第10話 二十七番目の皇子


 夕刻から始まった大広間での晩餐会は、暗くなる頃には少し砕けた雰囲気へと変わっていた。

 馬蹄型に並べられた低いテーブルには様々な食べ物や酒が運ばれ、ゆったりとした椅子に腰かけた客たちは、中央で行われている歌舞を眺めながらくつろいでいる。


 中央の席には王と王妃が座り、その左側には王女たちに囲まれるようにトゥラン皇子が座っている。

 シオン王子ことカナンは王の右側に座っているが、さっきまで近くに座っていた王族の王子たちは、すでに席を立ってトゥランのそばへ行っている。

 彼らは王の姉妹の息子たちで、シオンにとっては従兄にあたる二十歳のユジン王子と、十八歳のコウン王子だ。二人とも、久しぶりに姿を現したシオンのことなど眼中にも無いらしく、言葉を交わそうともしない。


(シオンさまは、あの二人のどちらかに王位継承権を譲るつもりなのか……)

 二人がどんな人間なのか知らないカナンには、どちらが王に相応しいかなんてわからない。話す機会さえ、今後あるかどうかわからないくらいだ。


 話す相手もいないので、カナンは時おり果物を口に運びながら広間の様子を眺めた。人が集まっている場所とそうでない場所にはそれなりの理由があるのだろう。


 カナンは公式の場に出てみて、初めてシオンの立場を理解した。シオンが王位継承権を譲ると言った時は、何を馬鹿なことをと思ったけれど、そうではなかった。ここにいる誰もが、シオンが王になる事などないと思っているのだ。

 王宮内でのシオンの存在の希薄さに、カナンは心が冷えてゆくような気がした。


 突然カナンの隣に誰かが座った。

「少し匿ってくれないかい、シオン王子?」

「ト……トゥラン皇子?」

「申し訳ないけど、きみの妹姫にはうんざりだよ」


 きれいに束ねられていたはずの真っすぐな黒髪が、少し乱れて顔にかかっている。いつもの貴公子然としたトゥランの表情は消え、疲れきったただの青年の顔になっている。


「それは……申し訳ありません」

 カナンは謝りながら思わず笑ってしまった。


「申し訳ないと思うのなら、きみにはしばらくおれと話をする義務があるよな」

 昼間よりも随分と砕けた話し方になっているのは、酒が入っているせいだろうか。


「構いませんが、ぼくがスーファ王女に嫌われない程度でお願いします」

「ふん、世継ぎの王子のくせに、随分と弱気だな」


「弱気にもなりますよ。ここでは、誰もぼくのことを世継ぎの王子だなんて思っていません。あなたもぼくと話すより、ユジン王子やコウン王子と話をした方が良いのではないですか?」


