人の限界を超えた者には、強制終了が望ましい

 


 今日は気合を入れよう。


 朝は早く起き、意識をはっきりさせる。しっかりと朝食を食べて、ピシッと服を着る。


 ……そう考えていたけど、三十秒で諦めた。駄目なら駄目で、それでいいのだ。



 ★



 早速、トワからの密告が入った。そろそろルシルが限界らしい。


 これ以上放置したら、暴走するみたいだ。その内容はわからない。ぼくに被害が出ることは確定だ。


 エキトとの小競り合いで酷い目にあったくせに、一人だけ労働の日々に戻っている。


 慰労を兼ねて、色々と聞いてみたいと思った。


「さて、どうしようか?」


 ルシルの居場所は、アメリカの学院にある一室だ。相変わらず、酷使されているらしい。


 部屋の前に来て、恐怖を覚える。物音の一つもしないのは、防音性が高いからと信じたい。


 その割に小さく振動していたり。入ることをためらうほどの悪寒がするのが、嫌でたまらない。


「ここに入るには、まともな心では不可能だ」


 さて、どんな設定で行こうか。……真面目な生徒、無限少年で行こう。


 扉をノックして、静かに開ける。物音を立てないように、静かに歩いていく。


「失礼します」


 室内は、昼間なのに暗かった。カーテンを閉めているのだろう、ぼくは一つだけの光源に向かっていく。


 そこは部屋の中心で、なんだか暗くてよく見えない。


 近づいてみると、積み重ねられた書類の山だ。それらがぼくの視界を、大きく遮っている。


 カリカリという、文字を書く音。ボンボンという力を込めて、ハンコを押す音。


「こ、こんにちわ?」

「……え?」


 仕事をするだけの機械となっていた人物に、声をかける。また人間性が残っていたようで、しっかりと返事をしてくれた。


 髪はボサボサ、隈の濃さが常識を超える。血の気の失せた顔に、大きな疲れがよくわかる。


 机の上に並ぶ栄養剤の山が、哀愁を誘うな。


「ああ、ムゲンくんですか。よく来てくれましたね」


 怒られると思ったが、そんな感情も消え失せたらしい。


 意外にも限界は遠いのか、緩慢にではあっても動きを止めることはない。


 ルシルはぼくを一瞥だけして、机に意識を戻したので丁度いい。


「よいしょっと」


 後ろから羽交い絞めして、用意しておいたハンカチを顔に当てる。


「む、ムゲンくん。何を!!」


 ルシルは言い切ることもなく、その意識を遠のかせた。


「……うーん。効くんだなあ、これ」


 エキトが用意した、ごにょごにょな薬。


 もう少し数をもらって、しばらく持ち歩こうかなあ。


 ……それにしても。真面目な無限君は知られることもなく、設定だけでどこかに消えてしまったようだ。


 残念。



 ★



 そのまま保健室に運び、ベッドで寝かせる。起きるのを待とうと思い、隣のベッドでおやすみすることにした。


 そのまま時間がたち、気づけば夜で。ぼくが起きる前には、先にルシルが起きていた。


「目が覚めましたか、ムゲンくん。……なんで私より、眠りが深いんですか?」


 全ての物事に、納得できるほどの理由なんて存在しない。


 なぜ眠りが深いかと問われれば、眠たかったからと答えるしかないのだ。


「元気になったみたいだな」


 髪は綺麗になり、隈も消えた。ついでに服装も変わっていて、肌に血色も戻っている。


 ぼくが起きる前に、色々と手を尽くしたのだろう。


「人前で恥ずかしいですから。それに、久しぶりにムゲンくんに会えましたからね」

「そうかい」


 強い体をしている。ぼくが同じ目にあったら、一週間は眠りたい。


 八時間程度で極限の疲れを回復できるなんて、こいつも超人と呼べるだろう。


「そういえば、フルーツは?」


 ルシルの質問に、何と答えよう。怪我をして療養中だと、知っているはずだが。


 究極の日々は、思考を鈍らせるのか。


「知らない、別行動中だから」

「……あの子が別行動を? 有り得ないですよ」

「それが、有り得る。世の中ってものは、いつだって予測不能に動くものだから」


 適当に答えてみるが、なんだか納得したように頷いている。


 人から離れていたことで、警戒心が薄れたのだろうか。


「そうですか、あの子も成長したんですかね。ムゲンくんに、危険はないんですよね?」

「ないな」


 あると答えたら、ぼくのバカンスは終わる。一日でも伸ばすために、ぼくは頑張るのだ。


「それにしても、なんで私だけこんな目にあうんですか。ムゲンくんは義理の息子ですよ、子孫である私よりも関係が深いのに」


 ルシルがひどい目にあっている理由は、学院長と血のつながりがあるからだ。


 ぼくとルシルの差は、教師と生徒の差だ。教師と言うものは生徒に甘く、同僚に厳しい。


 生徒と言うだけで、恨みをぶつけてはいけないと。この学院の奴らが、最低限の良識を持っていて助かった。


 その分だけ何倍もの怨恨が、ルシルを襲っているのだが。


「ぼくなら、一秒で逃げるぞ」

「……貴方と一緒にしないでくださいね」


 疲れたようなため息が、ぼくの前で吐き出される。


 その言い分は理不尽だ。嫌なことから逃げるのは、人間の持つ当たり前の防衛本能だろう。

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