どれだけ強くても心は



 さて、ここはどこだと確認する。


「ああ、そうだ。ルシルと出会った場所だ」


 中庭だと思い込んでいただけで、実際はどこだかわからない。


 あれからも、この美しい風景を眺めてみたくて探してみたが、決して見つかることはなかった。


 学院の中身が出鱈目に変わってしまうのが、とても大きな不満の一つだ。


 そんな風に懐かしい気持ちに浸っていると、いつもの声が聞こえた。


『幸福を定義する』


 この不可思議な機械音声も、これで聞き納めだと思うと清々しい。


『引き分け。回答者は試験を突破したが、その結末(こたえ)を放棄した』


 ……は?


『故に現実世界への回帰と、死のペナルティは相殺される。同時に全員の精神ダメージは回復』


 どういうことだ!


 まあ、楽しかったからいいけど。


 怒りと満足感を同時に味わっていると、近くに人の気配がした。


 敵かと思ったら、その正体はルシルたちだった。


「あれ、もう起きていたの?」


 全員が目を覚まして、ぼくから少し離れた場所に立っていた。


 その眼には、恐怖を宿している。


 だが、沈黙は長く続かず。代表するように、ルシルが口を開いた。


「ムゲンくんが、あの試験をクリアしたんですか?」


 その有り得ないと言いたげな口ぶりに、少しだけ苛立った。


 何の役にも立たなかったくせに、まるでぼくがおかしなことをしたかのような言い方だ。


「だったら?」


「信じられません、あれは生物に突破できるものではありませんでした」


 こいつが何を言っているのか、ぼくにはよくわからなかった。


 そんな中、学院長が前に進み出る。


「まあまあ、その言い方は酷いだろう? 無限くんは私たちを救ってくれたんだよ」


 そしてフルーツもまた、ぼくではなく周りの連中を非難するような目をして、言葉を発する。


「そうですね。お兄ちゃんの内面が人間の定義から大きく外れていることは、初めからわかっていましたので」


 こいつは一体、ぼくをどう評価しているのか。


「確かにね。それにあの世界、初めは少し楽しかった」


 最後にエキトが発言すると、周りはこいつにも異次元の存在を見るような視線を向けた。


「成程。ぼくを除いて最後まで生き残っていたのは、お前だったのか?」


「そうだよ、俺は商人だからね。誰にも気づかれずに人々の暮らしを見ているのは、とても勉強になった」


 それは一体どういう意味なのか、どこかで価値のある宝でも見つけたのか。


 あるいは消費者の気持ちを知れたことが、これから利用できると考えているのか。


 エキトが人間味のある答えを告げたことで、やっと全体の空気が緩和してきた。


「確かにな、そういう楽しみ方はあったのだろうさ。このわたしは十日目で諦めたがね」


「早いぞ」


 シホのあまりにも早い脱落に、ぼくは光速で文句を言った。


「仕方がないだろう、このわたしは人がいなければ生きていけない。あの世界は紛れもない生き地獄だった」


 生き地獄か……、そんな風に思ったことはなかったな。


 むしろ楽しくて、ずっとあの世界に居たかったぐらいだ。


「常軌を逸してますよ」


 クラスメイト達も会話に参加しだして、あの世界の感想を語り合っていると、一人だけいつまでも暗い顔をして俯いていたルシルが口を挟んだ。


「あの世界は本当に地獄でした。何も食べられず、一言も語り合えず、誰とも触れ合えず、何にも触れられず……」


 何かトラウマになってしまったのか、小さな声でルシルは呟いている。


「寂しくて、悲しくて。みんなの名前を叫んでも、世界が全て私を無視していました」


 それはそうだろう、一人一人別の世界だったから。


 ルシルの居た世界には、ルシルしかいなかった。


「楽しく会話している通行人たちが羨ましかった、楽しく食事している人たちが羨ましかった。年齢を重ねていく住人たちが幸せそうだった。私一人だけが、何も変わらずに取り残された!」


