第21話 鹿狩り


 そして翌々日。

 トゥランの提案通りに鹿狩りが行われることになり、カナンたちは朝早く狩場の森に向かって出発した。


 鹿狩りへ行くのは、四人の王子とその従者たちだ。先日の遠乗りとほぼ同じ顔ぶれだが、狩場の森には昼食の用意をする使用人たちと一緒に、犬を連れた使用人たちが先乗りしていた。


 四人の王子と従者たちに加え、警護の騎士たちもみな矢筒を背負い、弓を手にして風下に当たる広場に待機している。

 犬たちが興奮して吠え、馬たちもそわそわと地面を蹴っている。

 狩場の森は、カナンが今まで味わったことがないほどの緊張感に包まれていた。


(なんか……すごいな)


 カナンはキョロキョロと辺りを見回してから、狩りの始まりを待つ馬上の王子たちを観察した。

 いつもと変わらぬ冷静な顔のユジン王子。それとは対照的に血気に逸るコウン王子。そしてカナンの隣にいるトゥラン皇子は、真剣な顔で森の様子を眺めている。


「シオン、どうかしたか?」

 カナンの視線に気づいたのか、トゥランがふり返った。


「いえ……トゥラン皇子は、何を見ていたのですか?」


「森を見てた。嵐の後でずいぶん片づけたようだが、奥はまだかなり荒れているだろう。進む道を誤れば、馬が足を取られるかも知れん。犬が獲物を追い込んで来ても、慌てて追いかけるな。おまえはおれの後をついて来い」


「はい、もちろんです!」


 カナンは勢いよく頷いた。最初から狩りをするつもりはないので、そもそも焦って獲物を追いかける必要はない。

 やがて、ユジンの合図で犬が放たれた。


「ぼくは後からゆっくり行きますから、トゥラン皇子はどうか先に行ってください」


 カナンがそう言うと、トゥランはあからさまに嫌な顔をした。


「まったく面白くないヤツだな。それでは狩りに来た意味がないだろう?」

「ですが、ぼくはついて行くだけというお約束ですよ」

「少しは気概を見せたらどうだ?」

「いえ、慣れない事はやめておきます」


 カナンはにっこり笑うと、進行方向に手のひらを向けてトゥランを促した。


「ったく……あまり遅れるな」

「頑張ってみます」


 次々と犬を追って走り出す騎馬の群れから遅れ、カナンと二人の従者ジィンとナガルがゆっくりと森に分け入ってゆく。

 静かだった森は犬の声と馬の足音でにわかに騒がしくなるが、森の中を渡る風は涼しいままだ。


「あまり離れると、トゥラン皇子のご機嫌を損ねてしまいます。少し急ぎましょう」


 たらたらと馬を進めるカナンを追い立てるように、ジィンが速度を上げる。


「わかったよ。でも、獲物が追い立てられてきたら、ぼくは逃げるよ」

「ええ。シオンさまにへたに動かれて、流れ矢が当たったりしたら大ごとになりますからね」


 ジィンはさらりと嫌味を返してくる。


「それじゃあ、ジィンが先に行ってよ。ぼくはジィンより前には出ないからさ」

「では、失礼して」


 一瞬だけ冷たい視線を絡ませて、ジィンがカナンの前に出る。

 カナンはむくれたまま、ジィンの後を追って馬を走らせた。


 三人がトゥラン皇子に追いついた時には、もう騎馬の群れは森の奥まで伸びていて、他の王子たちの姿は見えなくなっていた。

 犬の吠える声が大きく騒がしくなり、草木がこすれ合う音が聞こえて来る。

 目をこらすと、カナンたちのいる場所よりも少し低くなった木立の中を、こちらに向かって逃げて来る牡鹿の姿が見えた。


「そっちへ行ったぞ!」


 狩人たちの声がさざめき、誰かが矢を射るのが見えた。けれど、牡鹿は跳ねるように逃げて来る。

 カナンの横で、ふいにトゥラン皇子が矢をつがえた。

 ヒュン、と弓弦が鳴ったかと思うと、逃げていた牡鹿が低木の中に倒れ込んだ。


(ああ……)


 カナンは目をつむった。生きるためならまだしも、男たちの楽しみのために追い込まれ、狩られる動物を見るのが嫌だった。


「さすがトゥラン皇子!」

「お見事です!」


 離れた所からも賞賛の声が飛び、犬や狩人たちが獲物に駆け寄ってゆく。

 トゥランも獲物を確かめようと、馬を進めて一段低い木立の中へと降りてゆく。


 カナンの横からトゥランが離れた時だった。

 フッと微かな風音がしたかと思うと、カナンの乗った馬が急に甲高くいなないて前足を上げた。


「うわぁ!」


 突然棒立ちになった馬に対処できず、カナンは馬から放り出された。


「シオン!」


 トゥランが驚いて馬首を返す。


「シオンさま!」


 ナガルが馬から飛び下りて落馬したカナンに駆け寄り、ジィンがすかさず暴れ馬の手綱をつかんで押さえつけた。


「大丈夫か? 頭や背中を打ってないか?」


 ナガルがカナンをそっと抱き起す。よほど慌てているのか、口調が兄のものになっている。


「う……ん、大丈夫。受け身は、取れたから」


 体中に走る痛みに耐えながら、カナンは身を起こそうとした。


「シオン、大丈夫か!」


 トゥランが駆け寄って来て、ナガルの手からカナンを奪い取る。

 カナンは一瞬痛みを忘れるほど驚いた。


(この人でも、こんな顔をするんだ)


 トゥランはまるで自分が重傷を負ったような顔をしている。たかが小国の王子に、こんな顔を見せる人ではないと思っていたのに。


「ぼくは大丈夫です。どうか狩りを続けてください……ナガル」


 カナンはトゥランにそう言うと、ナガルの方へに手を伸ばした。


「はい」


 ナガルはトゥランの手からカナンを取り戻すと、すぐに立ち上がった。


「おれも戻る」


 トゥランの申し出を、カナンより先にナガルが断った。


「いえ、どうかトゥランさまはそのまま狩りを続けて下さい。ジィンさま、後をお願いします」


 ナガルは軽く頭を下げただけで、カナンを抱いたまま森の中を歩いて行く。広場まではかなりの距離なのに、振動が怪我に悪いとの配慮か馬に乗ろうともしない。


「トゥランさま、あなたの獲物を見に行きましょう。シオン王子のお気持ちを無にしてはいけませんよ」


 ヨナに声をかけられ、トゥランは我に返った。


「……わかった」


 馬へ戻ろうと踵を返した時、三頭分の手綱を握りしめたジィンと目が合った。

 強張った表情を隠すように会釈をするジィンの青ざめた顔が気にかかったが、トゥランはそのまま狩りに戻って行った。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る