第9話 剣の手合わせ
翌日もよく晴れた爽やかな日だった。
二日目の予定は午後からだったので、カナンは自分の部屋でゆっくりと朝食を取ってから、窓辺にもたれて午後からのことを考えていた。
昨夜のように怯えていては今日は乗り切れない。
二言三言で済む晩餐会とは違い、一対一で会話しなければならないのだ。あの書物のことは一旦忘れよう。
「午後はトゥラン皇子を庭に案内して、お茶を一緒に飲む予定だったよね、兄さま?」
「王子、お忘れですか?」
ナガルにたしなめられて、カナンはハッと息を呑んだ。
「……済まない、ナガル。少し気が緩んでいた」
危ない危ない。
トゥラン皇子の前で、もし間違えて兄さまなどと呼んでしまったら、取り返しがつかない。
カナンは頭を振ってから、両手でビシッと頬を叩いた。
「シオン王子!」
突然、ノックもせずにジィンが部屋に入って来た。
何を慌てているのかわからないが、いつもは冷ややかなその顔に、わずかに焦りの色が浮かんでいる。
「シオン王子……」
「ジィン、何かあったのか?」
「実は、予定が少し、変更になりそうです」
ただの予定変更にしては、ジィンの眉間のしわが深すぎる。
カナンとナガルは思わず顔を見合わせた。
「ジィンさま、どのような変更なのですか?」
ナガルがそう聞くと、ジィンは大きく息を吐いてから詳細を話し出した。
「トゥラン皇子が、わざわざシオンさま付きのわたしを呼び出して、長旅で剣の練習をしていないから少し体を動かせる場所を貸して欲しいと言ってきたのです。わたしがご案内しようとしたのですが、トゥラン皇子はあなたに案内を頼みたいとおっしゃって」
「確か午前中は、スーファ王女たちと予定があったんじゃないか?」
「ええ、そうなのですが……どうも、スーファ王女がお世話を焼きすぎたのが原因のようで」
「そうか……」
カナンは視線を落とした。シオンの衣装を身に纏った自分の体が目に入る。軽装ではあるが、案内するには十分だろう。
「シオンさまが案内すれば、たぶん剣の相手を頼まれるでしょう。どうします、断りますか?」
深刻な顔をして尋ねるジィンに、カナンは一瞬だけ考えて答えを出した。
「断ったら、王子の健在ぶりを示すことが出来なくなりますよね。体が弱くてあまり剣の練習はしていないと言っておけば、多少弱くてもそれほど不自然ではないでしょう。ぼくも少しくらいなら剣を使えます。大丈夫です。ぼくだけでは練習にならないでしょうから、ジィンとナガルも相手をしてあげればいい」
あっけらかんと答えるカナンを、ジィンは眉間にしわを寄せたまま、信じられないモノを見るような目で見つめる。
「大丈夫ですよ、ジィンさま」
ナガルもジィンを安心させるようにうなずきかける。
「……わかった。では王子、お部屋の方へお迎えに上がりますので、準備をお願いします」
ジィンは怒ったような顔をしたまま部屋を出て行き、カナンは慌てて秘密の通路へ飛び込んだ。
ナガルはそれを見届けてから、ジィンの後を追って部屋を出て行った。
〇 〇
半時ほど後、カナンたちは王宮正殿内の建物に囲まれた四角い広場にトゥラン皇子を案内した。主に王族の男子が練習に使う広場で、地面はきれいにならされている。
「いい練習場だ。ありがとうシオン王子」
トゥランは一緒に来た従者から剣を受け取ると、もう一度カナンの方へ振り向いた。
「相手をしてくれるかな?」
近くで見るトゥラン皇子は、確かに魅力的な青年だった。
整った顔立ちというならジィンも美しい顔をしているけれど、トゥラン皇子にはジィンにはない甘さがある。
大国の余裕なのかはわからないが、人を魅了する術を持っている。外交を一手に任されているのもうなずけるというものだ。
「さっきも言いましたけど、ぼくでは役不足ですよトゥラン皇子」
カナンはトゥランを見上げた。彼はカナンより頭一つ以上背が高い。すらりとした体つきからは、十分鍛え上げられた俊敏さがうかがえる。
(サウォル兄さまよりも上か……)
カナンが相手の強さを値踏みしていると、トゥランがニッコリと笑った。
「きみが病気がちで、剣の練習をあまりしてないのはわかってるよ。それでもきみに相手をして欲しいんだ」
「わかりました。ぼくでも、トゥラン皇子の準備運動の相手なら出来ると思います。その後は、どうぞぼくの従者と本気の打ち合いを見せてください」
カナンはそう答えると、剣を受け取るためにナガルに手を差し出した。
「お待ちください。せめて、練習用の剣でお願いいたします」
ナガルを手で制して、ジィンがトゥラン皇子に願い出る。しかし、トゥランは首をかしげて笑う。
「真剣でなくてはつまらないだろ? 大丈夫だよ、きみの大事な王子さまに怪我をさせたりはしない」
その言葉を合図に、ナガルがシオン王子の剣をカナンに手渡す。
「手加減してくださいね、トゥラン皇子」
カナンも笑みを浮かべながら広場の中央に向かって歩き出し、トゥランと距離を置いて対峙する。
「もちろん」
トゥランはゆったりと片手で剣を構え、カナンは両手で剣を構えた。
次の瞬間、トゥランが動いた。
カナンが咄嗟に後退り剣を振り上げると、剣の合わさる金属音が響き渡り、気がついた時には目の前にトゥランの体が迫っていた。
(重たい剣だ)
どうやって防いだのか思い出せないが、力技ではすぐに負けてしまうだろう。
「手加減してくださる約束です」
カナンはそう言ってから、するりと身をかわした。
カン、カン、カン!
