逆鱗
「ワタシの娘が、道端の石ころだと?」
そんなことは言っていない、似たようなことは言ったが。
ハスキーな声が震えている。何かショックなことでもあったのだろうか?
「もう、許さん! 苦しまないように楽に殺して、その魂は有効利用してあげるつもりだったが、死後の世界にも行かせないように完全に消滅させてやろう!」
恐ろしい、なにが恐ろしいかと言うと、ぼくたちを殺すことが大前提だと言うこと。
そして、自分のために利用することが、ぼくたちの幸福であると確信していることだろう。
「ルシル、これは駄目だ。引導を渡してやれ」
珍しくも、はっきりと命令する。
やられたらやり返す。
やられそうになっても、やり返すのだ。
もし可能なら、この声の主の技術を使って、ぼくたちが魂を有効活用してやろう。
「で、ですがムゲン君。一応、非は私たちにあるのでは?」
さっきまで逆切れしていたくせに、ふんわりとぼくの命令を否定する。
この危機的状況でのんきなことをと思うが、ルシルにとっては日常と同じぐらい、平和で余裕があるのだろう。
「お前だって嫌っていたんだからいいだろう?」
「でも、罪悪感が消えません!」
嫌いな相手に対してすら、律儀なことだと思っていると……。
「ミルトほどのものがその少年のいいなりか? 随分と変わった趣味を持っているようだ」
その言葉にルシルの耳がぴくりと反応する。
「大体、さっきから見ていればその少年は人形よりも人形に近い。感情も碌に解さないなんて人間かどうかも疑わしい!」
「し、失敬なことを言わないでください。これでもムゲンくんは頑張っているんですよ。人間が持つ当たり前の感情がわからなくても、理屈でちゃんと補っています!」
へえ、その辺りのことはちゃんとわかっているんだ。
「本来は、世界の全てを放棄してもおかしくないのに、頑張って人間のこと学んでいるんです! ……ただ、誰かに寄り添う気が一切ないだけで」
最後にぼそりと、何かを言った。
でも具体的には、人間を理解する気はあっても、一人一人の人間の個性まで理解する気がないというだけ。
つまりは、人間を個体ではなく群体と言う目線で見ていると言えるだろう。
ぼくにとっては六十億の人間がいるのではなく、六十億人で一人の人間だと考えているようなものだ。
「結局のところ、生物の基本則は頭で考える理屈ではなく、心で感じる感情だろう! それならば結局、その少年は人間の括りには入れない!」
その言葉は正しい。
何故なら、人間が生まれつき持ち得ているものは、理性ではなく感性だ。
生まれたての赤子は空腹を感じても、誰かと語り合おうとは思わない。
「ワタシの子供たちのように、誰かの手によって普通を凌駕してしまうのならともかく、自然発生したものだというのなら、その少年は人間皮を被った悍ましい理性の権化だよ!」
自分のことを顧みて、その言葉は決定的に間違っていると感じるが、言わんとしていることはよくわかる。
故に、そんな風に思われていても仕方がないとぼくには思えたが、目の前の世界最高の魔法使いには耐えられなかったらしい。
背中に庇われていても感じる、圧倒的な怒りの感情。
分かりやすく言うと、つまりぼくのために怒っているのだろう。
「……なんですって?」
その一言は、とても低かった。
ルシルは左手を一振りすると、親指の光が掻き消える。
それは同時に、ぼくたちの身を守っていた結界も消滅することを意味した。
「よくぞ言った。それならばあなたの存在を意思すら持たぬ、本当の道端の石ころにしてあげますよ」
ルシルは右手の二本の指を立てると、挑発するようにくいくいと振った。
すると、目の前の何もない空間から一人の人間が現れる。
初めて見た顔だが、おそらくこいつがキリだろう。
「高見の見物とはいい身分でしたね? でも今からは地べたに這いつくばってもらいますよ!」
そんなことを言って、今度は右の手の平全体を光らせ、それを打ち出した。
ドカン!
というあまりにも重たい音がすると、目の前の光景が一変している。
ぼくたちを囲んでいた人形たちごと、キリの体が吹っ飛ばされたのだ。
その衝撃により、ぶつかった壁ごと、城の外に強制的に飛ばされた。この場所は異空間だったはずなのに、飛ばされた先にはちゃんと外の景色が広がっている。
つまり、異空間ごと破壊したと言うことか?
ルシルはぼくの手を掴み、その後を追う。
「今のは開幕の合図代わりですよ? これでは這いつくばらせたことになりませんからね」
ルシルの表情はあまりの怒りで、とても冷たい。
この城にはフルーツがいることすら、完全に忘れているようだ。
「ムゲンくん、私が間違っていました。あの女はこの世界に存在するべきではなかったのです」
今までは、嫌いなりに遠慮をしていたと。
命を奪うほどのことではないと考えていたのは、自らの恥ずべき間違いだったと断言した。
「今こそあの女に、身の程と言うものを教え込んだうえで、その身分に見合った場所への旅のチケットを送ってあげましょう!」
その旅の行き先は、天国か地獄か。
ぼくは、その口ぶりから地獄だろうなと確信するのであった。
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