違いがわからない男は、いつかどこかで……
「それで、ムゲンくんは今頃になって、ここに何をしに来たんですか?」
言葉の節々に嫌味が混じる。度を越したら、報復しよう。
「そろそろ限界だって聞いたから、顔を見に来たんだ」
「それだけですか。用事とかは?」
「ないな」
強いて言えば、顔を見ることが用事だった。
「……なら、もう帰ったらどうですか。顔は見たでしょう」
「ああ、そうだな」
拗ねたようなルシルの言葉。ぼくはその通りだと頷くと、そのまま出口へと向かう。
まだ大丈夫だろう。余裕はないかもしれないが、限界を迎えてもいなかった。
「ま、待ってください! 本当に行くんですか?」
「もちろん」
振り返ると、なんだか不満そうな顔をしている。何か言いたいことでもあるのだろうか。
「せっかく来たのに?」
「ああ」
「少しくらい、私に興味がないんですか?」
「ああ」
何を言っているのだろう、そんなものがあるわけない。
ルシルの観察は終わっている。もう少し興味を惹かれる行動をしてくれないと、関心なんて持てない。
「……久しぶりなので、お話がしたいです。お茶ぐらいは出しますから、もう少しここにいてください」
「いいけど」
それならそうと言えばいいのに、ハッキリしない奴だ。
帰れと言うから帰ろうとしただけなのに、なんだその声音は。
★
「……渋いんだが」
ルシルの仕事場に戻り、用意されたお茶を飲む。
日本茶らしいが、どこにでも売っているんだなあと、感心してしまった。
「仕方がないでしょう。眠気覚ましなんですから」
散らばっている空の容器を片付けている。その種類は様々で、コーヒーとお茶。あとは栄養剤の数々だ。
「なんで、ぼくが手伝っているんだ?」
「たまにはいいでしょう。ムゲンくんに、お掃除の楽しさを伝えたかったんです」
掃除は必要な行いではあるが、楽しくある必要はないだろう。
どんな感情を持とうが必要なことであり、自分の行った結果の集積でしかないのだ。
「ムゲンくんのお世話をするのも幸せですが、一緒に家事をするのも幸せですね」
「共感を求めるな」
作業には効率を求めればいい。
「ふう、少しは綺麗になったな。ところで、少し変わった?」
「どこがですか?」
なんだろう、少し雰囲気が変わった気がする。
当たり前と言えば当たり前で、これだけの過酷な環境なら無理もない。
「ちょっとだけ、仕事が多かったんだな」
「いえ。慣れてきたので、物足りなくなってきたんです。だからイギリス校から……」
仕事をもらってきたと言っている。
自分で自分を追い詰めていたのか、同情の余地がないな。
「なにそれ」
「書類仕事とは別として、私はこの学院から出ることが許されないんですよ」
ルシルの説明はこうだ。
もう記憶の隅にも残っていなかったが、この学院は壊れた騎士に襲われた。
いつもなら学生の鍛錬の一部になるほどに、危険の少ないものだったが。この前の襲撃は、かなり危ないものだったのだ。
だから新しい警備システムを増やすよりも、世界でも最高の魔法使いを防衛に回したのだと。
「数時間ぐらいなら、外出もできるんですけどね。退屈なので、仕事を増やしたんですよ」
「断ればよかったのに」
そこまでの義理はないだろうよ。それこそ、逃げればいいんだ。
「多くの学生の命がかかっているんです、そうはいきませんよ。イギリス校は危険すぎて、とても全ての学生を守ることが出来ませんでした」
でもここなら。この程度なら、自分一人でも守り切れるのだと。
散ってしまった弟子のためにも、頑張りたいと宣言された。
「そっか。その弟子が誰なのかわからないが、きっと喜んでいるだろうよ」
「……あなたは、本当に。いえ、そうですね。そうだと思います」
とても呆れた、冷たい目で睨まれる。なんだろう。何故そんな目で、ぼくを見るのだろうか。
ぼくが、何かを忘れているのだろうか?
記憶と言うものは、そこに抱いた感情で決まる。つながりもなく、他者と分かり合えないぼくには、深く残る記憶がないのかもしれない。
何も忘れていないと確信しているので、恥じるところはないのだが。
「ところで。やっぱり、少し変じゃないか?」
「なにがですか?」
「ルシルが」
さっきからおかしい。感情の起伏や、表情の変化が激しい。
テンションが高くなっているだけかもしれないが、なんだか違和感を感じる。
「わかりません。疲れも取れましたし、ムゲンくんと話して気持ちも高揚していますし」
「そんなに簡単に、疲れが取れるのか?」
「まだムゲンくんは、普通の社会と魔法社会の違いを、理解していないようですね。栄養剤一つ取っても、色々と違うんですよ」
死にそうな顔をしていた人間の言葉とは思えないが、一理はあるので納得しておく。
でも確実に、ルシルはおかしくなっている。誰かに聞いてみるかな。
それからも数時間ほど会話が続き、穏やかな顔のルシルに見送られる。
別れの挨拶をして、学院を出てから始めて気づいた。
「ああ、そうか」
いつも騒がしいルシルなのに、今日は一度も怒られなかったんだ。
ずっと放置していたから、山のような文句があると思っていたのに。
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