第4話 カナンの憂鬱


(いい天気だ……)


 カナンがこの城に来てからは曇りがちな日が多かったのに、ここ数日はからりとした晴天が続いている。

 そろそろ夏の季節が始まったのかも知れない。


 窓辺にもたれて外を眺めていたカナンは、窓の外の澄んだ青空とは裏腹に憂鬱なため息を漏らした。


「どうした? らしくないぞカナン」

 長兄の声に振り返ると、ナガルの大きな手がいきなりカナンの頬をつまんだ。


「兄ひゃま」


「何を悩んでる? 今は兄妹二人きりだ、何でもおれに話せ」

「兄ひゃま、いひゃい」


 真面目な顔で問いかけながら、兄はなかなか手を放さない。

 カナンがナガルの手の皮をつねると、ようやく兄はカナンの頬から手を放した。


「で、何を考え込んでいたんだ?」


 ナガルは腰に手をあてて、両手で頬をさすっているカナンをじっと見下ろしてく

る。


「いろいろよ……いろいろ考えてしまったの」


 カナンだって兄に相談したい。けれど、自分でも何が憂鬱なのかわからなかったのだ。

 王子付き武官ジィンやユイナの言葉、それにシオン王子の言葉が、カナンの頭の中をグルグルと巡っているだけで気が滅入ってくる。


「ねぇ兄さま、王子さまが……お世継ぎを別の誰かに譲ったりすることってあるのかな?」


「まあ、無くはないだろう。王子さまは、おまえにそんな話をしたのか?」

「うん……」


 ナガルが長椅子に腰かけたので、カナンも兄のすぐ隣に腰かけた。


「お体が弱いから政務には向かないって。だから、あたしのお役目もあまり意味はないって」


「なるほど、冷静な判断だな。で、おまえはどうするつもりなんだ? 役目を返上して南へ帰るか?」


 ゆったりと腕を組んでカナンを見つめるナガルの目には、カナンの惑いを面白がっている様な光がある。


「兄さまったら、そんなこと出来るわけないじゃない! 例え将来的に無駄になったとしても、まだ何も決まった訳じゃないんだもの。今はまだ、月紫国ユンシィの皇子を騙す必要があるってことだわ」


 自分でそう言ってから、カナンは呆れた。

 どうなろうと構わないと思っていたのに、どうやら自分はシオンに同情してしまったらしい。


「そう思うのなら、もう迷うな。精一杯王子さまの代役を務めろ」


 ナガルは優しく微笑むと、カナンの髪をくしゃくしゃとかき回した。

 カナンは小さい頃から、長兄のこの大きな手が大好きだった。


「……そうよね。とりあえずやってみるか」


 いつの間にか頭の中もすっきりして、カナンは笑みを浮かべた。


「そうだ。笑っていろカナン。おまえは元気だけが取り柄だからな」

 

 立ち上がろうとするナガルを、カナンは腕につかまって引きとめた。


「兄さま、もう一つだけ教えて! この国が月紫国ユンシィの属国になったらどうなるの? 水龍国スールンは山と海に囲まれた小国だから、たまたま独立を保っていられたのでしょう? でも、他に攻める国が無くなれば、月紫国だってこの国を放っておいてはくれないわ。来週皇子が来るのは、そういう意味もあるんでしょう?」


「王子さまはそんな事までおまえに話したのか? カナン、おまえがそこまで心配する必要はない」


 ナガルは空いている方の手を、そっとカナンの肩に乗せた。


「でも、相手の事を知らないのは不安だわ。ねぇ、月紫国の統治はひどいの? 属国になった国の人たちはどんな暮らしをしているの? あたしは知りたいの。知ってからじゃないと、月紫国の皇子となんか渡り合えないわ!」


