第19話 晩餐会のあと


 翌日。

 カナンは朝からずっと、自分の部屋に閉じこもっていた。前回のようにトゥランが突然来るかも知れないと思うと、一瞬も気が休まらない。


「トゥラン皇子の所には、いまユジン王子とコウン王子が会いに行っているようだ。午後からはスーファ王女と会う予定になってるから、今日のところは安心していい」


 外の様子を見に行って来たナガルが、膝を抱えて座り込んでいるカナンの頭をポンポンと叩く。

 トゥラン皇子が滞在している間は、カナンの事をシオン王子としてあつかうナガルだったが、かなり落ち込んでいるカナンを見て少し考えを改めた。


「兄さま……」

「あまり考え過ぎるな」

「わかってるけど……嫌だなぁ、早く家に帰りたい」


 南ではそろそろ水も温む季節だ。去年の今頃はトールたちと海まで遠乗りして、海水浴をしていたのに。


「あと少しの辛抱だ」


 ナガルは妹を諭すように、優しい笑みを浮かべる。

 カナンは、自分の傍らに立つナガルを見上げた。


(兄さまは南へ帰りたいのかな? それとも、ここの暮らしが気に入ってるのかな?)


 いつも自分のことをあまり話さない長兄の気持ちを、カナンは推し量りかねていた。



 〇     〇



 この日の夜は盛大な晩餐会が開かれた。

 再び滞在することになったトゥラン皇子に王が歓迎の言葉を述べると、トゥランは丁寧にお礼の言葉を述べた後、集まった王族貴族たちを見回した。


「今回は正式な訪問ではありませんし、街道が通れるようになるまで、どのくらいの滞在になるかわかりません。ですので、明日からは水龍国スールンの日常を見せて頂きたい。わたしもお借りしている宮でひっそりと滞在させて頂くので、このような晩餐会は遠慮させて頂きます」


 大広間はざわめきに包まれたが、ほとんどが月紫国ユンシィの皇子を称賛する言葉だった。


「これで、彼に会うには個人的に訪ねて行くしかなくなった訳だ」

「煩わしい事から離れられるという訳ですね」


 後ろに控えるジィンとナガルの会話が聞こえて来る。


「晩餐会がなくなるのは、ぼくも嬉しいな」


 カナンが後ろを向いてそう言うと、二人はそろって難しい顔をした。


「トゥラン皇子に暇な時間が増えるのは、どうかと思いますが」


 彼が暇だとこちらに来る時間が増えるだろ、とジィンが遠回しに言っている。

 確かにそうだ。

 トゥラン皇子の方へ目をやると、晩餐会が始まったばかりだというのに、少しでも親しくなりたい者たちが集まりはじめている。


「とりあえず、今は忙しそうだね」


 カナンはため息交じりにそう言った。

 これからの事はともかく、今日一日は何事もなく済みそうだった。


 晩餐会はまだ賑わいを見せていたが、王女たちが大広間から下がるのを待って、カナンたちも早めに大広間を後にした。


(早く部屋に戻ってゆっくりしよう)


 カナンがそう思いながら歩いていると、回廊の途中まで来たところでトゥランが追いついて来た。


「シオン、今日は話す暇もなかったが、まだ具合が悪いのか?」

「えっ?」


 カナンの腕をつかんで引きとめたトゥランは、珍しく心配そうな顔をしている。


「今朝、ユジン王子から聞いたんだ。おれが帰った後、体調を崩して寝込んでいたんだって?」

「ああ……」


 そう言えば数日前、ユジンが王子宮に来てシオンに面会したことがあった。侍女姿のカナンがユジンにぶつかってしまった日のことだ。


「ええ、少し。疲れが出たのだと思います」

「無理をさせてたんだな。ジィンから、嵐で狩場が荒れてるって話も聞いた。狩りはいつでもいいから、まずは体調を整えろ」

「はい。ありがとうございます」


 カナンはホッとして、いつもより愛想よく笑った。

 そんなカナンを、トゥランは上から下まで眺めまわす。


「シオン、おまえ細すぎだろ。ちゃんと食ってるのか?」

「もちろん、食べてますよ」

「でも、十四の割には小さいし軽そうだぞ。ちょっと持ち上げてもいいか?」

「えっ、嫌です」


 カナンは後退った。

 ナガルとジィンに素早く目で訴えるが、トゥランの後ろでヨナと一緒に困った顔をしているだけだ。


「いいだろ、少しだけだ」


 言うが早いかトゥランは一歩踏み込むと、カナンの両腋に手を入れて持ち上げた。

 カナンの両足がぶらりと宙に浮く。

 トゥランと同じ目の高さになったカナンは、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして叫んだ。


「下ろしてください、トゥラン皇子!」


 カナンは大暴れしたが、ナガルとジィンが止めに入ったおかげで、何とか事なきを得た。



 〇     〇



 王子宮に帰ってしまったシオン王子たちを見送ったトゥランは、自分の宮へと回廊を戻りながら、じっと自分の両手を眺めていた。

 今もまだ、シオンを持ち上げた時の体の重みと感触が手に残っている。

 ヨナは、そんな主を横目で眺めた。


「トゥランさま、いくらなんでもあれは失礼ですよ。シオン王子を構いたいのはわかりますが、子ども扱いし過ぎです。可哀そうに、真っ赤になってたじゃないですか」


「……おれは、別に、ヨナを見ても触りたくはならないぞ」

 トゥランは、自分の両手を見たまま立ち止まった。


「は?」


 ヨナも立ち止まり、首をかしげる。


「おれにシオンのような弟がいたら、例え月紫国ユンシィの宮中でも楽しいだろうなぁとは思うよ。あいつと話すと外交の嫌な仕事も忘れてホッとするしな。そう言うとに聞こえるが、こっちへ戻ってから、どうもシオンを見るとつい触りたくなるんだ……」


「はぁ?」

 ヨナは眉をひそめる。


「おれは、おかしいのか? おれはお稚児趣味など無いのに……」

 トゥランはまた、じっと手を見る。


「つまり、トゥランさまは、彼に邪な想いを抱いていると?」

「馬鹿を言うな、そんな訳があるか!」


 トゥランはヨナを睨みつけるが、ヨナはまったく気にせずトゥランをじっと見返す。


「そう言えば……確かに、北の街道が塞がれたと聞いた時のトゥランさまは、ずいぶん嬉しそうでしたよね?」

「そんなつもりはなかったが……そうかも知れん」


 腕組みをして考えながらトゥランは頷いた。


「では、氷水など用意いたしましょう。少し頭を冷やすべきですね」


 ヨナは冷たく答えると、再び歩き出した。

 トゥランは不機嫌丸出しの顔でヨナを睨んでから、仕方なく彼の後について歩き出した。


  

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