……)
カナンは蒼白になった。
余計なことを言って、これ以上弱みを握られたら大変なことになる。
「そんなもの、ありませんから!」
カナンは手にしていた衣装をトゥランの顔に押し付けると、怯んだ隙をついて逃げ出した。
「おい、カナン、逃げるな!」
トゥランの声が聞こえたが、カナンは構わず北側の扉を開け放した。
扉の外は四角い中庭を囲む回廊になっていて、警備の兵は見当たらない。
カナンはそのまま躊躇せずに走り続けた。
これなら宮の外まで逃げられると思った時、カナンは回廊の角で誰かとぶつかった。
「わっ!」
勢いよくぶつかったのはカナンの方なのに、吹っ飛んだのもカナンだった。
「これは失礼しました」
回廊の床に倒れたカナンに、手を差し伸べたのはヨナだった。
ヨナは平然とカナンの腕をつかんで引っ張り上げると、追って来たトゥランの手にポイッとカナンを引き渡した。
「ヨナ、よくやった。思った以上のじゃじゃ馬で、逃げられるかと思ったよ」
後ろからトゥランに抱えられて、カナンは身動きが取れない。
「こんな事だろうと思って、わが国の女官の衣を借りて来ました。これならば、カナンさまも納得されるのではないですか?」
ヨナはそう言うと、片手に抱えていた衣装を差出した。
「なるほど、折衷案という訳か」
トゥランはしぶしぶ衣装を受け取ると、カナンの目の前に突きつける。
「これなら着るか?」
カナンが黙っていると、ヨナがにっこりと笑いかけて来た。
「今夜の晩餐会には、シオン王子も出席されるようですね。久しぶりの公式の場に、かなり緊張なさることでしょう。シオン王子は、きっとあなたのために出席されるのだと思いますよ」
ヨナは、無事な姿をシオンに見せてやれと言っているのだ。
「わかりました……」
カナンは仕方なく衣装を受け取ったけれど、トゥランたちの思惑通りに動かされている自分が、腹立たしくてならなかった。
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