何度も繰り出される剣を、カナンは流れるようにかわしながら弾く。
「おっ……おやめ下さい」
剣を合わせる二人の方へ出て行こうとするジィンを、ナガルが両手で抑え込む。
「ジィンさま、大丈夫です」
「ナガル! おまえは心配じゃないのか?」
「まぁ、見ていて下さい」
ニヤリと笑うナガルの顔から、ジィンは剣を合わせる二人の方へ視線を移した。
どう見ても攻撃しているのはトゥラン皇子の方で、カナンはそれを辛うじて受けているだけに過ぎない。
(何が大丈夫なもんか。このままあの娘が怪我でもしたら、この計画自体が水の泡じゃないか)
ジィンがそう思った時だった。
流れるように動いていたカナンが、ふいに動きを止めた。
うち合わさった剣が滑り、カナンの手が高く上がる。
そのまま、カナンの手から剣が弾き飛ばされ、カシャンと地面に剣が落ちる。
「参りました」
カナンはトゥラン皇子に一礼すると、剣を拾いに出てきたナガルの元へ戻って行く。
「まだ出来るだろう?」
トゥランの声に振り返ると、心なしか不機嫌な顔でカナンを見つめている。
「ぼくはもう限界です。この手ではもう剣を持てません」
前に差し出したカナンの手は、小刻みに震えていた。
「どうか、ジィンかナガルにお申し付けください」
カナンがにっこり笑ってそう言うと、トゥランはあきらめたようにナガルを指名した。
「確か、二年前はいなかったな」
「はい。自分はシオンさまの従者になったばかりですので」
「手加減はなしだ」
「はい」
トゥランとナガルが動き始めると、カナンはジィンの隣へ戻り、建物の壁に寄りかかって二人の試合を見つめた。
「……お怪我は?」
小声でジィンが聞いて来た。
ちらりと横を見ると、ジィンは真っすぐ前を向いたままだった。
「大丈夫だ。怪我はない」
カナンも試合に目を戻して、小声で答える。
「どこで剣の練習を?」
「家で、ナガルと他の兄たちと」
「驚きました」
カナンがもう一度横を向くと、今度はジィンもカナンの方を向いていた。
本当に驚いたのか、いつもの意地悪そうな表情はなく、普通の顔をしている。
「ぼくは、ちゃんとやるって言ったでしょ?」
「王子としては、まだまだですがね」
元通りの冷たい表情を浮かべると、ジィンはまた前を向いてしまった。
カナンは小さく肩をすくめてから、戦う長兄の背中に視線を戻した。
さっきまでとは違う迫力ある動きで二人は剣を交えている。どちらもかなりの使い手で、なかなか勝負はつかないだろう。
ナガルが負けるとは思わないが、引き際は難しいだろう。
カナンがそんなことを考えながら見ていると、トゥランの動きが少しだけ鈍くなっているような気がした。
短い時間とは言え、カナンとも剣を交えたトゥランは、ナガルよりも疲れているはずだ。
(まずいな……)
万が一、トゥラン皇子に恥をかかせるような事になったら大変だ。
カナンは本気で心配したが、それは杞憂に終わった。
次の瞬間、ナガルの剣は空高く弾き飛ばされていた。
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