ロザリオの力

 


 自らの終わりを実感する。これは泣き言ではないが、泣き言のようなものだ。


 十か所以上に及ぶ、ぼくの体に空いた穴。


 その全てから、恐ろしいほどに血が流れている。


「……」


 あまりにも辛いせいで、感覚がマヒしたのだろう。


 今では痛みなんて全く感じない、血が流れている感覚もわからなくなった。


 この状況にも慣れたのか、少し苦しくなくなったし。


 なんなら数時間ぐらい放置されても、あっさりと生き延びてしまいそうな気がした。


「ははっ」


 何を考えているんだろうか、そんなはずないのに。


 これだけの血を流して、これだけ追い詰められて余裕を感じるなんて……。


 ぼくはおかしくなったかな。


「なにを嗤ってやがる」


 小さく苦笑したぼくに、リフィールが気づいた。


 考えてみれば当たり前だ、だって目の前にいるんだから。


 こんな状況なのに自分のことを考えて、目の前の悪魔のことを意識してなかった。


「随分と余裕みたいだな」


「そんなことないさ、ギリギリだよ。なんならおまえも……!」


 軽口を返すと、苛立ったリフィールに風穴を空けられた。ビックリするぐらいに吐血する。


 お腹の中心に、悪魔の右腕が突き刺さっていた。


 いや、背中を突き抜けているな。


 まいった、これは致命傷だ。


「もう時間はないぜ、言葉も出ないだろう? ほんの少しでいい、頷け。それで助けてやるよ、悪魔にしてな」


 こんな時にまで冷静な自分が嫌になる、とっとと発狂したら楽になれるのに。


 人間なんだ。流石に腕の太さの穴を空けられたら、死ぬだろうなあ。


 でも、悪魔になる気はない。


 こうなったら少しでも時間を稼いで、あとはフルーツに任せよう。


「どうした、早くしろよ。人間は追い詰められると本性が出るんだぜ? お前だって死ぬのは怖いだろう?」


 死ぬのが怖いかあ、思ったこともないな。


 強いて言えば悪魔が滅ぼされるところを、この目に出来ないところは残念だが。


「おい、気絶するなよ。本当に死ぬぜ」


 安心してくれ、そのつもりはない。


 いつかのように意識は手放さない。


 ただ少し、準備をしているだけだ。声を出すために、頑張って耐えている。


「ああ、大丈夫だ」


 よかった、声を出せた。


 今にも事切れてしまいそうで、そんなことにすら驚いてしまう。


「……悪魔になんてならない」


 意志の力こそが、一番強いのだと。


 こんな時になって、実感できた。


 どうしても言いたかった一言を伝えると、体から急激に力が抜ける。


 もう喋るどころか、眼を開けることすらできなくなった。


 こんなにもはっきりとした意識があり、その思考は明瞭なのにね。



 ★



 もう本当に終わりかと思った瞬間、首筋に新しい痛みが走る。


 ただそれだけで体中の痛みが消え、重かった瞼も開いていく。


 折れていた腕や足も、簡単に治ったようだ。


 リフィールは悪魔だが、吸血鬼のように。


 ぼくを同族に変えようとしていた。


「ちっ、まあいいさ。これからは悪魔なんだ、じっくりと身の程を教えてやる」


 用は済んだと、リフィールはぼくから離れる。


「変化は一瞬だ、直ぐに変わる」


 その言葉は嘘じゃないようだ。


 体が熱くなり、首筋の強い異物感が全身に回る予感がする。


「俺の血は刺激的だぜ。なに、直ぐに終わるさ」


 まだ始まってはいないが、もう始まる。


「その時が、お前の負けだな」


 リフィールはぼくに背を向けて、高笑いをしている。


 その時、世界が止まった。



 ★



 これはあれだな、何度か経験したことがある。


 走馬灯のようなものだ、人間の神崎無限が終わってしまう証拠だろう。


 リフィールも止まって見えるし、悪魔のウイルスも体に廻らない。


 でもこんな状態は長く続かないだろう。


『……』


 これでぼくも悪魔になるのか。


 それでいいのか?


『……』


 いいわけがない。


 それでいいわけがない。


 でもどうしようもない、もう賽は投げられたのだ。


 ぼくに何が出来ると言うのか。


『決まっている』


 そう、そんなことは決まっている。


 逆らうのだ、流されることを拒否するのだ。


 自分は自分だと、悪魔ではなく人間なのだと。


 そう嘯くことで、自らを証明しよう。


『なに、構わないさ』


 そう、構わない。


 事実だろうが、現実だろうが。


 それは自分で決めよう。


 ぼくはまだ、人間だ。



 ★



 ほんの一瞬だけの、ボーナスタイムは終わった。


 それなのにぼくは、まだ何も変わってはいない。


 だが、もう本当に猶予はないだろう。


 だから、今のうちに言葉にしなければ。


「リフィール!」


 囚われていた黒い光を、強引に振りほどいた。


 そしてそのまま、目の前で油断しているリフィールを殴りつける。


 その衝撃で倒れこんだので、馬乗りになって襟首を掴む。


「ぼくは人間だ、悪魔じゃない!」


 最後の足掻きだ、誰も認めてくれない最後の主張。


 でも、そんな言葉が奇跡を起こした。


 首にかけていたロザリオが強く光り出す。


 その光は、淡く優しい。


「まさかそれは、神の力を!」


 ロザリオの光が、ぼくの中にある異物を浄化していく。


 体中に力が溢れるようだ。


 エキトの奴、ぼくには使えないと言ってたのに。


 やはりあいつは、分かってる。


「ちっ!」


 リフィールはロザリオを奪い、ぼくを蹴り飛ばして距離を取る。


 そのまま人の物を放り捨てると、驚愕の視線でぼくを見た。


「まさかそんなものを持ってるとはな、だがそれはぐわあああああああ!」


 悪魔は突然叫び出し、喉を搔きむしる。


 そして、膝をついて叫び出した。


「なんだこれは、統合した人間の部分が暴れまわってやがる! まさかこれは、無限の血か!」


 体中に激痛が走るのか、制御できないかのように暴れている。


 これはいったい……。


「やめろ、俺を人間に変えるな。どんどん消されていく、やめてくれ!」


 その侵食速度は、きっと早くない。


 まるで苦しめるのが目的みたいに、少しずつ少しずつ何かを変えているのだろう。


 リフィールの叫び声はどんどん大きくなっていく、まるでその恐怖に比例するように。


「ふざけるな、ふざけるなよ! お前は許さんぞ、殺してやる!」


 逆上し、冷静な判断も出来なくなったのだろう。


 リフィールは黒い光で、ぼくを殺そうとするが。


「忌々しい、神の光め!」


 エキトのロザリオが、ぼくを守るかのように立ちふさがった。


 まるで、意思があるかのように。その光はぼくへの攻撃を全て通さない。


 そして、最後の瞬間はあっけなく訪れる。

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