第5話 岩香茶

 ハルノに貰った岩香茶いわこうちゃの袋を抱えて王子宮に戻ったカナンは、厨房で湯と茶器を貰って自分の部屋に戻って来た。


「どこへ行っていた? 侍女の姿で散歩したあとは優雅にお茶の時間か? まったくお気楽なやつだな」


 誰もいないと思っていた自分の部屋には、大嫌いなジィンが待っていた。


「今日はもう、ジィンさまの指導は終わりだと思っていましたので、王宮内を探検しに行って参りました。何かご用でしょうか?」


 ジィンの言葉にカチンときたカナンは、ニッコリと笑みを浮かべ思いきり丁寧な受答えをしながら、茶器の乗った盆を円卓の上に置いた。


 その円卓の上には数冊の見知らぬ書物が置いてある。


「それは月紫国ユンシィについて書かれた書物だ。おまえの兄に頼まれて持って来た」

「……それは、ありがとうございます」


 お礼もそこそこにカナンが書物に手を伸ばすと、それを阻むようにジィンがカナンの手首をつかんだ。


「こんなものを読んでどうするつもりだ?」


「どうするって、相手のことを何も知らずにトゥラン皇子と話すなんて、あたしには出来ません。だから兄に頼んだのです。いけませんか?」


 カナンはそう言いながらジィンの手を振り払おうとしたが、がっちりとつかまれた手はびくともしない。


「余計なことはするな。知識を得ようとするのはいいが、書物を読んだくらいで知った気になるな。おまえの言動でこの国が窮地に立たされるようなことになったら、わたしはおまえを絶対に許さない!」


 憎しみを込めた目で見つめられて、カナンは恐怖で身体が震えたが、同時に怒りが湧いて来た。


「あなたは……あたしが喜んでここへ来たとでも思ってるの? 冗談じゃないわよ! いきなり愛する家族が赤の他人だと知らされて、都へ呼び寄せられたのよ。王命じゃなきゃ、誰がこんな所に来るものですか! 月紫国の皇子にだって会いたくないわ! この際だから言っておくけど、あたしもあなたのことは大っ嫌いだから!」


 じわりと目頭が熱くなって、カナンは必死にジィンの手を振り払った。


(こいつにだけは、泣き顔を見られたくない)


 カナンの思いが通じたのか、今度はあっさりとジィンの手がほどけた。

 そして、カナンが背を向けている間にジィンは部屋から出て行った。



 〇     〇



「ユイナさんには悪いけど、あたしあの人嫌いです」


 カナンがそう言うと、寝台の上でシオンがくすくすと笑った。

 昨日と同じ夜更けに、カナンはユイナと共に王子の部屋を訪れていた。


「そんなこと言わずに仲良くしてくれないかな。ジィンは真面目過ぎるところがあるけど、ぼくにとっては兄のような存在なんだ」


「シオンさまを思うあまり、あたしを認めたくないのはわかってるんです。でもダメ。たぶんお互い天敵を見つけちゃったってヤツなんです」


「本当に申し訳ありません」


 ユイナが謝りながら茶器の乗った盆を持って来た。


「変わった香りのお茶だね」

「はい。これは、カナンさまがお友達から頂いた岩香茶です」


「花のような香りでしょ? あたしも昼間飲んでみましたし、シオンさまが飲んでもいいか医師にも確認してもらいましたから、大丈夫です」


 カナンもユイナから器を受け取り、一口飲んでみる。花のような香りとはまた違った、清々しい味わいのお茶だ。


「うん。すっきりしたお茶だね」


 王子の笑顔を見て、カナンはホッとした。


「良かった。体にも良いって聞いたから、シオンさまに飲んでもらいたかったの。良かったら毎日飲んでくださいね。ユイナさんに預けてあるから」


「それなら、カナンも毎日ここへ来てよ。それなら間違いなく毎日飲むから」

「わかりました。ここに居る間は毎日来ます」


 カナンがにっこり笑って請け合うと、シオンは困ったような顔をした。


「カナン……ぼくはきみに、ずっとここにいて欲しいと思ってるんだ。月紫国ユンシィの皇子が帰って、ぼくが王位継承権を誰かに手渡した後も、ずっと、ぼくの妹として側にいて欲しいんだ」


「でもあたしは……」


「きみがいまの家族を愛していることも、南へ帰りたがっていることも知っているよ。それでもぼくは、家族と一緒に暮らしたい。父上は王だから、ぼくの家族とは言えない。ぼくはずっと一人だったんだ。カナンにとってここは居心地が悪いかも知れないけど、ぼくの側にいてくれないかな?」


「あの……それは、たぶん難しいかと」


 シオンの願いを拒否するのは心が痛かった。


「ほら、この辺りの人は双子を嫌うって聞いてます。あたしがここに残ったりしたら、シオンさまにも迷惑がかかりますよ」


「ぼくは、そんなの気にしないよ!」


「でもねぇ、ユイナさんだってそう思いますよね? 北の人は、特に王宮の人は双子を忌み嫌うって」


 カナンに話を振られて、ユイナは困ったような顔をした。


「いえ……そのお話は、水龍スールンの古王国時代の伝説が元なのです。古王国が滅びる原因となったのが、王家に生まれた男女の双子だったことから、双子は不吉だという意識が後の世にまで伝わり、特に王家では根強く残っています。もちろん、そう思わない者もたくさんいます」


「へぇ、古王国ですか……」


 初めて聞く話だった。

 カナンの住む水龍の南部は、古い時代には別の国だったというから、双子の話も伝わっていなかったのだろう。


 カナンはもちろんここに残る気持ちなどないけれど、例え残りたいと言ったところで、双子を忌み嫌う王家がカナンを受け入れてくれるとは思えない。万が一受け入れてくれたとしても、それは政略の道具として使うためだろう。


「カナン、ぼくは諦めないよ」


 シオンの真っすぐな目を見て、カナンは自分の気持ちを飲み込んだ。


「それなら、なおさら元気にならないといけませんね。あの王さまに対抗するなら、ものすごく体力と気力を使うと思うわ」


 カナンは笑った。


「あたしの天敵も、きっと猛反対すると思いますよ。シオンさまは、王さまだけでなく、兄のようなジィンさまも説得しないといけないんですよ」


「うん。そうだったね」


 シオンも笑った。

 二度目の訪問は、和やかに終わった。

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