神崎無限の異常性 1

 


 ルシルに誘われて、穏やかな時間と、こびりついて離れない望まぬ再会。


 とにかく、日頃はぼくには関係ないストレスを感じていたせいか、望まぬ夢を見た。


 ぼくは昔から、一つの夢を見る。


 基本的には夢なんて全く見ないのだが、その夢だけは小さなころから何回も、繰り返し見る。


 その内容は、何もない真っ白な空間にぼくだけが存在していて、誰のものかわからない透き通る声が独り言を言ったり、質問をしてくると言うものだった。


 おまけに、その明晰夢は起きてからもはっきりと記憶に残っているのだ、まるで現実での他人との会話のように。


 夢である以上、明らかにぼくの深層意識や、理解していないもう一つの人格のようなものだと思うと、鬱陶しいことこの上ない。


 何故なら、その声が発する質問は、ぼくの内面に深くかかわるものであることが多いのだ。


 その日の夢は、こんなものだった。



 ☆



 ああ、いつもの夢だとウンザリする。


 この白い空間は一体何を表しているのだろうか。


 ――久しぶりの光景だった。


 ほら、始まった。


 ――休日の日常、仲が良い友人、幸せな家族の風景。ああ、なんて素晴らしいものだろう。


 ――平和と呼ばれる風景、それなのに無限は何も感じない。


 それは、事実だ。


 ――友情も愛情も、無限の中には存在しない。何故ならその心には傷がつかないから。


 ぼくは小さいころから、真っ当な感情を持っていなかった。


 誰かと共にいても、友情を感じることなどなく友人にはなれなかった。


 誰かと共にいても、愛情など抱くことはなく、恋人にはなれなかった。


 誰かと共にいても、家族愛など抱くことはなく、家族にはなれなかった。


 あれは何歳のことだったろうか。


 ぼくは自分の異常をはっきりと認識し、自分には何が足りないのか、自分は人と何が違うのかと考えた。


 そして、ある日気づく。神崎無限は傷がつくことがないのだと。


 人間の抱くあらゆる感情は、心につく傷によって生じるものだ。


 自らが生まれた時に心が生まれ、他者との交流によって成長という名の傷がついていく。


 それが善意であれ悪意であれ、好意であれ殺意であれ、その全てが人の心に傷をつける。


 その種類は千差万別だが、その深さこそが傷つけた存在に対する感情の深さなのだ。


 深い傷ほど思いが強い。


 そして人間は傷だらけの生き物でありながら、死ぬまで傷つくだけの人生を送っても、心が壊れてしまうのが稀有なほどに頑丈らしい。


 故に、ぼくの心には一切の傷がないという結論になった。


 ぼくの心は誰かに傷つけられていないからこそ、誰かに対する感情は一切存在しない。


 だが決して感情がないわけではない、ぼくにだって確かに心は存在する。


 だが、ぼくに存在する感情は他者に傷つけられることによって生まれたものではなく、自分の心から生まれたものだけだ。


 一切の傷がない以上は、ぼくの心はぼくだけのものであり他者との共感や、理解というものが出来ないと思った。


 何かで読んだ。


 人間の心は底の方で繋がっていると言うのは、お互いに心を傷つけあうことで、感情を共有しているのだとも思った。


 故に、ぼくだけは誰ともつながっていないのだと。


 ――神崎無限は先天的な異常者であり、後天的な異常者でもある、何故なら十年もあれば人は変われる。


 ――人間は変われないなどという結論は、現実から逃避するだけの愚者のものに過ぎないのだから。


 その通りで、反論の余地など全くない。


 ――では聞こう。神崎無限は何故変わらない? 何故、いつまでたっても異常者であることを選ぶのだ?


 そんなもの、疑問を抱くことはない。


「決まっている、今の自分に不満がないからだ」


 ぼくは変わらない。


「甘ったれるなよ、他人と共感して傷を舐めあって生きる弱者のことを普通だと言うのなら、ぼくは異常者で結構だ」


 共感などいらない、他者の理解などいらない。


 そんなものは憧れであってくれればいい。夢のような手に入らないものであってほしい。


「友情も愛情も家族愛も、そんな余分なものなんていらない! ぼくは、ぼくであればいいんだよ!」


 それが、ぼくの結論だ。


 お前たちは、馴れ馴れしいんだよ。ぼくは一人でいい、気安く触ってくれるなよ。


 ――神崎無限は変わらない、その救われない尊さに敬意を表すよ。


 ーーだが聞きたいな。お前の持つ違和感には本当に理由がないのか?


 神々しい、真っ白な世界はそこで終わった。



 ☆



「そんなもの、知らないさ」


 ベッドの上で目をつぶりながら、見ていた夢に返答をする。


 我ながら、馬鹿らしく思っていると静かな足音が聞こえてくる。


 その人物はほとんど物音を立てず、部屋のドアを開けると、中に入りカーテンを開いた。


「ムゲン君、朝ですよ起きてください。……なんて一度では起きませんよね」


「いや、起きてる」


「ひゃっ」


 ぼくは諦めたようなルシルの言葉に反発するように返事を返す。


「珍しいですね、どうしたんですか?」


「いや、ちょっと夢見が……」


 そこまで言葉を発した時に、玄関の辺りからまるで雷が落ちたかのような轟音が鳴り響いた。


「さっさと出てこい!」


「や、やめろよ。迷惑だろう……」


 聞こえてきたのは高い女の声、そして弱々しくそれを止める一昨日聞いた声。


 このまま二度寝したいと強く願った。

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