責任を負える範囲
「確かに、私にはムゲンは理解できません。ですが、恐れるものでもないのですよ」
「……そうか」
爺さんは、剣を取り落とした。
それはまるで、ようやく自分との器の違いを理解できたかのよう。
「わたしには、お前たち化け物の考えなど理解できん。だが、どうやらわたしは負けてしまったようだ」
爺さんに顔は、ようやく憑き物が落ちたようにも見える。
ぼくには理解できないが、生涯を懸けて何かを追い求めるというのはやはり重いものだったのかもしれない。
「殺せ」
「残念ですが、私たちの仕事はあなたの捕縛です。大人しく捕まってください」
「ああ、敗者は勝者に従うものだ。私の道は汚れてしまったが、それでも誇りは残っている」
潔い爺さんだな。ぼくなら殺されないならとっとと逃げるが。
別に、負けたってもう一度戦えばいいだけなのだから。
「すまなかったな、グリュークス。……どうか手厚く葬ってほしい」
「その必要はないですよ。黒犬はその存在を使い魔に堕としているから弱体化しただけです。確かに死んでしまっていますが、その契約を解除すれば死後の世界からでも簡単に蘇るでしょう」
「……そうなのか?」
「ええ、本来なら死が存在するような生命体ではないんです。何故、あなたは知らないのですか?」
「わたしは、グリュークスのことはほとんど何も知らないのだよ。色々と協力をしてもらったが、わたしにとってはずっと友でしかなかったのだ」
ずっと、強くなることしか頭になかったのだろう。
友の名を聞くことも、詳しく知ることもなかったらしい。
爺さんは後悔しているような顔をして、小さく何かを呟くと黒い犬が青く光る。
「友よ、気にすることはない」
青い光が消えると、黒い犬の怪我は全て癒えて立ち上がっている。
聞いたことがない声に驚くが、成程これが黒い犬の声か。
「我は、お前たちの脳波を指針にして声をかけている」
驚くぼくに説明するように黒い犬は、説明した。
「成程、確かに少年には脳波がある」
「ああ、少年の身体的構造は真っ当な人間と変わらないからな」
そりゃそうだろう、一応は人間のつもりだ。
「それより友よ。我は人間の短い生涯をたった一つのことに浪費するその生き方を、尊いものだと感じていたのだ。それ以外の全ては些細な問題に過ぎないのだ。何も気にすることなどない。我も友の話を聞いたことなどない、まあ自分から話していたが」
薄々は気づいていたのだが、この爺さんは最強を目指すなんてストイックなことを口にするくせにおしゃべり好きなのかもしれない。
人を殺そうとする直前、戦っている最中にすらベラベラと喋ってたし。
「友よ、これからどうする? 姿を隠すのならいつものように協力しよう」
「いや、わたしは彼女に従う。それが敗者の義務だ」
「……わかった。ではわれも付き合うことにしよう」
付き合いのいい犬だ。
「いえ、それは遠慮してください。使い魔の契約も解除していますし、あなた程の伝説を裁くことは出来ないでしょう」
節々から感じているのだが、この黒い犬は凄い犬なのか?
「あなたの存在が知られるのも大変なことなので、今のうちに逃げてください」
「ならば、君が預かってくれないか?」
爺さんはぼくの方に顔を向けながらそう言った。
「グリュークスと仲良くなったのだろう? わたしと同じように使い魔の契約をすれば問題はないはずだ。それに、少年はこれからわたしなどでは想像すら出来ないような世界の住人になるのではないかね?彼女の傍にいるとはそういうことだろう?」
ぼくは爺さんに大したことは語っていない。
それなのに、ある程度の事情を知られているように感じる。
「わたしですら口に出来るほど、君は弱い。グリュークスに守ってもらうというのは、どうだろうか?」
「われは、構わない。友とはあまりにも違うが、あまりにも興味深い存在だ」
なんか、二人である程度決まっているような感じだ。
「どうですか、ムゲンくん。私は悪い話ではないと思います。色々と誤魔化すことになりますが、それを差し引いてもいい話です。ムゲンくんには自衛の手段が絶対に必要ですから」
……考えてみる。
確かにワンコが傍にいれば、楽しいだろう。
「でも、止めておくよ」
「何故だね? いい話だと思ったのだが。グリュークスも喜ぶ」
確かに、いい話だけど。
「ぼくには、命を管理することなんて出来ない」
ペットだけじゃない。友人、家族、恋人、仲間。
その全てが当てはまる理屈。
ぼくは自分一人だけの世話をすることで精いっぱいだ。
自分以外の誰かを守ることなんて出来ないし、したくもない。
「ぼくが責任を負えるのは、ぼくのことだけだよ」
それが、ぼくの結論。
ぼくには黒い犬の命は背負えないのだ。
その事実に、強さも弱さも当てはまることは決してないのだから。
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