第22話 刺客
狩りで落馬したカナンは大した怪我もせずに済んだが、表向きは、シオン王子は落馬による怪我で臥せっていることになっていた。
「シオン王子が臥せっている間、まぁ二、三日だと思うが、おまえに休みをやる。どう過ごそうと自由だが、念のためあまり出歩くな」
「わぁ、よかった!」
ジィンに休みを告げられて、カナンは心底ホッとした。再び王子役をさせられてもう五日が過ぎている。前回の滞在期間と同じだ。心も体も疲れ切っている。
「では、今日からは侍女服で過ごします」
「ああ、好きにしろ。ナガル、一緒に来てくれ」
「はい」
カナンがウキウキと寝室へ入って行くのを見てから、ジィンはナガルと共に廊下へ出た。
「王子の馬の首に刺さっていた吹き矢針だが、毒は塗ってなかった。馬を驚かせて落馬させようとしたものだと思うが、シオン王子を狙ったのかトゥラン皇子を狙ったのか、今ひとつはっきりしないのが気になるな」
「そうですね……」
「怖がるといけないから、カナンには知らせるな」
「わかりました」
歩いてゆくジィンの後ろ姿を、ナガルは複雑な面持ちで見送った。
カナンは寝室で侍女の衣に着替えると、そのまま寝台に転がった。
体はまだ痛いが、落馬のショックからはもう立ち直っている。それよりも、カナンが昨日から気になっているのは、馬が後ろ脚で立ち上がった瞬間のことだ。
空を切るような音と共に、何かが目の端を横切った。馬が棒立ちになったのはそのすぐ後だ。
(兄さまやジィンは何か知ってるのに、あたしには内緒にしてる)
昨夜から二人がひそひそと相談しているのを、カナンは知っていた。
(誰かがシオンさまを狙っているのかな? だから、しばらく誰にも会わなくて済むように、怪我で臥せっている事にしたのかな?)
自ら王位を手放すと言っているシオンを、狙う者がいるとは思えない。でも、ユイナが言うように、未来の心配をする者はいるのかも知れない。どちらにしろ、田舎育ちのカナンにとっては想像すらつかない世界だ。
(あたしが考えても仕方ないか。そうだ、ハルノに会いに行こう)
カナンは勢いよく寝台から起き上がった。
〇 〇
久しぶりに裏庭へ行ったカナンは、ハルノの姿が見えないので薬草園まで行ってみることにした。
薬草園を囲む木の柵から中をのぞいて見ると、ハルノがひとり草むしりをしていた。
「カナン! ようやく休みが取れたの?」
「うん。この間はごめんね」
誰もいないのを確認して、カナンはそっと薬草園に入って行く。
「いいって。それより、王子さま落馬したんだって?」
「うん。大した怪我じゃないみたいだけど、お体が弱いから、念のためしばらくお休みになるみたい」
「それで休みが貰えたんだ?」
「あはは、まあね」
カナンは笑ってごまかして、ハルノの草むしりを手伝い始めた。
「それにしてもさ、トゥラン皇子が戻って来たから大変なんじゃない? ほら、あの皇子さまって、王女さまからのお誘いよりも、うちの王子さまと遊ぶ方が楽しいみたいじゃない」
「あー、そうみたいだね。ハルノ、よく知ってるね」
「使用人たちの間じゃ噂の的だよ」
「へぇー」
「まっ、どれもこれも食堂で聞いた、誰かからの又聞きだけどね」
ハルノの話のネタ元は、どうやらトゥラン皇子が滞在している東の宮の掃除係らしい。
カナンはハルノから王宮の様々な噂話を聞きながら仕事を手伝い、とうとう夕方の水やりまで一緒にしてしまった。
「じゃあ、またね」
「うん。いつでもおいでね」
池の前でハルノと別れて裏庭を後にしたカナンは、日の暮れた小道を急いでいた。
使用人だけが使う小道にはたくさんの木々が植えられていて、王宮の窓からは行き来する使用人が見えないようになっている。
そんな小道で、カナンは昨日と同じ風音を聞いた。
ハッとして立ち止まると、首のすぐ脇を風が掠め、カナンのすぐ隣に生えていた木の幹に何かが刺さった。
