死に至る病

有希英

死に至る病

 は、必ずしも不治ふちの病ではなかった。

 ひとつ前提としておくならば、実のところそれは疾病としてまだ認められていない。えて病と呼ばれる所以ゆえんは、少なからずの大人たちが一度は罹患し、多岐にわたる症状を乗り越えてなお、再発の恐怖や後遺症に苦しむ脅威を病に例えたのだ。フラッシュバックやトラウマなど、精神をむしばまれるものもあるという。

 反して、冒されている自覚もないほど軽症である者もいる。感染力が強いわけでもなく、社会問題になることもない。心身共に健康であるならばその存在すら知らずに生きる者もいる。

 だというのになぜ、これほどまでに蔓延はびこってしまったのだろうか。

 答えは明瞭である。認められていない、この一言に尽きた。

 多くの症例が話題に上るにもかかわらず、それが囁かれるのは水面下――SNSやラジオなど匿名性の高いメディアばかり。認知度に欠けていたことには研究など発展しなかった。俗説では20歳までの罹患りかん歴は50%を超えるとまで言われているのに、政府は依然としてまれな病気であるという認識でおり、別段な措置も取られていない。

 患者が隠したがるのも無理はないのだ。世間の罹患者への態度は同情ではなくナメクジを見るようなものであった。若者なら尚更、周囲のレッテルや冷遇を恐れ、ともすれば患ったことを認められずに自分すら騙すように否定する。そんな状況ではどれほど英明な医師であろうと診断も治療もままならない。ただ時代の変遷へんせんとともに収束するのを眺めているだけである。世論でも未だに精神の弱さだとすら言う始末であるのは、彼ら自身が冗長しているといって過言ではない。

 研究を放棄された以上、有効な治療法は確立されておらず、対症療法も存在しない。他者が差し伸べる手すら無力に、ただひたすらその病に身をもてあそばれ、抗うことなどできぬまま徐々に身の内をおかされてゆく。しかもあろうことか、この症状は進行すると麻薬のような恍惚を生み出すのだ。甘美な毒――明るい未来をむさぼる沼が待ち受けている、そのことに気づいた賢明なる者は、その罠から逃れようと己を律し、早々に病に打ち勝つだろう。症状が重症化していくほど、出口の見えない暗闇の人生が待っているのだが、人間はやはり快楽に弱いようだ。

 その甘美な毒に掛かってしまった若者は、黒染めの血の池に腰まで浸かっているというのに最初は手の内にいるとも思わない。いわゆる潜伏期である。発症し、急性期になると最早、辺りが暗闇に染まっていようとも多くの者は怖れない。手を伸ばす先には、同じように罠に掛かりながらも自信溢れた声で笑う慢性期患者がいるから。この先は明るい、いや、長い暗闇すら楽しいぞ、と。

 その罹患者の多さはコミュニティ、世代を超え、漂う電波のなかで情報が錯綜する中、いつの間にか新造語になるほどに人々に浸透した。若人を食い物にするサブカルチャー界隈では、面白おかしく罹患者を描写することすらある。それもまた、罹患率を高める一助となっていると、どれほどの大人が理解しているのだろうか。それとも、理解していて、そのような者達から搾取するために、助長を蓮の池から見下ろしているのかもしれない。奈落の底でたわむれる弱者たちをわらいながら。


 に恐ろしき、その病の名は、中二病という。




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コメント

 そうです わたすが 中二病です

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