大作家・超新星流一郎 ~Crazy Writer~

わたしは、女子大を出て都内のある出版社に入社したばかりの、新人編集者だ。


わたしの担当作家は、超新星ちょうしんせい流一郎りゅういちろう先生。


今日もわたしは、都内某所の喫茶店で超新星先生と打ち合わせをしていた。

「先生、新作のプロットは進んでいるでしょうか」

「まずまずといったところかな」

わたしが訊ねると、超新星先生はコーヒーフロートに乗っているアイスをスプーンですくって口に運ぶ。

「今はプロットを文章に起こす前の取材に励んでいる。たぶん今月末までには形になると思うがね」

口髭についたアイスクリームをペロリと舐めとりながら、超新星先生は言った。


大作家・超新星流一郎。55歳。わたしの父親よりも年上。

クソみたいなペンネームだが、腹の立つことに、書くものは凄く面白い。

彼の書いた本は、全てが飛ぶように売れる。話の筋が面白いだけではなく、彼の紡ぐ物語には異様なリアリティがあり、読者の心を鷲掴みにするのだ。


に取材が終わるということは、には第一稿が頂けるんですね?」

スケジュール表に日程を書き込みながら、わたしは確認した。

普通の作家ならブチ切れる、あるいは絞め殺されても文句は言えない台詞だろう。

「そうだね。12万字ぐらいになるかな。できあがり次第メールするよ」

しかし、超新星先生は当然のごとく答えた。

いちど書き始めると、超新星先生の筆は早い。それはもう本当に早い。新種の何かのような動きでキーボードを連打する先生の指は、冗談抜きで気持ちが悪い。

「超新星先生。前から思っていたのですが、先生はどうしていつも、あんなに気持ち悪い速度で原稿を書き上げられるのですか?」

わたしが訊ねると、先生は小学一年生に算数を教えるような顔になった。

「決まっているだろう。事前にしっかり取材をしているからさ」


取材。

そう。超新星流一郎は執筆よりも、取材に掛ける時間の方が遥かに長い。

「取材とは読んで字のごとく、材を取ることだ。入念に緻密に、時間をかけて最高の材料を仕入れ終えたら、もう作品の完成までそう手間はかからない」

50過ぎて超新星とか言ってるおっさんは、なんだか良いことを言った。

「なるほど、凄いですね。一度、先生が取材している姿を見てみたいものです」

「別に構わんよ」

「えっ?」

何の屈託もない顔で言われたので、わたしは驚いた。

「ちょうど明日は一日かけて、きみのところを含めた各出版社から頼まれている色々な作品の取材に行く予定なんだ。よかったら同行するかね」

「いいんですか? 邪魔じゃないですか?」

「来るものは拒まないよ」

「先生は必ず取材をお忍びで行い、他人に見られるのは嫌いだと聞いていましたが」

「根も葉もない噂だよ。今まで、同行したがる編集がいなかっただけだ」

大作家・超新星流一郎の取材術。

編集者として、これはとても勉強になるのではないか。

「ぜひご一緒させてください!」

わたしはワクワクして言った。


翌日の早朝。超新星先生に呼び出されたのは、都内某所のさびれた雑居ビルだった。

まだ日が昇らない薄闇の下、先生は足元を走り回る何かに餌をやっていた。

仔猫かと思ったが、それは仔猫ぐらいの大きさのドブネズミだった。

「やあ、きたね。こっちだこっち」

わたしの姿に気づいた先生は、笑顔で手招きする。何かの間違いかなと思いつつ近寄ると、先生の足元をくるくる回っていたドブネズミは素早く排水溝に逃げ込んだ。

「このビルの五階だよ」

先生に連れられ、赤茶色に錆びついた螺旋階段をのぼる。

わたしのハイヒールが、かんかんと音を立てる。

小姐シャオジエ我有好药ウォゥヨゥハオヤオ(お嬢さん、いいクスリがあるよ)!」

三階を越えた辺りで、ビルの窓から青白い顔を覗かせた男が叫んできた。

先生は男に笑顔を向けたまま首を横に振った。わたしは聞こえないふりをした。


「さあ着いた。ここだ」

先生に言われるがまま、五階の小さな部屋に入る。

そこには、椅子に座った一人の男がいた。

とても目つきの鋭い、角刈りで、眉が太く、煙草を咥えた、屈強な男だった。

「やあ初めまして、ミスター・ゴノレゴ」

「…………」

先生の挨拶に、男は答えない。

聞こえてないのかな? わたしが思っていると、男はゆっくりと煙草を口から離し、ふうっと煙を吐き出した。