 二人の従兄にあまりにも見事に無視されたせいか、つい余計なことを口走ってしまった。どう考えても、シオンはこんなことは言わないだろう。

 しまったと手で口を塞いだが遅かった。トゥラン皇子が驚いたようにカナンを見つめている。


「バカを言うな。やつらが世継ぎになったのならともかく、今はおまえが世継ぎの王子だろう?」


 トゥランは怒ったように聞き返してくる。単にシオンに同情して言ったようにも見えるが、その目は冷静に相手を探っているようでもあった。


 そうですね、馬鹿なことを言いました。そう言って微笑むべきなのは十分にわかっていた。シオンなら絶対にそうするだろう。

 でも、カナンの口から出たのは全く別の言葉だった。


「でもあなたは、世継ぎの王子を確かめに来たのでしょう? もしそうなら、ちゃんと見た方がいいですよ。ぼくと彼らのどちらが王に相応しいか」


 カナンは真っすぐトゥランを見たままヤケクソの笑みを浮かべた。

 一旦口にしてしまった言葉はもう戻せない。たぶん自分は、見たこともないほど豪華な王宮の大広間で、大勢の人に囲まれて、少し頭がおかしくなっているのだろう。


 トゥランはニヤリと笑った。


「この二年でずいぶん成長したものだな。前に会った時のおまえは、おれのそばに座っているだけで必死だったのに」

「今も必死ですよ」

「どこが必死だ。笑わせるな」


 トゥランは酒杯をあおると、あたりを見回した。それぞれが宴を楽しんでいるように見えるが、一部の人間はしっかりとこちらに注目している。


「おまえとはじっくり話をしたいな。今夜、おまえの宮におれを招待してくれないか?」

「は?」


 カナンはポカンとしたままトゥランを見返してしまった。きっと後ろではジィンがハラハラしている事だろう。

 案の定、背後から声が聞こえて来た。


「残念ながら、それは警備の都合上、難しいかと存じます」


「貴国の、世継ぎの王子と同じ警護で十分なんだがなぁ。おれは月紫ユンシィの皇太子では無いし、過剰な警備は必要ない」


 トゥランはジィンの言葉をバッサリと切り捨てる。


「どうだ、シオン王子?」


 無理にでも押し通しそうな目で、トゥランはカナンを睨む。

 カナンは小さく息をついた。


「残念ですが、それは無理です。ここでは平気な顔をしていますが、きっと宮に戻ったら、ぼくは寝台に倒れ込むでしょう。トゥラン皇子をお招きしても、ぼくにはあなたとゆっくり語り合えるほどの体力は残っていません」


「なるほど。そう言われてしまっては、引き下がるしかないな。では明日はどうだ? 遠乗りにでも行かないか?」


「明日は王女たちと出かける予定ではありませんか? ぼくはこれ以上、妹たちに嫌われたくはありません。ほら、今もスーファが睨んでいるのが見えませんか?」


「では、王女と王の許可が得られればいいんだな?」


 そう言うなり、トゥランは立ち上がった。乱れた髪を撫でつけると、しなやかな動きで王に近づき何事かささやいている。


「シオンさま、あの様子だと明日の遠乗りは覚悟していた方がよろしいですね」

「ナガルもそう思う?」

「はい」


 後ろに控える兄と言葉を交わしながら向きを変えると、ジィンが思いきり不機嫌そうな顔をして座っていた。



 〇     〇



 王子宮に戻ると、カナンは自分の部屋には戻らずシオン王子の部屋に留まった。もともと王子の寝室を通らなくては自室に帰ることが出来ないので、報告がてら話をするのが日課になっていた。


「トゥラン皇子はどう?」


 眠っていたのか、今日のシオン王子は寝台に横になったままカナンに問いかけてきた。


「思ったよりも明け透けな話し方をするのに、なかなか本心が見えない人ですね」


 カナンがそう答えると、シオンは可笑しそうに笑った。


「扱い辛い人だろう? 大国の皇子だけど、彼はあれでもけっこう苦労しているらしいよ」

「苦労?」


「うん。ぼくは二年前、トゥラン皇子とはほんの少ししか話をしなかったけど、彼の話でとても印象に残っていることがあるんだ。彼はぼくに挨拶するとき、自分は二十七番目の皇子だと言ったんだ」


「にっ、二十七番目?」


 カナンは大声を上げそうになった。


「そう。カナンは、月紫ユンシィ国にある後宮というのを知ってる?」

「はい。書物に書いてありました」


月紫ユンシィの国土は広い。すべての地方をうまく統治するために、後宮には地方の有力貴族の姫を迎えるそうなんだ。ほかにも属国や交易相手の国からも来るのだろう。後宮には王の妃がたくさんいて、百人を超える御子たちがいるそうだ」


「そんなに……」


 カナンが絶句していると、シオンは苦々しい表情を浮かべた。


「それだけたくさんの兄弟がいれば、当然のように色々な争いがあるだろうね」

「そうですね。あの人がそんなに末の皇子だとしたら、皇太子という人はどんな人なのでしょうか?」

「そうだね。カナンが聞けたら聞いてみるといい」

「はい、シオン王子」


 カナンはイスから立ち上がると、シオン王子の寝室から退室した。


  

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