第17話 都見物
「ひどい嵐だったね。大丈夫だった?」
待合わせ場所にしていた通用門の前で、カナンは挨拶代わりにそう言った。
「薬草園は大したことなかったんだけどさぁ、裏庭の古い木なんか枝がポッキリ折れてたよ。庭師は今日一日大忙しだね」
カナンとハルノは連れ立って王宮の通用門をくぐり、城下へ続く坂道を下っていた。
「この様子じゃあ、都の繁華街もそうとうやられてるんじゃないかな? あんまり期待しない方がいいかもね」
「そうだね。残念だけど、嵐じゃ仕方ないもんね」
カナンは笑ってそう言った。
嵐は夜のうちに過ぎ去り、朝から晴天になっている。まだ風は少しあるが、もういつもの午後と同じくらい暑い。
「カナン、早馬が来るよ」
ハルノに腕を引っ張られて、カナンは道の脇に避けた。
青色の小旗をなびかせた早馬が、王宮に向かう坂道を一気に駆け上がってゆく。
「何事だろう?」
のんびりした田舎で育ったカナンには、見たことのない光景だ。
「青い旗は北の領主さまの使いだよね」
「へぇ、そうなんだ」
都の繁華街へ進むうちに、二人は早馬の事などすっかり忘れてしまった。
立ち並ぶ商店や街路にも嵐の爪痕は残されていたが、それでもたくましい商人たちは、店を片づけつつ商売をはじめている。とは言え、さすがにお土産のような物を売る店はそれほど多くはなく、カナンは思っていたような買い物が出来ず、商店街を見て回るだけだった。
「ねぇカナン、あれ食べようよ」
ハルノがいきなり駆け出した。
「えっ、なに?」
「蜂蜜パンだよ」
そこは店先の小さな屋台で、鉄板で焼いた薄い生地の上に蜂蜜をたらしたものを、クルクルと細長く巻いて串に刺したものを売っていた。
「甘いものなんてあんまり食べられないからさ」
「そうだね」
カナンとハルノは蜂蜜パンを一串ずつ買って、歩き出した。
蜂蜜パンをひと口かじると、層になった生地の間からとろりとした甘い蜂蜜があふれてきて、とても美味しい。
「ううーん!」
「甘ーい!」
二人は蜂蜜パンを食べながら商店街から離れ、広々した川沿いの空き地まで歩いて行った。
茶色く濁った水が、大きな音を立てながら流れている。
「すごいね」
「ほんと。こりゃあ山の方じゃあ相当な被害があったんじゃないかな」
「そうだね。木の枝がずいぶん流れてるもんね」
カナンは大きな石づくりの橋まで行くと、欄干から川を見下ろした。木の枝を含んだ大量の水が、飛沫を上げながら流れ去ってゆく。
ふと、名前を呼ばれたような気がして、カナンは商店街の方へ目を向けた。
忙しそうに店の片づけをする町の人たちの間をかき分けて、頭一つ分ほど大きな男が走って来る。
「兄さま?」
驚いて二度見するが、ナガルに間違いない。こっちへ向かって走ってくる。
「カナンのお兄さん?」
「うん。どうしたんだろう?」
二人が首をかしげている間に、ナガルはカナンの前までやって来た。
「兄さま、どうしたの?」
「カナン、都見物の途中にすまないが、すぐに戻ってくれ。ハルノ、また今度にしてくれるか?」
「はい。どっちみち、嵐の後で休みの店ばかりですから」
ハルノは頷くと、すぐに王宮に向かって歩き出し、カナンもそれに続いた。
ナガルがわざわざ迎えに来るにはそれなりの訳があるだろう。
「詳しい話はできないが、あの嵐で、北の国境に抜ける街道が埋まったらしい」
「それじゃ……」
カナンは、北へ向けて旅立ったトゥラン皇子たちの事を思い出した。尋ねるようにナガルを見上げると、ナガルは黙ったままうなずく。
嫌な予感がカナンの心を占領した。
〇 〇
「呼び戻して悪かったな」
カナンとナガルが部屋に戻ると、ジィンとユイナが待っていた。
「ナガルから聞いただろうが、北の街道が嵐による土砂崩れでふさがれて、トゥラン皇子の一行が足止めされているとの報告が来た。それで……」
ジィンにしては珍しく、歯切れの悪い言い方をする。
「もしかして、トゥラン皇子が都に戻って来るのですか?」
「使節団は北の領主の城に留まっているんだが、実は……トゥラン皇子は従者だけを連れてこちらへ向かっているそうだ。早馬より先に出たから、いつ現れてもおかしくはない。トゥラン皇子が王宮に滞在されることになれば、おまえには、またシオンさまの代役をしてもらうことになる」
「そんなぁ……」
やっと終わったと思っていたのに、もう一度シオンのフリをするなんて、とても神経が持ちそうもない。
自分の兄弟たちよりもシオンに親しみを抱きはじめているトゥランを、再び騙し続けなくてはならないのだ。
そう考えるだけで、カナンはめまいがしそうだった。
「北の街道が通れるようになるまで、どのくらいかかるかわかりません。カナンさまには、またご苦労をおかけする事になりますが、どうかお願いいたします」
ジィンの横でユイナが頭を下げる。
「……わかりました」
もちろん、カナンに断る権利など無い。そもそも王命に逆らえなかったから、今ここにいるのだ。
「でも、自信ありません。トゥラン皇子と親しくなればなるほど、怪しまれないか気が気じゃありませんでした。あたしの中ではもう限界だったんです。これからまた何日も顔を合わさなきゃならないなんて……」
「それは、何とかする」
ジィンが眉間にしわを寄せたまま答える。
「何とかって?」
「例えば……なるべく会う機会を減らして、時には体調が悪いと言って断ることも考えている」
「でも、それじゃ、王子の健在ぶりを示せなくなりますよ」
「仕方ないだろう。姿を見せないよりはいい」
そう言ってジィンはため息をつく。
「正直なところ、驚いた。トゥラン皇子が、あれ程シオンさまに気を許すとは思わなかったんだ。彼は以前から明るくて気さくな感じを装ってはいたが、それはあくまで外交上の顔で、本来の性格ではないと思っていたんだが……」
「はぁ……」
カナンはうなだれた。
ジィンの人間考察などどうでもいいから、これからの事を考えて欲しい。
「まあ、トゥラン皇子が戻ってくれば王子宮に入り浸るのは目に見えているし、おまえの心配もわかる。わたしとナガルは常に側にいて、なるべく二人きりで話す機会をなくす。陛下にも、なるべくトゥラン皇子がシオンさまにばかり会わぬようにお願いしてみよう」
「ぜひお願いします」
カナンは力なく頭を下げた。
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