書物の神 ~the Legend of Kinjiro~
金次郎は、村ではかなり大きな農家の次男として生を受けた。
豪農の次男坊。長男のように厳しく
しかし、そんな生活も長くは続かなかった。金次郎が9歳の時、村に恐ろしい暴風雨が到来したのだ。
家の持っていた田畑は、根こそぎ濁流に飲み込まれた。数十年に一度と言われた記録的な水害は、金次郎の実家すら押し流してしまう、凄まじいものだった。
家屋を含め、ほぼ全ての財産が失われてしまった一家の経済状況は一変した。
村外れの借家に移って住居そのものは確保できたが、その生活水準は今までとは三つも四つも下の段階に落ちた。
毎晩のように村の者を招いて宴会を開き、殿様のように豪遊していた父は、すっかりやさぐれてしまった。質の悪い安物の合成酒を飲んでは酔いつぶれ、幼い金次郎に当たり散らすようになった。
子どもたちに優しく、特に次男の金次郎にはひときわ甘く、望んだものは全て買ってくれていた母も、大きく変わった。薄暗い瞳で子どもたちを見つめながら、家計の話ばかりをするようになった。今や金次郎とその兄弟たちは、
落ちぶれてしまった生活水準に、両親も兄弟たちも大きく嘆き、絶望していた。
しかし実のところ、金次郎だけは、今の状況をそれほどは悲観していなかった。
食卓から
死ぬわけではあるまい。一日三食、きちんと食えているのだ。命に
金次郎はまだ10歳だが、すでに大人顔負けの、成熟した人生観を構築していた。
何故なら、金次郎は書物の神を目指していたからだ。
昔から、書物を読むのが何よりも好きだった。
文字が頭の中に吸い込まれ、自分の心に吸収されるのが何とも心地よかった。
金次郎は幼いながら、村一番の読書家として評判になっていた。
豪農であった父は「将来に必要なことを記した書物だけを読め」と言った。つまり農業に関する書物だけを読めと言ったわけだが、金次郎にとって「不要なことを記した書物」などというものはこの世に存在しなかった。
読みたくない書物、苦手な書物などなかった。科学書でも兵法書でも
読んだ文字たちが、いちど自分の中の炎で焼かれて真っ白な灰になったあと、
金次郎は本当に、この世の全ての書物が愛おしかった。
そして災害後の今でも、金次郎はいつも読書に耽っている。
父には一度「家計が窮している今、そんな無用なものは故買屋に売り払ってしまえ」と言われた。基本的に親の言うことには従順な金次郎だったが、その時だけは必死で抵抗した。
『私にとって、書物を失うことは、人生の光を失うことに等しい。ならば自分は今ここですぐさま腹を切るしかない。親父どのは息子に死ねと申されるのか』。そのような趣旨のことを涙ながらに訴えたのである。生まれて初めて見る次男の
だが、書物の売り払いは逃れたものの、それ以来、父の糾弾はさらに厳しくなった。休日はいつも家で書物を読んでばかりの金次郎に対し、「そんな暇があるなら田畑の再建を手伝え」「遊ぶなら遊ぶでよいが、せめて小僧らしく外で村の子どもと付き合うべし」と、安酒に侵された脳髄に浮かぶ限りの罵倒を浴びせてくる。
そして最近、特に機嫌の悪かった晩のことである。いつものように読書に耽っていた金次郎に、父は「明かりが勿体ないから夜に書物を読むな」とまで言い出したのだ。
これには金次郎も怒り心頭に達したが、『明かりが勿体ない』という父の言い分は残念なことに、災害後すっかり倹約家となった母の琴線に触れてしまった。そしてその日から金次郎は、日が落ちてからの読書を禁じられてしまったのである。
しかし、金次郎に読書を止められるはずもない。書物を読みたい。あらゆる知識を吸収したい。文字を眺めたい。なんなら文字ばかりが溢れた風呂に浸かりたい。
ああ、知識知識知識。文字文字文字。書物書物書物。
そういうわけで金次郎は、今日も仕事場へと歩きながら読書を続ける。
両肩には大きな荷物を背負い、両手には膨大な量の書物を抱え、金次郎は歩く。
いつか、書物の神となるために。
『
●●郡■■村の交差点で18日午前7時30ごろ、通学中の小学生男児が乗用車に轢かれる事故があった。轢かれたのは■■村東小学校に通っていた四年生の田中金次郎くん(10)。目撃者の証言によると、金次郎くんは両手に抱えた7インチのタブレット型電子書籍リーダー「Sindle」の画面を眺めながら登校しており、赤信号に気づかず横断歩道を渡ろうとして乗用車と接触した模様。駆け付けた救急隊員により病院に搬送されたが、背負っていたランドセルがうまく緩衝材となったようで、命に別状はなかった。しかし乗用車を運転していた社会人男性(36)は、「あの子は衝突の瞬間までタブレットの画面しか見てなかった。最後まで俺の車を見てなかったし、ブレーキ音も聞いてなかった。撥ねられて宙を舞ってる間も、タブレットだけを見てた。なんていうか、本当に不謹慎だけど、その姿はとても神々しくて」等と意味不明の供述をしており、当局は覚せい剤所持の別件捜査を――』
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