玉ねぎ

 


「ふん、直ぐに逃げたか。なかなか悪くない判断だな」


 スェルトはグリュークスの姿を一目見た途端、脇目もふらず逃げて行った。


 一目でその強さを悟ったのか、もしくはどんな存在か知っていたのか。


「グリュークス、と呼べばいいのですか?」


 隣にいたルシルが、警戒心も露わに、黒犬に問いかける。


 一度戦った身としては、素直に助けを喜べないらしい。


『それで構わない、本来のわれには名などないが。古き友に与えられたものでな、存外と気に入っている』


 古き友とは、あの爺さんのことか。


 あの人は今でも、元気に人を殺して喜んでいるかなあ。


 強さを求めるなんて言い訳をしている、ただの殺人狂だったし。


『そんなことより、友よ。あの身の程を知らない若き竜を追わなくてもいいのか? われと共に狩りを楽しもうではないか』


「待ちなさい、なぜムゲンくんが追うのです? それは私の仕事です、この子を巻き込まないでください!」


 よくわからないことに、グリュークスの考えでは、ぼくが動くことが前提になっているらしい。


 頭が痛いので、ルシルの言う通り大人しくしていたいのだが。


『貴様に協力する気はないぞ、われはあくまでも友のためにこの場にいるのだ』


「誰も協力を頼んではいないでしょう! それに、私に敗北した身のくせに、随分と態度が大きいのではないですか?」


 うるさい。


『何を言う、以前のわれとの違いすら分からないのか? あの時は古き友のために、力を抑えていたにすぎない。そんなことも見抜けぬとは……』


「そんなことはわかっています、今では私に勝ち目はないでしょう。ですがそれでも、貴方が敗北した事実は変わりませんよ」


 うるさいなあ、頭に響くんだ。


『ならば、その身に刻んでくれよう。われこそが……』


「行くぞグリュークス、静かなところで休みたい」


 こいつらの雑音に付き合ってはいられない。ぼくはグリュークスに跨ると、早く出発しろと急かした。


『了解した、友よ。十分に空の旅を楽しもうではないか!』


「こ、こら待ちなさい。な、なにをするのですかシホ! ムゲンくん、ムゲンくーん!」


 シホに捕らえられたルシルを放っておき、ぼくたちは空を飛ぶ。


 静かなところに行きたいだけなのに、こいつは勘違いしてないか?


 ぼくは、戦う気なんてない。


 ★



『それでは、辛いだろう?』


 暫く空を飛んでいると、グリュークスが気遣いの言葉をぼくに向ける。


 そして体を変化させて、全長十メートルほどの姿になり。いつかのように、ぼくの脳波に直接声をかけてきた。


『これならば、体への負担も減るだろう? しかしずっと見ていたが、体調の変化が突然すぎるな』


 こいつはその正体がわからないほど古く、強大な存在のくせになかなかの気配りを見せる。


 どこかの家族気取り共にも、見習ってほしいものだ。


 騒がしさが減ったことで、頭痛はだいぶ楽になった。


 そしてグリュークスの言葉で、止まった世界のことを感知していないこともよくわかる。


「そんなことより、何しに来たんだ?」


 自分の言葉ですら頭に響く、ぼくに魔法が使えない以上は我慢するしかないな。


「ずっと気配は感じていたけど、不思議だったんだ。お前のことはペットにしないって断言しただろう。あの爺さんが捕まったんだから、自由に遊びまわっていると思ってたんだけど」


『遊びまわっているか、間違ってはいないな』


 ぼくの言葉にグリュークスは苦笑する。子犬程度の扱いをされていることに、呆れているようだ。


『久方ぶりの自由を味わったものだ。だがやはり友のことが気になってな、その姿をずっと見ていた。興味深いものだったぞ、友は全てに愛されている』


 何を言っているのかよくわからないが、やはりペットは野良犬に戻れなかったと言うことか。


『やはり我は、友の傍に在りたい。その存在自体が不可思議な在り方に、強く惹かれるのだ。そして、われの唯一の目的も叶うだろう』


「目的?」


『われは自らの正体を知りたい。余りにも古く、そして長き時を重ねた事により、わからなくなってしまったのだ』


 それは知っている、こいつのことは誰もわからない。


 ただ強く、そして謎に満ちた存在。


 それを抽象的に、人々は黒犬と呼んでいるのだ。


『この世の全てを引き寄せる友なら、われの真実を知るものを、いつか必ず引き寄せるだろう』


 勝手な期待だが、強く否定はできない。


 小さいころから、不思議なものを見てきた。誰も知らない、謎に満ちた場所によく訪れた。


 覚えていない記憶や、見知らぬ他人の顔が頭に浮かぶ。


 そのうちの一つが、グリュークスの希望を叶えてくれるかもしれない。


「自分の正体なんて、気にするものかなあ?」


『友のように割り切れない、われには希望があるのだからな』


 希望があるのか、それともないのか。


 そんなものが、自らの選択肢に大きく影響を与えるらしい。


 ぼくにはよくわからない考えだ。自分が決めたことに、外的要因が関係するなんて。


「それはいいが、どこに向かっているんだ?」


 早く休ませてほしい、グリュークスの背中は広くて気持ちがいいのだが。


 柔らかい枕とか、冷たいジュースが欲しい。


『決まっているだろう、トカゲどもを追いかけている』


 何か言いだしたぞ。ぼくは確かに、静かなところに連れて行けと言ったのだが。


『友に気を使って速度を落としていたが、直ぐに追いつく。われのためにも、友には活躍してもらいたいからな』


「わかったよ、今度一緒に食事をしよう。ハンバーグを食べたり、オニオンスープを飲もうか」


『……? よくわからないが、友との食事は楽しいだろうさ』


 喜んでいる犬っころに、的確な嫌がらせになることを祈ろう。こいつなら、致命傷にはなるまい。


 面倒だし頭が痛いが、本当の強さを取り戻したグリュークスには興味がある。


 スェルトに再会する前に、この体調の悪さがなくなるといいなあ。

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