「……用件を聞こう……」

聞こえていたらしい。

「私は超新星流一郎。作家だ」

恐ろしげな風貌の男に臆した様子もなく、先生は向かいの椅子に腰かける。

「実はいま、『先鋭なる魔弾』というクライムノベルの執筆構想をしていてね。そのネタを練るため、君に取材をさせてもらいたいのだ。世界一のころ……けほん」

ちらりとわたしの顔を見て、先生は空咳からぜきをした。

「世界一のアレであるところの、ゴノレゴ氏にね」

誤魔化ごまかしたつもりらしいが、「ころ」まで言ったら大体わかる。

「……おれの……手のうちを探ろうと言うのか……」

ゴノレゴ氏は気分を害したようだった。

「いやいや、そういうつもりではない。君に敵意を持っているわけでは決してない。ただ純粋な創作的探求心で、世界一のころの生き様というものを知りたいのだ」

先生はもう普通に殺し屋と言った。

「……勘違いするな……俺は殺し屋ではない……狙撃手だ……」

どっちでも同じだった。

「そうか。失礼した。ならば私は、世界一の狙撃手の生き様を知りたいのだ」

「……わかった……引き受けよう……」

引き受けられた。

「……おれは……幼少期を……ある大陸の施設で……過ごした……」

ゴノレゴ氏は己の生涯を語り始めた。彼の独白の半分近くは……三点リーダだった。

先生はふむふむと頷きながらメモを取っていた。


クライムノベル『先鋭なる魔弾』の取材を終えた先生は、次にドロドロ愛憎劇『遠き侯爵夫人の残影』の取材に向かった。

婚活パーティーの会場は、恋に恋する大勢の男女で溢れていた。

「君は誰を選ぶのかな? え、あの男? でも彼はあっちの子にマルつけてたよ」

先生は嘘をつきまくって婚活会場をドロドロにし、歪んだ恋模様に荒れ狂う男女を見ながらふむふむとメモを取った。


先生は次に、武侠小説『月を見上げる阿修羅の如く』の取材に向かった。

空手道場には、真っ黒な功夫カンフー着をまとった鬼のような男がいた。

「強くなりたくば喰らえ!!!」

ギンッと髪を逆立て、地上最強の生物とおぼしき男は言った。


先生は次に、本格ミステリ『砒素でヒソヒソ』の取材に向かった。

帝国ホテルの最上階には、なんとあの有名なホーロック・シャームズがいた。

「お嬢さん。君からは微かにニンニクの臭いがする。昼は餃子を食べたね?」

世界一の名探偵は、わたしについての死ぬほどどうでもいい情報を推理した。


先生は次に、小学一年生増刊号『たのしいすいえい!!』の取材に向かった。

私立まほろば小学校のプールでは、たくさんの子どもたちが水浴びをしていた。

「ここだけは取材許可が降りなかったから、こうやって隠れて観察するのさ」

キャッキャと遊ぶ子どもたちの姿を、先生は物陰から舐めるように見つめていた。


目まぐるしい一日を終え、先生とわたしは終電で帰路についた。

「いやあ、今日も身になる取材ができたな」

先生は満足げに言うが、わたしの精神的疲労はたまったものではない。

「お見それしました。先生がいつもこれほどの労力をかけて取材していたとは」

なるほど。人間、ここまでしないと売れっ子作家にはなれないのか。

「おやおや、けっこう疲れたようだね。まあ取材初心者には少しハードスケジュールだったかな」

「ええ。もうへろへろです。アパートに帰って泥のように眠ります」

「それがいい。私も最後にそこらの屋台で一杯ひっかけてから……おっと!」

「どうしました?」

「いかん、今日はもう一件アポを取っていたのを忘れていた。今すぐ行かねば」

「ええっ!? さすがに今からは無理でしょう。さっきので終電だし。もう先方も寝てますよ」

「いや、幸い場所も時刻も問題ないやつだ」

そう言った先生は胸のポケットから一本のチョークを取り出し、路上に何やら複雑な図面を描いた。

深夜だというのに、魔法陣がまばゆく輝き始める。

「『つるぎの聖女アナスタシア』に取材をしてくるよ。君はもう帰りなさい。絶対に原稿は落とさないから心配しないでくれたまえ」

そう言うと、超新星流一郎は光の柱に飛び込んで消えてしまった。


どうやらファンタジー小説も構想中らしい。本当に、大作家とはタフなものだ。

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