 その苦痛は真っ当な人間なら、当然のように感じることで。


「そんな世界で幸せを感じるなんて、ムゲンくんは壊れています。人じゃない」


 ぼくに対する、そんな言葉も。


 また当たり前のものだろうと思った。


「そんなことを言われても困る。人それぞれだろう?」


 そんな風にしか答えられない自分は、いつも思っているように、まともではないのだろう。


 でも他者を、ルシルを理解できないぼくに伝えることが出来る言葉(きもち)は。


 いつだって、そのぐらいが限界だった。


「貴方は……!」


 まだ何かを続けようとしていたルシルを、近くにいたエキトが気絶させた。


 憔悴しきっている人間の隙をつくのは、とても簡単だっただろう。


「余計なお世話だったかな?」


 その行動がぼくへの気遣いだと言うことは、理解できた。


 そう。


 いつだってぼくがかろうじて理解できるものは、感情(にんげん)ではないのだ。


 もっと合理的で、万人(すべて)が持っている物だけ。


「刺激が強かったか?」


 ぼくは悲しい眼をしていたり、憐れみの目を向けているクラスメイト達に目を向ける。


「ふん、大したことではない」


「それに、見慣れていますからね」


 主席くんやグリムが、世界最高の魔法使いの醜態を見てしまった。


 それなのに失望ではなく、憐れみの目を向けているのが気になった。


「よくあることなんだよ。おれたち魔法使いはこういう人をたくさん見ている」


 三人を代表するように、いつも通りギースが丁寧に説明してくれる。


「お前たちみたいな学生が?」


「お前もだよね? まあそれはいいけどさ。覚醒した魔法使いにはよくあることなんだ、本当にね」


 つまりルシルみたいに途中から、魔法使いになった者のことか。


「おれたちみたいな、生まれつきの魔法使いは。なんというか小さいころから醜いものを一杯見てきて、地獄みたいな修行だって経験してきた」


 それは生まれついて、普通ではないと言う意味だろうか。


 普通の世界だと、戦争孤児みたいなものか?


 違うか、よくわからない。


「でも覚醒した魔法使いは、その時点からかなり凄い。おれたちみたいに地獄を見なくても、あっさりと一流になってしまう」


 ただの子供が才能があるから、家のためにって魔法使いにされること。


 ある日突然凄い力を持っているから、魔法使いになれと言われること。


 その二つでは歩く道が、絶望的までに違うと言うことだ。


「だから、割と簡単に心が折れる。何も珍しい話じゃない、だから失望なんてしないさ」


 この三人だけじゃない、エキトたちだって温かい目でルシルを見ている。


「ふん、確かにな。俺たちのような真っ当な魔法使いなら、地獄のような苦しみなど、終わってしまえば割り切れる」


 主席くんは、貴族なのでプライドが高い。


 そのプライドが、自らに泣き言を許さないのだろう。


「……」


 真っ当な魔法使いとは、生まれつきの魔法使いのことか。


 ルシルみたいな魔法使いは、覚醒するまで魔力を持たないらしい。


 本当に、ある日突然変わってしまうのなら、確かに真っ当ではないのかもしれない。


「精神も回復しているのだ。それでも辛かった記憶に振り回されるなど、軟弱にも程がある」


 主席くんがルシルに厳しい。


 こいつは思うところが、たくさんあるのだろう。


 自分だって、本当は根に持つタイプのくせに。


 こいつの欲望は、覚えている。


「まあいいじゃないか、とりあえず戦いは終わった。ルーシー先生には少し休んでいてもらおう、私もいい加減に疲れたからね」


 この場を締めるように、学院長の明るい声が響いた。


 確かに疲れた、どこかで休みたい気分だ。


 でも、何かを忘れている気がする。


「……ああ」


 そういえば、ぼくたちをあの世界に放り込んでくれた敵はどこにいるのだろう?


 うん。誰も気付かなかったら、このまま忘れることに決めた。

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