第29話 サウォルの心配


 地平線に沈みかけた光が城壁を朱色に染める頃、馬を引いて王宮の門までやって来た青年がいた。浅黒い肌をした背の高い青年だ。


「わたしは、シオン王子付き武官ナガル・シンの弟で、サウォル・シンと申します。兄に会いに来たのですが、呼んで頂けるでしょうか?」

「ああ、ナガル殿から連絡が来ているよ。門を入って王宮の前まで進み、左手に行くと王子宮がある。そこの門衛に尋ねるといい」


 門番が門を開けると、サウォルは丁寧に会釈をして門をくぐって行った。

 ナガルより幾分小柄で細身のサウォルは、少年のような笑顔を浮かべて、初めて見る王宮を眺めた。



 〇     〇



「サウォル、わざわざ済まなかったな。まぁ、座ってくれ」


 ナガルの部屋に通されたサウォルは、久しぶりに見る長兄の姿をまじまじと見つめた。


「ナガル兄、ずいぶん都人らしくなったな。カナンの具合はどうだい?」


 サウォルの問いかけに、ナガルは難しい顔をして腕を組んだ。


「それがな……実は、カナンがまずい事になってる。おまえに連れて帰ってもらおうと思っていたが、しばらくかかりそうだ」

「何があったんだ? カナンは大丈夫なのか?」


 サウォルは思わずナガルの方へ身を乗り出した。ふと、心配事が頭をかすめる。


「実はさ……我が家にもおかしなことがあったんだ。おれがこっちへ立つ前の晩に、何者かが屋敷に侵入したんだ。盗まれたものは何もなかったけど、あと一歩のところで逃げられてしまったんだ。そのことで、母上がひどく心配している。カナンの話を聞かれたかも知れないって」


「それは、カナンが……誰の娘かという話か?」


 ナガルの問いかけに、サウォルは唇を固く結んだままうなずく。


「そうか」


 ナガルは腕を組んだまま目を閉じて、椅子の背にもたれた。

 体全体から、疲れと落胆が見えるようだ。


「ナガル兄、説明してくれないか。おれとトールはいつも蚊帳の外だ。カナンの事だって、二人が王都へ行ってしまってから聞かされたんだ。おれ達だってカナンの兄のつもりだよ。何が起きてる? カナンはどうしてるんだ?」


 サウォルの訴えに、ナガルは目を開いた。


「カナンはいま、月紫国ユンシィのトゥラン皇子が滞在している東の宮で侍女をしているらしい。トゥラン皇子がどういうつもりなのかは分からないが、あの方はたぶん、カナンがシオン王子の身代わりをしていた事に感づいている。カナンの素性も……知っているかも知れない」


「その皇子は……まさか、自分を騙したカナンを……」

「わからん。が、彼は案外抜け目のない男だ。陛下との取引材料に使うかも知れないな」

「ナガル兄! それがわかってて、どうしてカナンを助け出さないんだよ?」


 サウォルは立ち上がって抗議した。


「おれだって、すぐにでも助けに行きたいさ。だがこの国は、月紫国という大蛇ににらまれた蛙のようなものだ。自分の都合だけで動く訳にはいかない」

「そんな……」

「サウォル、おまえにはしばらく王宮に滞在してもらう。戻るときは、カナンと一緒だ」

「ああ、わかったよ」

 サウォルは力強くうなずいた。



 〇     〇



 翌日、カナンは裏庭に来ていた。

 ハルノからの伝言はヨナの嘘だったとわかったけれど、ハルノに会いたかったカナンは、ヨナの監視付きという条件を飲んでハルノに会いに行った。


「本当に元気になったんだね、カナン。安心したよ」

「ごめんね、心配かけて」


 二人はいつものように、池のほとりの大きな岩に並んで座っている。

 監視役のヨナは少し離れた木のそばに立っている。


「でもまさか、トゥラン皇子の侍女に抜擢されたとはね。すごいじゃん!」

「抜擢された……っていうんじゃないよ。恩返し的なアレだよ」


 まさか攫われたとも言えず、カナンは言葉を濁す。


「でもさ、噂じゃあトゥラン皇子はスーファ王女さまを振ったっていうじゃない?」

「えっ、そうなの?」


 カナンはつい大きな声を出してしまい、慌てて両手で口をふさいだ。

 スーファの輿入れ話には、そういった経緯があったのだ。


「うん。それで前から話があった、西のトルアン王国に輿入れすることになったんだって。まぁ、噂だけどね」

「そうだったんだ……」


 トゥラン皇子は最初の滞在中から、スーファ王女との約束をよく断っていた。


「話は変わるけどさ」

 ハルノは急に真顔になると、カナンの耳元で囁いた。

「例の、あんたを狙った男さ、吹き矢を使ってたんだよね? あたしあの後、吹き矢針を見つけてあんたの兄さんに届けたんだけど、友達のお父さんが都で矢じりや吹き矢針の職人してるから、ついでに教えといたよ」


「そうだったんだ、ありがとね」

「でね、こないだその友達に会ったんだけど、その吹き矢針はお城の兵士が頼みに来た特注品だったんだって」

「お城の兵士が?」

「そうだって。弓矢の鏃も一緒に注文したから間違いないって」

「……そうなんだ」


 ハルノにうなずきながら、カナンは眉をひそめた。

 カナンは以前、ユジン王子に姿を見られたことがあった。だから心のどこかで、ユジンが自分を狙った犯人ではないかと疑っていた。でもお城の兵士を束ねているのは、将軍であるコウン王子の父親だ。


「ハルノ……大丈夫だった? 誰かに狙われたりしてない?」

「大丈夫だよ。あの子に会ったのは本当に偶然でさ、団子を食べながらちょっと立ち話しただけだから。それに、店にはあんたの兄さんが聞きに来たってさ」

「兄さまが……そっか」

「前にも言ったけどさ、あたしはあんたの味方だからね」

「ありがとう、ハルノ」


 カナンは思わずハルノを抱きしめた。

 王宮内で殺されかけ、今度はトゥランの宮に拉致されて、ずっと緊張し通しだったカナンには、ハルノの言葉が心に染みた。


  

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