「渡り合うっておまえ……」


 ナガルはがっくりと頭を垂れた。


「おまえの役目は王子の健在ぶりを示すことだけだろう。滞在中に何度か会って話をするだけだ」


「その話よ! 当たり障りのない話をするのはわかってるけど、月紫国の実情を知ってるのと知らないのとでは心構えが違うのよ!」


 ナガルの腕をつかんだまま訴えるカナンに、ナガルは根負けした。


「わかった。出来る限り調べてみよう。だが、くれぐれも突っ込んだ話はするなよ」


 厳めしい顔でカナンに釘を刺すと、ナガルは今度こそ部屋から出て行った。



 〇     〇



 午後になるとようやくジィンが姿を現したが、昨日の言い合いが尾を引いているのか、ずっと不機嫌そうにいくつか立ち居振る舞いの指摘をしただけで帰ってしまった。


 カナンは暇をもてあまし、侍女のお仕着せに着替えると、いつものように王子宮を抜け出した。

 王子の姿では王子宮の中を出歩けないのだから、カナンが私室を出たい場合は侍女のふりをするしかない。だから、これは仕方のないことだ。

 カナンは胸の中で言い訳を繰り返しながら、王宮の中をうろうろと歩き回った。


 歩き回ると言っても、王宮の表側は警備の兵がいたり庭園の手入れをする庭師が働いていたりと、暇をもてあました使用人が散歩できる場所は少なく、カナンは結局、使用人たちが休憩していても不自然ではない裏庭に足を向けた。


「あれ、カナンじゃない。いま休憩?」


 池のほとりの大きな石に腰かけていたカナンに、ハルノが声をかけて来た。


「うん。ハルノは仕事中?」


 カナンはハルノが手にしている籠の中をのぞき込んだ。乾いた草がたくさん入っている。これが干した薬草なのだろう。


「まあね。でも、ちょっとくらいなら大丈夫」


 ハルノはそう言うと、カナンが座っていた石に自分も腰かけた。座れる面が少ないから、二人はかなり密着することになる。

 物怖じしないハルノに、カナンは思わず笑ってしまった。


「あんた、まだ都に来たばかりなんでしょ? 今度休みがあったら街を案内してあげようか?」


「えっ……そっか休みか。あたし、都に来てひと月くらい経つけど、王宮から出たことないんだ。でもなぁ、休みは無理かなぁ」


 カナンは仕事をしている訳ではないので、王宮で働く人々のように決まった休日がある訳ではない。


「なんかこの前より元気ないね。なんかあったの?」


 ハルノはカナンの方を向くと、そばかすの浮いた顔を遠慮なく近づけて来る。


「えっ、べつに……」


 カナンは否定しようかと思ったけれど、ハルノの真っすぐな瞳を見て考えを変えた。


「実はさ、病気がちの兄がすっかり気弱になってるの。自分で治そうっていう気持ちがないって言うか……それがなんか、あたしにはもどかしくてさぁ」


「はぁーん、気の病か。あんたの兄さんには、病気を治すのに一番大事なものが欠けてるんだね。南にいるんでしょ? 気候的には悪くないのにね」


「そうね。もともと体が丈夫じゃなかったから……」


「そういう人でもさ、気分がすっきりすると前向きになれるもんだよ。気持ちが前向きになると、不思議と病も良くなることがあるから諦めちゃダメだよ。そうだ、あたしの岩香茶いわこうちゃわけてあげようか?」


「岩香茶?」


 カナンは首をかしげてハルノを見つめた。


「知らないの? あたし東の出身なんだけどさ、東の山里の人間は、昔から岩場に生える薬草をお茶にして飲んでるの。香りが良くて結構おいしいのよ。気の病に効くんだって。そのせいかわかんないけど、うちの地元で気の病になる人なんて見たことないよ」


「へぇー、そうなんだ。うん、ハルノ見てるとわかる気がする。なんか良い意味で気を使わない感じが、すごく」


 思わず笑いがこみ上げてくるが、堪える。


「どーせあたしは気を使わないわよ。いっつも医務局のジジイに言われてるわ」


 ハルノは口を尖らせてふて腐れた。


「だから、良い意味でだって! あたし、ハルノと会ったばかりなのに、なんかずっと友達だったみたいな気がするもん」


 ハルノの日常を思い浮かべながら、カナンはとうとうアハハと声を出して笑ってしまった。


「ならいいけど、カナン笑いすぎ。で、どうする? 岩香茶いる?」

「うん。欲しい。試してみたい!」

「わかった。ちょっと待ってて。ササッと行って取って来るからさ」


 ハルノは早速立ち上がると、籠を抱えたまま裏庭の奥に消えて行った。

  

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