世界の見え方

 


「……ん」


 セカイの意識が目覚めたようだ。


 小さい声と共に、ゆっくりと瞼が開いていく。


「ここは?」


 まだ夢うつつに見える、セカイの質問に答える。


 もっとも、大した内容ではないけれど。


「ここは、エキトの店だよ。お前は倒れたんだ」


 本当は二階にあるエキトの寝室に移したかったが、断固として拒否されたのだ。


 無理強いはしなかったが、その代わりにエキトから毛布を借りて、セカイに掛けておいた。


 風邪などを引いていないだろうか? この体はセカイのものではないので、少しだけ気を遣う。


 無理やり体を奪われて、体調を崩されて返還されるなど、理不尽にも程があるからだ。


「そっか、ありがとう」


「礼はいらない。……なんで倒れた?」


 そこが大事だ。セカイに何かがあれば、どんな影響が現れるか、わからないのだから、


「むげんには教えたよね。あたしには世界の全てが、気持ち悪くてたまらないんだよ」


 この模造世界はセカイから生まれた。


 だから全ての存在にはセカイの面影が残っていて、言うなれば子供のように感じているらしい。


 ぼくから見れば言いがかりに等しいのだが、セカイから見れば全てを憎むほどに気に入らないのだと。


「むげんが、むげんが傍にいてくれるから、少しは耐えられるんだけどね。やっぱり、気持ち悪いんだ」


 全ての生物が自分の顔をしているように感じているのか、あるいは鏡の世界で一人生きているようなものか。


 不自然な世界には変わりない。気持ち悪くなっても、おかしくはないだろう。


 それが倒れてしまうレベルだと、初めてわかったが。


「ごめん、しばらくは向こうで休むよ。この体は任せるね」


「わかった、外に捨てておくよ」


 気のない返事を返すと、セカイは苦笑している。


「……それは、可哀そうかな。もう少し優しくしてあげて」


 その辺りは、エキトに任せておけばいいだろう。大した問題じゃない。


「それにしても、むげんは強いね」


「あ?」


「世界の見え方は、あたしと大差ないでしょう? それなのに、普通に生きている。それだけで、心の底から尊敬するよ」


 買いかぶりが酷い。ぼくは、ただ生きることに苦労したことはない。


 セカイにとっては全てが鏡に見える世界だとしたら、ぼくにとっては全てが石ころに見える世界に過ぎない。


 視界を埋め尽くすほどの人間の群れを見て気持ち悪くなるものがいても、自然の風景を見て気持ち悪くなるものはいないと思う。


 見えている風景が、圧倒的に違うだけだよ。


「ごめん、……もう寝るよ」


「おやすみ」


 眠りの挨拶を終えると、誰かの身体からセカイが抜け出た気がした。


 何かが見えたわけじゃないし、何かを感じたわけでもない。


 それでも、なんとなくそう思った。



 ★



「もういいぞ」


 一人になった部屋で、ぼくは声を発する。


 すると二階から誰かが降りてきた、当然だけどエキトだった。


「本当に消えたみたいだね、プレッシャーが消えた」


「プレッシャー?」


 何も感じなかったが。


「……わからなかったのか。仕方ないけど、羨ましいぐらいだよ。ただ眠っていただけなのに、この部屋の全てが悲鳴を上げるようだった」


「ふーん」


 そうなんだ、初めて知った。


「その子は俺に任せてくれ、家に帰しておくよ」


 どうやら話を聞いていたようだ、分かり切っていたことだが。


「無限も寮に帰った方がいい、ルーシーがうるさいぞ」


「大丈夫だよ、住むところが違うんだから」


 イギリスでは同じ家に住んでいたからこそ、文句を言われたのだ。


 今はもう、好き放題に生きても、小言を言われる筋合いはないだろうさ。


「そうかなあ、あの人にそんな理屈は通用しないと思うけど。ほら、無限は自分の弟子だから、全てのことに口を出す権利があるとか」


「はっはっは。ヤメロ、本当に言いそうだ」


 ルシルは弟子をなんだと思っているのか、お前の所有物ではないと強く主張したい。


 でも、確かに寮暮らしは面倒だな。


 ルームメイトも居たし、学院に管理されるのも性に合わない。


 なにより、ルシルが毎日押しかけてきそうだ。


「決めた、今日からここに住む」


「ここって、店に?」


 突然の言葉に、エキトは首を傾げている。だからぼくは、懇切丁寧に説明をしよう。


「ああ、いいだろう?」


「もちろんいいさ」


 懇切丁寧とは、どういう意味だったっけ?


「この店なら身の危険はないし、手伝いをすればバイト代ぐらいは出すさ。アメリカ校なら、授業にも融通が利くしな」


 ああ、そういえば。アメリカ中のダンジョンを攻略すればいいとか。


 真面目に学院に通う必要はないらしい。


「都合がいいことばかりだ、アメリカ校の方が性に合う」


「それはいいけど、無限がこの店に住むってことはさっきの子も?」


 おそらくは、そうなるだろう。一緒に住むわけはないだろうが、寄り付くようになると思う。


 ぼくはこくりと、大きく首を縦に振った。


「……なあ、無限。やっぱり」


「じゃあ、荷物を持ってくる。心配するなよ、全てのことは慣れるものだ」


 そうでなくては困る。エキトには期待しているのだから。


 早くセカイと仲良くなって、ぼくから引き剥がしてくれるように。

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