第14話 東屋の別れ


 池のほとりの東屋には、しんみりとした空気が流れていた。


「おまえは、不思議な奴だな。駆け引きには向かない性格だろうに、きわどい話をギリギリでかわして冗談で流すかと思えば、今みたいに真っすぐ本音を言って来る」


 トゥランは椅子の背もたれに体を預け、力が抜けたようにぼんやりとカナンを眺めている。


「慣れていないんです。取るべき態度と自分の気持ちが、うまく溶け合っていないんです」

「取るべき態度か……」


 池の方へ視線をうつしながらため息をつくトゥランの姿は、何故だか少し寂しそうだ。


月紫ユンシィ国は、水龍スールン国を属国にするつもりなのでしょうか?」


 余計なことを言ってはダメだとわかってはいたが、どうしても聞かずにはいられなかった。

 蘭夏ランシアの書物にあったような未来だけは、絶対に嫌だった。


「そうだ、と言ったら?」


 トゥランは視線だけをカナンに向ける。

 カナンは唇を噛みしめてから、ゆっくりと口を開いた。


「ぼくは役立たずですが、父はまだ健勝です。父の御代はまだまだ続くでしょう。ぼくは、父上の判断に従います」

「属国になってもか?」

「……はい」


 カナンは唇を真一文字にしてうなずく。


水龍スールンには、月紫ユンシィ国に対抗する力なんてありません。もしも戦をして国が滅んでしまうのなら、はじめから属国になった方がいいのかも知れません」


「昨日と言ってることが違うぞ」


「わかってます。もちろん、今のまま友好国でいられたらと思います。だから、あなたとスーファ王女が結婚すればいい、なんて言ってしまったんです。失言でしたけど」


「なるほどな。だが、例えおれがこの国の王になったとしても、この国の民を思う良い王になるとは限らないぞ」


「……そうですよね。だとしたら、もうお手上げです」


 カナンは両手を広げて苦笑した。

 開き直りなのか諦めなのか、先程よりも肩の力が抜けたようなカナンを、トゥランはじっと見つめていたが、やがて諦めたように肩をすくめた。 


「皇帝からの親書を、おまえの父に渡した。たぶん、属国の話も遠回しに記してあるだろう」

「やはり……そうでしたか」


 王がいくら冷血そうな男でも、月紫ユンシィ皇帝の言葉を無下には出来ないだろう。

 この国の今後を思うと心が重くなったが、カナンが心配した所でどうにか出来る事ではない。


「明日は朝早いのですか?」

 カナンは話を変えた。


「ああ。早くに発つ」

「トゥラン皇子、あなたと親しくお話が出来て、嬉しかったです」

「おれもだ。自分でも不思議だが、おまえとはもっと話をしたかったし、一緒に剣の練習もしたかった。おまえの色の黒い従者、あいつは強いな。どことなくおまえの剣と似ていた。従者になったばかりと言っていたのに不思議だな」


 カナンはギクリとしたが、トゥランの視線はカナンを通り越して池の景色に向けられている。その淋しげな目があまりにもトゥランらしくなくて、カナンは首をかしげた。


「なんだ?」

「いえ、元気がないなと思って……」


 カナンが謝罪の言葉を口にしてから、トゥランの様子が少し変わった。

 彼と一緒にいてハラハラする事はあっても、こんなしんみりとした空気になったことは無い。


「元気がないか。まぁ、そうかも知れないな。どうしてだか、国へ帰るのが億劫おっくうなんだ。こんなことは初めてだ。どうも、この国のぬるま湯のような平和に毒されてしまったみたいだな」


 トゥランは自嘲ぎみに笑う。


「それは、例のアレのせいですか? 兄弟でも弱肉強食だから、自分の国に居ても常に緊張を強いられるとか?」


 カナンは内緒話でもするように声をひそめた。


「そうかもな。あーあ、おまえがおれの弟だったらな。少しはあの城も居心地がよかっただろうになぁ。そしたらおれの人生も、全く違っていたかも知れないのに」

「はぁ……」


 カナンは訳も分からず相づちを打つ。

 そんなカナンを見て、トゥランは今までの空気を吹き飛ばすように笑い出した。


「ま、おまえのような奴は、あっという間に消されていただろうがな」

「消されてって……」


 カナンは黙り込んだ。

 トゥランは冗談のように言ったけれど、たぶん本当のことなのだろう。自分の国にいるのに安心できない生活なんて、カナンには想像するのも難しかったが、トゥランには心から同情した。


「シオン、次に会う時までにもう少し体力をつけておけよ。それから……」

 トゥランは何か言いかけてから、カナンの耳元に顔を寄せた。

「餌食になるなよ。この国にだって王子同士の争いはあるだろう? 特に、毒には気をつけろよ」


 囁くようにそう言ってから、射るような目でカナンを見つめる。


「ま、まさか。ぼくはいつだって王位を譲るつもりだし……」

「手っ取り早く、しかも確実に譲って欲しい奴もいるだろう。せいぜい身辺に気をつけることだ」

「は、はい。ありがとうございます」


 トゥランはまだ何か言いたげな表情を浮かべていたが、それを振り切るように立ち上がった。


「また会おう」


 トゥランはカナンの頭に手を伸ばすと、乱暴に髪をかき回した。


〇     〇


 その夜の晩餐会はトゥラン皇子が辞退したために中止となり、翌朝早く、キラキラしい一団を引き連れてトゥラン皇子は去って行った。

 長いようで短かった月紫ユンシィ国の皇子の滞在期間は無事に終わり、カナンの仕事も終わりとなる、はずであった。


  

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