第13話 突撃訪問


 翌朝、カナンの部屋にジィンが姿を現した。

 円卓で朝食後のお茶を飲んでくつろいでいたカナンは、久しぶりに不機嫌丸出しのジィンを見て首をかしげた。


「昨日はわたしのことを、随分ほめていただいたようですね?」

「は?」


 ほめた覚えなど無いけど、という顔で見返すと、ジィンはますます冷たい目でカナンを見下ろしてくる。


「トゥラン皇子に嫌味を言われました。シオンさまにも立ち小便くらいさせろと」

「あ、ああ……それは悪かったな。でもあの時は、そうでも言わないとぼくの方がマズい状況になりそうだったんだ。わかる、よね?」


 王子らしく答えたけれど、カナンは笑いを堪えるのに必死だ。


「他にもわたしの事を色々おっしゃっていたようですね。内容に悪意を感じます」


 細めた目でじっと見下ろしてくるジィンに、カナンは慌てて首を振った。


「そんなはずはないよ。ジィンはぼくにとって兄のような存在なんだから」


 嘘ではない。と言ってもそれは本物のシオン王子にとっての話で、カナンにとっての彼はただの嫌味な男でしかない。


 ジトッとした視線で二人がにらみ合っていると、後ろでプッと噴き出した者がいた。ナガルだ。


「失礼しました。お二人とも、あと二日ですから、力を合わせて乗り切りましょう」

「そうだった。ジィン、失礼をお詫びします」

「いえ……」


 表面だけの和解を済ませたところへ、ユイナが慌てたようにやって来た。


「失礼いたします。トゥラン皇子がいらしてます。門衛の武官がお止めしたのですが、振り切られてしまいました」

「えっ?」


 状況を飲み込めずにポカンとしているカナンの腕を、ナガルが引っ張った。


「すぐに王子の部屋で待機を!」

「えっ、ああ、はい!」


 カナンが立ち上がると、ジィンが振り向いた。


「出来るだけ止めてみるが、無理なら庭へ誘導する」

「わかりました」


 ユイナとジィンが部屋を出てゆく。

 カナンは隠し扉に手を伸ばしてから、ふとナガルを見上げた。


「トゥラン皇子は、この国を属国にするつもりだろうか?」

「そうですね。トゥラン皇子ではなく月紫ユンシィ国の意向でしょうが」

「……どうしたらいい?」


 よほど深刻な顔をしていたのだろう。ナガルの手がカナンの頭に触れた。

 ここ数日間、ずっと王子と従者として対応してきたナガルが、久しぶりに兄の顔を見せた。


「おまえがそこまで考える必要はない。王子の健在ぶりを見せ、明日まで乗り切ることだけ考えろ」


 ナガルの言葉は正しい。でも、そんな風に割り切ることが出来ない自分もいる。

 カナンは唇をかみしめたままナガルにうなずき返した。



 〇     〇



 王子宮の南庭に大きな池がある。その池のほとりにある東屋へ、カナンはトゥラン皇子を案内した。


「いきなりのご訪問でみんな慌てています。大したおもてなしは出来ませんが、お許しくださいね」

「もてなしなど構わん。おれはおまえと二人だけで、落ち着いて話がしたいだけだ」

「はぁ」


 池に張り出すように建てられた東屋の中に、カナンとトゥラン皇子は向かい合うように座った。


 布をかけられたテーブルには、冷たいお茶とお菓子が乗っている。

 ジィンとナガル、それにトゥラン皇子の従者ヨナは少し離れた場所に控えており、そのさらに遠くには、王子宮の侍女や使用人たちが、お茶やお菓子のおかわりに備えて待機している。


 侍女たちの間からはさざめくような黄色い声が聞こえている。きっと、久しぶりの王子の姿と異国の素敵な皇子について、様々な感想を口にしているのだろう。ひそひそ話は案外聞こえるものなのだ。


「昨夜の晩餐会はなぜ欠席をした?」


 口調だけでなく表情までもすっかり崩したトゥラン皇子は、不貞腐れたような顔でカナンをにらむ。


「昨夜は疲れてしまいまして。本当に申し訳ありません」

「おかげでおれは、スーファ王女にずっと張り付かれていたぞ」


 トゥラン皇子の顔にはいつもの人を食ったような甘い笑みはなく、本当に疲れ切ったような顔をしている。


「ぼくは避難所ではありませんよ。それに、スーファ王女の気持ちもわからなくはありません。トゥラン皇子は、彼女との予定をことごとく断っているではありませんか」

「悪いか?」

「悪いですよ。だから彼女は、せめて晩餐会くらいはあなたのそばにいたいと思うんです」

「おれは、おまえの妹に会いに来た訳じゃない」

「そうですね。でも、スーファ王女をお世話係にしてもいいと言ったのは、トゥラン皇子ですよ」


 カナンがそう言うと、トゥランは恨みがましい目でカナンを見つめた。


「おまえ、本当に二年前のシオンと同じ人間か? よくそうポンポンおれに言葉を返すようになったものだな」


(やばい……言い返しすぎた)


 カナンの頭から、サーッと音を立てて血の気が引いてゆく。


「も、申し訳ありません!」

 慌てて頭を下げた。

「いい気になりすぎました! トゥラン皇子と友達のように話せるのが嬉しくて、つい、自分があなたと対等のように思っていたのかも知れません」


 それはただの謝罪ではなかった。

 心のどこかでそんな風に思っていた自分がいる。

 よほどカナンの目が不安そうに泳いでいたのだろう。トゥランはカナンの手をつかんだ。


「今のは冗談だ。気にするな」

「しかし……」

「おまえがおれに遠慮せず、屈託なく話すのは嫌いじゃない。少なくともユジンやコウンより……いや、月紫ユンシィにいるおれの腹黒い兄弟たちよりもおまえの方がずっと好ましい。それは嘘じゃない」


 トゥランの思いがけない言葉に、カナンは頭を殴られたような衝撃を受けた。それと同時に、彼を騙していることに強い罪悪感を覚えた。


「で……ですが、国と国との事を考えれば、ぼくはこれ以上あなたに失礼を働くことはできません」


 トゥランに捕まれた手が、小刻みに震えているのがわかった。


「王位を譲った愚かな王子と笑われるのは構いません。だけど、ぼくは国を滅ぼした愚かな王子にだけはなりたくありません」


 懇願するように言葉を紡ぐカナンの手を、トゥランはようやく放した。


  

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