第18話 トゥラン再訪
その日の夕刻、王宮は大騒ぎになった。
北の領主から早馬で知らせを受けていたとは言え、トゥラン皇子が従者だけを連れて、いきなり王宮に現れたからだ。
もちろんスーファ王女は大喜びでトゥランを迎えたが、準備をしていなかった王宮の者たちは、トゥランをもてなす準備に大わらわだ。
「トゥラン皇子が到着したぞ。今夜は初日と同じ、ご家族だけでの夕食になるそうだ」
ノックもせずに、ジィンが部屋に入って来た。いつもより眉間のしわが深い。
カナンは言葉もなく、大きく息を吐いた。
「ずいぶん早いな。早馬より先に出たとはいえ、相当飛ばして来たんだろうな」
ナガルが不思議そうにつぶやく。
カナンも同感だった。どうせなら、あちこち寄りながらゆっくり戻ってくればいいものを。そう思ったけれど、嵐の後ではそれも無理だったのかも知れないと思いなおした。
「こういう時は、やっぱり労いの言葉をかけるべきですよね?」
カナンはちらりとジィンの顔をうかがった。
「そうだな。夕食の席に着く前に、トゥラン皇子を待って声をかけるか?」
思案顔で聞き返してくるジィンを見て、カナンはもう一度大きく息を吐いた。
〇 〇
夕食は王宮内の水龍の間と決まっていた。大庭園の池に流れ込む川の上に建てられた小さめの部屋だが、涼しくて美しい部屋だ。
カナンたちは早めに水龍の間に到着したが、すでにトゥランは広間の入口に立っていた。
「シオン!」
「ト、トゥラン皇子!」
カナンが慌ててトゥラン皇子に駆け寄って行くと、トゥランは笑いながら乱暴にカナンを抱きしめた。
「会いたかったぞ、シオン」
ぎゅうっと抱きつぶされそうになるのを何とか堪え、カナンはトゥランの腕の中から抜け出すと、改めてトゥランの顔を見上げた。
「トゥラン皇子、大変でしたね。まさか北の街道が埋まってしまうとは……こちらへ戻って来る道も悪かったのではありませんか?」
「ああ。所どころ橋が壊れている場所もあったが、おれが行ったときには川の水はずいぶん引いていたから渡れたよ」
トゥランは機嫌が良いようで、素のままの笑みを浮かべている。
「でも、北部領と王都をほとんど休みなく往復したようなものじゃないですか? お疲れになったんじゃありませんか?」
「あの嵐で一日足止めされたし、おれはそれほどヤワじゃない」
得意げに笑うトゥランを見上げ、カナンも笑顔を浮かべた。
二人は和やかに談笑しながら食事の席に向かった。
今夜の席は円卓で、シオン王子とトゥラン皇子の席は隣同士だった。
ほどなく王と王妃、スーファ王女とイーファ王女もやって来た。
トゥランの隣に王と王妃が座り、カナンの隣にイーファ王女が座った。その隣のスーファ王女の席はトゥランの真正面にあたるが、一番遠い席でもあった。
「嵐とはいえ、トゥラン皇子にはご迷惑をおかけしました。北には早急に道をつけるように言ってありますので、しばしお待ちください」
王は神妙な顔つきでそう言った。
「いえ、また戻って来られて嬉しいです。今度の滞在はどのくらいになるかわかりませんが、せっかくですからシオン王子と狩りにでも行きたいですね」
王の言葉に、トゥランが笑顔で答える。
(狩り?)
カナンは笑顔を浮かべたまま固まった。
「ぼ、ぼくは……狩りは不得手でして……どうか、ユジン王子とコウン王子を誘ってください」
冷や汗をかきながらそう言うと、王が反応した。
「そうだ、シオンは狩りに行ったことがなかったな」
「はい……」
「なんだ、狩りに行ったことがないのか。それなら一度行った方がいい」
トゥランはカナンの頭をグリグリと乱暴に触ってくる。
「そ、それは遠慮いたします」
急に背筋がゾクッとして、カナンは慌ててトゥランから離れた。
スーファ王女の方から怒りを孕んだ鋭い視線を感じる。
「トゥランさま! 兄上ばかりじゃなくて、今度はわたしたちともご一緒してください!」
スーファの声が飛ぶ。
最初の滞在期間、トゥランと過ごす時間をことごとく変更された彼女としては、今度こそという思いがあるのだろう。
「ぼくからもお願いします。どうかスーファ王女たちとの時間を作ってください」
祈るような気持でカナンがそう言うと、トゥランは苦虫を嚙み潰したような顔をしてカナンを見返した。
「シオン王子が狩りに行くと約束するなら、その条件を飲もう」
「それは……」
カナンは思わず円卓を囲む人々を見回したが、誰も加勢してくれる人はいない。それどころかスーファ王女にはますます鋭い目で見つめられてしまった。
「では……狩りに、ついて行くだけなら……」
「よし、決まりだな!」
勝ち誇ったように笑うトゥランから目をそらし、カナンは窓の外の景色を見つめた。
(早く、北の街道が通れるようにならないかなぁ……)
トゥランには、一刻も早く
〇 〇
「どうしよう、狩りなんて行きたくない。どうして誰も反対してくれないんだろう」
シオン王子の部屋に戻ると、カナンは早速愚痴をこぼした。
三人の兄たちに混ざって剣や弓の練習をして育ったカナンでも、狩りだけは好きになれなかった。
馬に乗ったまま弓を引くことも苦手だったけれど、そもそも動物を追い詰めて矢を射かけるという行為そのものが好きになれなかった。
「トゥラン皇子にああ言われては、誰も断れない。狩りは他の王子方にまかせて、おまえはついて行くだけでいい」
簡単に言うジィンを、カナンは非難の目で見つめる。
「でもさ、嵐のせいで森の木だって折れたりしてるかも知れないじゃない。危険じゃない?」
「ああ、そうだな。その線で、狩りの延期を提案してみるのも手かも知れないな」
「そうですね」
ジィンの言葉にナガルがうなずく。
「延期って……中止にしてよ!」
「カナンにも、苦手なものがあるんだね」
長椅子でお茶を飲んでいたシオンが、クスクス笑いながら会話に参加した。
「ぼくは、カナンは何でも出来ると思っていたよ」
「シオンさま、あたしにだって苦手なものくらいあります。正直に言えば、あたしはトゥラン皇子も苦手です!」
カナンはトゥランの顔を思い出し、胃のあたりを手で押さえた。
「そうなの? でも、ぼくはトゥラン皇子にお礼を言いたいよ。彼が戻ってくれたおかげで、まだ君が帰らないでここに居てくれるからね」
「シオンさま……」
にっこりと笑うシオンを見て、カナンはそれ以上何も言えなくなってしまった。
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