(吹き矢針……だ)
そう思った途端、また風音がした。
カナンはあわてて走り出した。両手で頭を抱え、狙いが定められないようにめちゃくちゃに走った。
むき出しの腕に何度か痛みが走っても、そのまま走り続けた。
なぜ自分が狙われるのかは謎だったけれど、ひとつだけわかった事がある。鹿狩りで狙われたのはシオンではなく、カナン自身だったという事だ。
あと少しで木立が途切れる。
正殿と王子宮の間の狭い通路に入れば、狙撃者の隠れる場所はなくなる。カナンがそう思った時、布で口元を覆った男が飛び出してきた。
「ひっ……」
男は短剣のような物を手にカナンの行く手を阻むと、無言のまま短剣を繰り出してくる。
「やめて!」
カナンは後退りしながら必死で短剣をかわすが、その度にどんどん木立の方へ戻されてゆく。
「カナン?」
後ろから、ハルノの声が聞こえた。
「来ないで! 誰か人を呼んで!」
「だっ、誰か来てぇ!」
ハルノの叫び声が聞こえると、一瞬男が躊躇した。
カナンはその隙をついて逃げ出そうとしたが、木の根に足を取られて倒れてしまった。
男が短剣を振りかぶる。
(だめだ……殺される)
短剣から目をそらした瞬間、襲撃者の顔が視界に入った。
口元を覆う黒い布から辛うじて見えるのは、酷薄そうな男の目だけだ。その細められた目元にあるホクロが、カナンの目にはっきり見えるほど近づいた時、ふいに、刃の触れ合う音が聞こえた。
カナンの目の前で、男の短剣と誰かの剣先が合わさっている。
「何者だ?」
カナンと男の間に割って入ったのは、上質な衣を身に纏った人物だった。
介入者の出現に男は慌てて飛びのくと、一言も発しないまま木立の中に逃げ込んでいった。
「大丈夫か?」
上質な衣を翻して男がカナンに振り返る。
黄昏時でも、それがトゥラン皇子だとすぐにわかった。
カナンは地面に座り込んだまま、呆然とトゥランを見上げた。
「ト……トゥラン皇子、さま」
カナンは我に返ると、すぐに跪いて顔を下に向けた。
「おまえ、王子宮の侍女か?」
「はい……危ない所を、ありがとうございました」
より低く頭を下げる。
「カナン!」
ハルノが駆けて来た。
カナンは立ち上がろうとしたが、何故か足に力が入らない。
手足の傷が燃えるように熱くなっている。
「かすり傷だが、ずいぶんやられたな。おまえ、狙われるような覚えはあるか?」
「いえ……」
頭をふった途端、めまいと吐き気がしてくる。
「ハルノ……手を、貸してくれる?」
「うん。あたしにつかまって!」
ハルノが力強く引っ張ってくれたが、カナンは思うように動けない。
「無理をするな。ヨナ、この娘を医療室まで運んでやれ」
「いっ、いいえ、大丈夫です!」
カナンは慌てて首を振ったが、頭がくらくらしてしまった。
「カナンは王子宮にお兄さんがいますから、あたし呼んできます」
ぐったりしたカナンを支えながら、ハルノが答える。
ヨナがカナンを抱き上げようと膝をついた時、王子宮の方から大柄な男が走り出て来た。
男はカナンに駆け寄ると、ハルノに代わって素早くカナンの体を支えた。
「兄さま……」
「カナン、何があった?」
カナンは口を開きかけたが、長兄の姿に安心したのかそのまま気を失ってしまった。
「ナガルか?」
「トゥランさま……あなたが、妹を助けて下さったのですか?」
カナンを抱き上げながら、ナガルはトゥランに聞き返す。
「この娘は、おまえの妹なのか?」
「……はい」
「覆面をした男に切りつけられていたぞ。娘のこの様子だと、毒の可能性もある。急いで医療室に運んだ方がいい」
「はい……ありがとうございました」
ナガルはただ静かに頭を下げた。
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