最後の残り火

 


 大海原は気持ちがいい。フルーツに背負われて、遥か上空から見る風景は格別だ。

 たとえば群れで泳ぐイルカたちだったり、大きくも綺麗な虹だったり。

 あるいは……。


「特大の魔力を撃たれて、必死に逃げ回っているルシルだったり」


 叫び声を上げながら必死に逃げ回るルシルは、憐れみを誘うには十分な姿だ。

 嬉々として襲い掛かる学院長は、とても人間には見えない。獲物を追い詰める狩人そのものだな。


「あの、助けなくていいんですか?」


 フルーツの不安そうな声が、ルシルの危機を教えてくれる。

 だが、それには及ばない。


「いいんじゃない。あれが報酬なんだから」


 ルシルは今、自由の対価を払っているのだ。邪魔をするのは野暮だし、ルール違反になる。

 そう、例え死んだとしても。手を合わせて祈るだけだ。



 ★



 ようやく地獄の時間は終わり。気が済んだ理事長は笑い声を上げて、イギリス校に帰った。

 ボロボロになったルシルは、フラフラになりながらも近づいてきたので。

 ぼくは、頭を下げて元気よく。


「お疲れ様です、ルシル先生!」

「……殺しますよ」


 挨拶をしたら、身が凍えるほどの殺意をぶつけられた。もちろん怖くもなんともないが。

 そのまま倒れこみそうになるので、フルーツが慌てて魔力の足場を作り。ぼくがその体を受け止めた。


「流石に死にそうだなあ」

「あたり、まえですよ。相手は学院長なんですから」


 不憫なものだ。

 何故二人は戦っていたのか。その理由は簡単で、ルシルを政府から解放するための条件だったからだ。

 学院長が魔法政府を脅し、解放しなければ人類ごと滅ぼすぞと宣言をした。それだけで釈放だったので、代価として戦えとルシルを脅したのだ。

 一度世界を滅ぼしたルシルは、学院長の興味を引いてしまったのである。


「でもさあ、割と善戦していたな」


 殺されたくないと言う感情は、呆れるほどの力を生む。

 戦う場所がここでよかったと思えるほど、大規模で高威力の潰し合いだったから。


「ぜんぜん、ですよ。手も足も出ませんでした」

「それはなあ」


 ルシルが放つ光線は、全て避けられていたし。星を落としても魔力で砕かれていた。

 世界を滅ぼしたルシルは、どうやってあの化け物に勝ったのか。


「でもまあ、これで自由になったんだ。文句はないだろう?」

「自由になんて、なっていませんよ」


 少しだけ元気が出たのか、ルシルは足場に座り込む。

 ぼくとフルーツも隣に座り、三人で水平線を眺めた。


「この身は自由になりましたが、いくつかの条件が付きました」

「へえ」

「当然でしょう。お姉ちゃんは悪いことをしたんです」


 フルーツがとても厳しい。ルシルに優しくする気は、毛頭ないらしい。

 それに苦笑しながら、ルシルが説明を始める。


「……また転勤ですよ。今度は激戦区です、一年じゅう戦争をしているような地域に飛ばされてしまいました」

「どこ?」

「ムゲンくんは知らない場所ですよ。魔法使いが作りだした大陸なので」


 それなら知るわけがないな。


「出発は三日後なので、準備をしておいてくださいね」


 準備をしておいてくださいね。……うん?


「まさかとは思うが、ぼくも行くのか?」

「当たり前ですよ。アメリカ校に来たのだって、私のとばっちりじゃないですか」


 そういえばそうだった、なんの罪もないぼくは。ルシルのせいで、こんなところまでやってきたのだ。


「……拒否とかは?」

「出来ません。貴方は私の愛弟子なんですよ」

「フルーツだけでいいだろう」

「駄目です」


 断言されてしまった。今度こそ弟子を辞める時か、遂にその時が来たのか。


「なんでそんなに嫌がるんですか。私との日々が嫌になったんですか?」

「嫌と言えば、常に嫌だと思っているけど」


 正直なことを言ったら、凄い目つきで睨まれてしまう。

 だがそれは違う理由だ、ぼくは手を上げて落ち着けと主張する。


「約束があるんだよ」

「ああ、大統領との件ですね」


 こいつに話したことがあったのか、あるいはその場にいたのか。

 過去なんて覚えてはいないが、とにかく知っていたらしい。だったらぼくを連れていけないと……。


「ムゲンくんらしくないですね」


 呆れたような顔に、その口調。このまま海に突き落としても、誰も文句は言わないだろう。


「約束なんて、破ってもいいじゃないですか。死ぬわけでもあるまいし、過去に縛られるなんてムゲンくんらしくもない」

「ん?」


 ルシルらしくもないその言葉、もっと真面目な奴だと思ったが。


「私は自分に厳しくしないと生きられない性質ですが、ムゲンくんはそうじゃないでしょう」

「……なんか、変わったな。こんな奴だっけ?」


 その清々しい表情は、前との違いを感じさせる。

 いい意味で、背負っていた荷物が軽くなったような。


「少しだけ、すっきりしたんです。……ああ、ムゲンくんだなって」


 こいつ、もしかして……。

 浮かんできた疑念を振り払うように、ぼくはルシルの頭にチョップした。


「あいた!」

「ぼくの勝ちだな」

「はあ!?」

「これで、ぼくの勝ちだ」


 引き分けでもなく、ルシルの逃げ切りでもない。

 ぼくが、勝ったのだ。


「……いいですよ、もう。よくわかりませんけど、ムゲンくんの勝ちです」

「そうだろう、ぼくの勝ちだ」


 ようやく残ったものが消えた。消えてしまった世界の、心残りはなくなった。

 ルシルに勝つと言う目標を果たし、気分よく全てを終わらせる。

 目の前にあるものは、ルシルに残った性格の残滓と記憶の残り。

 他のすべては、本当にどこかに行ってしまった。でも、きっとこれでいい。


「今日も、世界は綺麗だなあ」

「……本当に、なんですか。らしくもない。ねえ、フルーツ」

「いいじゃないですか、お兄ちゃんが幸せそうなんだから」


 ようやく納得できた、次の国に行くのも悪くもない。今度はどんな楽しみを見つけるのか、まだ見ぬ未来に期待する。

 でも、色々なことにケリをつけるのは大変だなあ。

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