エピローグ 2
「このミサンガは、誰から?」
ヘンリーは、哀しみを堪えられない顔でぼくに質問する。
それがわからないとはとても思えないのだが。
「ある家政婦の婆さんから頼まれたんだ。アメリカに住んでいた時に住んでいた家で雇われてた」
あの人には、世話になった気がする。
親戚の兄弟、その次女が料理を覚えるまでの間はずっと家のことを世話してくれていた。
雇われの身のくせに、随分と家のことに口を出していた気がするが。
あの人は、おそらく善人だったのだろうな。
「その人は?」
「あんたらのマネージャーだよ。名前は忘れたけど」
小さいころだったし、実際のところ名前を呼んだこともないと思う。
親戚の兄弟はともかく、ぼくはあんまり関わらなかったし。
だが、それでも願いを受け取ったのはぼくだったのが不思議なところだ。
おかげで面倒な重荷を背負ってしまった。
「ワールド・バンドがデビューする前から引退するまで、ずっと一人であんたらを支えていたんだろう?」
「……ああ、ぼくらは誰一人として他のマネージャーをつけることを認めなかったからね」
あの婆さんはメンバーのことを家族のようなものだと言っていた。恐れ多かったけど弟や妹のように思っていたと。
そんな経歴の婆さんが、何故一つの家の家政婦をしていたのだろうか。
「彼女は、今どこに?」
「死んだよ、だからぼくが代わりに」
一人の人間の一生の心残りとはとても重いものだ。
それでも、ぼくはそれを叶えようと思った。
「それはいつの話だい?」
「ぼくが十六だから、十一年前だな」
「そうか、……知らなかったよ。君の家はどこにあるんだい?」
「親戚の家だけど、アメリカだよ」
「そうなんだね、彼女は日本出身だと聞いていたけど」
まあ、どんな縁なのかは知らないが。
一応は神崎家の人間は日本人だ、その親戚ならやはり日本人だろうからその縁なのかもしれない。
例えば、日本からアメリカに行くときに一緒に連れて行ったとか?
「アトスの奴はなにをやっていたんだ!」
突然、ヘンリーが叫ぶ。近くにいた孫娘は怯えたように少しだけ縮こまってしまう。
おそらく、アトスという人物はアメリカ出身のバンドのメンバーなのだろう。
曲がりなりにも同じ国にいたのに、ということだと思う。
でも、アメリカは広いのだ。その感情は八つ当たりに過ぎない。
「……すまない、彼女の死因を聞かせてくれないだろうか?」
「病気だよ」
最終的には、な。
「そうか。……僕はね、バンドを解散した後この国に隔離され、家族とも距離を置かされた必死に手に入れた、地位も名誉も財産も家族も。ほとんど意味がない虚しいものになってしまったんだ。何でだろうね?」
なんか深刻に悩んでいるようだが、ぼくに言わせればそんなものは明白だ。
彼がその人生で得たものの全ての始まり、それは所詮国が用意したものだったということだ。
たとえ素晴らしい才能があったとしても、初めから国に用意された道を歩いていた以上、国の都合でその道は終わる。
人から与えられたものを、人に返したということだ。
自分で手に入れていないのなら、誰かに奪われたことを嘆くことすら図々しい。
伝説とは、所詮は記録に過ぎず。
その価値は実際に目にしなくても感じてしまうものであり、本人の価値などはないのだろう。
歴史というものから語れてしまうのであれば、世界にはワールド・バンドという素晴らしいグループが存在した。
世界中の人間はその素晴らしい功績を称えた。
その二行で全てが語れてしまうのだ。
そして、世界はその二行だけを求めていたのだ。
それ以外は、必要なかった。
「すまない、日を改めてほしい」
ヘンリーは目頭を押さえながら、ぼくにそう言った。
あの婆さんを失った悲しみの大きさのせいで、泣きたい気分なのだろう。
「日を改める必要なんてないさ。用事は終わったんだ、もう来ない」
「え?」
ヘンリーは驚いているが、当然の話だ。
「あんたにミサンガを渡した時点で婆さんとの約束は果たした。ぼくにはもう用なんてないんだ。どうせ他のメンバーに話をつけることは出来ないんだろう?」
メンバーの一人一人を、違う国家が保護という名の隔離をしている。
イギリスという国家も、そこに所属するヘンリーも接触する権利なんてあるはずがない。
それにそんな暇があるのなら、ぼくが次のメンバーを探す。
あと五人もいるのだから。
「待ってくれ、まだ彼女の話を聞きたいんだ」
「悪いが、ぼくはあの婆さんのことを大して知らない。あの兄弟たちと違ってあまり関わらなかったからな」
だから、何故ぼくにミサンガを託したのか。それが最大の疑問だ。
「なら、その兄弟たちを?」
「悪いけど今どこで何をしているか、全く知らないんだ。とっくに散り散りになったから」
ぼくは、その言葉の全てを返すと玄関に向かった。
ヘンリーを振り返りは、しなかった。
☆
ぼくを見送ってくれるのは、孫娘だけらしい。
そういえば名前も知らないが、これ以上の縁もないだろうし興味もないので尋ねることはしないでおこう。
お互い、そのうちに忘れ去る存在だ。
でも、疑問はあった。
「あなたは何故、一人だけヘンリーと一緒に暮らすことが許されているんだ?」
ぼくが、何かを尋ねるとは思わなかったのだろう。孫娘は驚きながらも質問に答えてくれた。
「私がお爺ちゃんの弟子だからよ」
「弟子? 音楽の?」
「いえ、魔法の。お爺ちゃんは、いえワールド・バンドのメンバーは全員が魔法使いなの。マネージャーさんもね」
それは初耳だった。では、あの婆さんも……。
「今日は有り難う、辛そうだったけど今日のお話はお爺ちゃんに必要なことだったと思う」
「そっか、お元気で」
もう、ここには二度と来ない。だから永遠の別れぐらい、少しだけ優しい言葉を掛けることに決めている。
「ええ、有り難う。あなたはそんなに優しい眼をしているのに冷たい人だと感じていたけど」
孫娘は、ぼくの眼を見て……。
「あなたは、わからないだけなのね」
そんな、よくわからないことを言った。
「さようなら、あなたもお元気で」
☆
これで、目的の一つが終わった。
まだまだ先は長いが、それでも一つは終わったのだ。
今では、顔も名前も、そして思い出も忘れてしまったが……。
それでも死者との約束だけは残っている。
それを終わらせるまで、ぼくの呪いは解けない。
この呪いは、魔法によるものではない。
この呪いは、怨念によるものでもない。
ただ、善意という名のぼくの中にある約束を叶えてあげたいという気持ち。
それはまだ、消えることもなく残っているのだ。
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