第12話 密談


 食事の後片付けがはじまると、トゥラン皇子が立ち上がった。


「ちょっと失礼。小用を……シオン、ついでだ、おまえも来い」


 トゥランはカナンの腕をつかむと、半分枯れた葦の茂みに入り込んでいく。


(しょ、小用って……まさか、皇子のくせに立ちションするのか?)


 カナンは慌てふためいた。

 もちろんここには、高貴な方が野外で用を足すときに使う天幕が用意されている。けれど、茂みに向かって歩いているトゥランは、もしかしなくても立ち小便するつもりに違いない。三兄弟に囲まれて育ったカナンには、十分想像がつく。


「あ、あのっ、ぼくは食事の前に用を足しましたから……」


 慌てて断りながらトゥランの手を振りほどこうとするが、しっかりとつかまれた手は外れない。


「何だよ、いいじゃないか。こういう時に男同士の交流が生まれるんだぞ」

 トゥランは半分枯れた葦の茂みに程よい場所を見つけ、立ち止まる。


「いっいえ、遠慮しておきます。ぼくはこちらを向いてますから、どうぞ」

 カナンはくるりと背を向ける。


(うわぁ、どうしよう……)


 遠巻きにジィンとナガルとヨナの姿が見えるが、止めに入ってくれそうもない。


「なんだよ、つき合い悪いな」


「はぁ……でも、ぼくは従者にそういったことは禁止されているんです。潔癖症って言うんでしょうか、ぼくは小さい頃から、ジィンに気品や威厳を要求されているんですよ。ほら、わかるでしょ、彼はすごく真面目なんです。武官より、文官向きかも知れませんね」


「ああ、ジィンか。あいつなら言いそうだな」


 小用を終えたトゥランは、しばしジィンの方へ視線を向けたが、すぐに別の茂みの中へ入って行く。


「えっ、トゥラン皇子、まだ戻らないんですか?」


 カナンが追いかけると、茂みの中から手を引っ張られ、背の高い枯れ葦の中に連れ込まれた。


「おまえ、本気であいつらに王位を譲るつもりじゃないだろうな?」


 耳元でトゥランの声がする。顔が見えないほど接近していることに、カナンの背中に冷たい汗が流れる。


「え、ええ。そう出来ればとは思ってますけど、どうでしょうね?」


 無理に明るい声を出して答えるが、つかまれた手首が震えていないか心配になる。

 クスッと笑うような声がした。


「どうせ王位を譲るつもりなら、いっそ月紫ユンシィ国の属国になったらどうだ?」


 属国という言葉が聞こえたとたん、カナンの心臓が凍りつきそうになる。


「……属国ですか。月紫ユンシィ国の属国になるとどうなるんでしょうか? この国の民は、今の暮らしを続けられますか?」

「それは、難しいだろうな」


 トゥランの言葉には何の躊躇いもない。


「ですよね。ぼくは王位継承者としては失格ですが、この国がどうなろうと構わないという訳ではありません。今の暮らしを続けられる保証が無いのなら、属国になるなんてとても言えません」


 低い声でつぶやいてから、カナンはいきなり明るい声で言った。


「それくらいなら、いっそスーファ王女とあなたが結婚してこの国の王となってくれた方がまだましだ。あなたは、こんな小さな国の王は嫌ですか? でも、月紫ユンシィ国の皇帝になるよりも確実かも知れませんよ」


 カナンの言葉が終わらないうちに、押さえた笑い声が聞こえた。


「悪いが、あの姫はごめんだ」

「では、イーファ王女は? ほかにも従妹の姫がいますよ」


 今度はカナンも笑った。冗談で流してしまえばいい。


「おまえの手は細すぎだぞ。こんな腕では戦になったらすぐに死んでしまう」


 トゥランはようやくカナンの手を放すと、枯れ葦の茂みから抜け出した。


「大丈夫です。戦にはならないようにしますから」


 やっと解放された手をさすりながら、カナンはにっこり笑った。

 トゥランは一瞬だけ振り返ったが、無言のまま従者の方へ戻って行った。


 トゥランが立ち去ると、ジィンとナガルが駆け寄って来た。


「何をしていたのですか? 大丈夫ですか? まさか……」

 眉間にしわをよせてジィンが小声で追及してくる。


「大丈夫。何もバレてはいないよ。彼はすこし、密談好きみたいだね」

 すまし顔でそう答えたカナンも、体中汗だくだった。



 〇     〇



 遠乗りから帰ると、もう夕刻になっていた。

 王子宮に戻ったカナンは、ジィンとナガルに相談して、今夜の晩餐会を欠席することにした。

 風呂で汗を流して着替えをすると、カナンはシオン王子の寝室を訪ねた。


「カナン、遠乗りはどうだった?」

「シオン王子……」


 カナンは寝台横の椅子に腰かけると、俯いたまま今日の出来事をシオンに伝えた。


「余計なことをたくさん言ってしまいました。言うべきではなかったです」


 時間が経って冷静になったせいか、自分の言動のすべてをカナンは深く後悔していた。王位に関する話を従兄のユジンやコウンにまでしてしまったし、それに冗談めかしていたとは言え、トゥラン皇子に王位を渡すような話までしてしまった。


「ぼくは別に構わないよ。それでカナンは、二人の王子のうちどちらが王に相応しいと思った?」


「それはわかりません。ユジン王子は優しそうな人ですが、一度会っただけではどういう人なのかわかりません。コウン王子もそうです。積極的で野心もありそうだけど、それだけじゃわかりません」


「うん、そうだね」

 シオンはカナンを愛しむように微笑む。

「トゥラン皇子の話も聞けたんだね。二十七番目の皇子の話はどうだった?」


「もっといろいろ聞いてみたかったけど、宮中での地位争いはかなり激しいみたいですね。スーファ王女と結婚したらどうかなんて冗談を言ったのは、属国よりいいのかなって思ったのもあるんですが、そういう野心みたいなものがあるのかなって思ったからなんです。断ってくれて助かりました」


 カナンはホッとしたようにため息をつく。それを見て、シオンが言った。


「彼はスーファがお気に召さないみたいだね。でも、きみがトゥラン皇子と結婚するって手もあるよ」


 カナンはガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。


「冗談でもお断りです。いくらシオン王子でも怒りますよ!」


 言ってしまってからハッとしたように両手で口を覆う。自分の学習能力の無さに青ざめる。


「失礼……しました」


 口を覆ったまま、ストンと元の椅子に腰を下ろした。

 毎日王子として振舞ううちに、自分が最高位の人たちと同等のような錯覚をおこしかけていたのかも知れない。


「失礼なんかじゃないよ。カナン、きみはぼくの妹で臣下ではないんだからね」

「いいえ、あたしは南の田舎貴族の娘です」


 カナンは唇を噛みしめた。自分はこの役目が終わったら南へ帰る人間だという事を忘れてはいけない。


「カナン……」

「ごめんなさい、シオンさま」


 カナンは深々と頭を下げると、逃げるように部屋を出て行った。



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