外
なんの意味もなく右腕を真上に伸ばしてみる。
それだけで、太陽すらも掴めそうな気分だった。
光の世界と闇の世界では、こんなにも気持ちが変わってしまうのが不思議でたまらなかった。
「無事でしたか、ムゲン」
ルシルが視線を向けずにぼくに声をかける。
何故か呼び捨てになっている。今は本気だということだろうか。
「とりあえず、怪我はないかな?」
ぼくは自分の体を見回してそう言った。
うん、全ての感覚も戻っているし大丈夫だ。
でも、少しだけ疲れたかもしれない。
「……そうですか、それはよかった。ですがあなたは体感的に百年以上の時間を過ごしているのです。無理はしないように」
百年?長い時間を彷徨っていた気がしていたが。
「現実では数秒程度ですが、黒犬の中ではそのぐらいの時間に感じているはずです」
「お喋りが過ぎるようだな……」
片腕を失い、辛そうにしていた爺さんが口を開く。
「わたしが魔法使いではないからと言って、油断が過ぎるのではないかね?」
何らかの薬を飲むと、まるでトカゲの尻尾のように右腕が生えてきた。
「タリンの実ですね。偉大な魔法使いが発見した魔道具を持っているとは、ただの素人ではないようですね」
ルシルは、心底爺さんを見下した目をしながら冷たい言葉を呟いた。
「わたしを馬鹿にしているのかね?」
「当然でしょう? 何千人、何万人を殺したのかは知りませんがその程度で対等に見てもらえるとでも思ったのですか?」
これは明確だ。
ルシルは爺さんを警戒すらしていない。
「一端の殺人鬼を名乗りたいのなら、種を滅ぼしてしまう一歩手間ぐらいの偉業を成し遂げてください。それで初めて半人前を名乗る権利が生まれるんですよ、素人さん?」
「きっ、さまあああああ!」
爺さんはあまりの怒りに、杖から剣を抜くとルシルに突撃する。
それは真っ当な怒りと呼べるのかもしれない。
最強を目指して長い人生を歩んできた老人が、二十歳程度の小娘の視界に入ることすら、まだ早いと言われたのだから。
「魔法も使えない、小枝を振り回すしか能がないのに真正面から私に立ち向かう。その勇気は買いますが、話にもなりません」
ルシルは指先を軽く振るう。
ただそれだけで、ぼくを黒い闇から解放した七色の光が爺さんに襲い掛かる。
傍で見ているぼくからすると、それは芸術的なまでに美しいものであったが。
「ぐっ!」
爺さんの体は、既に無数の穴だらけだ。
「わ、たしの剣は! 魔法をも斬るのだ!」
確かに、爺さんの剣はルシルの光を切り裂いている。
だが、せいぜいが二色だけだろう。
残りの色はあまりにもあっさりと爺さんの体にぶつかり、怒りを燃やし叫ばねば正気を保てないほどの痛みを与える。……それでも戦いは終わらない。
「タリンに感謝するのですね。後に訪れる後遺症と引き換えですが、あなたはあと数分は何があっても死を迎えることはありません」
それは欲しい。
いつか手に入れよう、ぼくには危ないことばかりだから。
「ですが、そんなものはただの時間稼ぎにもなりません。大体、剣を扱うのなら一太刀で次元ぐらいは斬らなければ話にもなりませんよ? 基本的に遠距離戦は魔法使いが圧倒的に有利なのですから、それを補うには距離すらも切り裂かねばなりません」
「黙れえええ!」
まるで、教師が生徒に物を教えているような光景だ。
それだけの実力差があるということで、爺さんの見てきた世界は思ったよりも狭いということでもある。
「大体、ムゲンにあんな顔を向けるなんて許されないことです。確かによくわからない子だし、世の中を舐め切っていますが、それでもその完成された在り方はとても美しいのに」
ルシルは嘆くようにそう言った。
「気持ち悪いものを、気持ち悪く思って何が悪い!」
爺さんの叫びに、ルシルは攻撃を止める。
その隙をつきルシルとの距離を詰めると、ようやくその剣はルシルに届くようになる。
だが、そんなものには価値がない。
爺さんの剣は、ルシルに当たることはない。
「もう諦めなさい。高位の魔法使いにただの攻撃など当たりません。その意志すらも敗れはしないのですから」
ルシルの言葉を聞くと、まるでルシルが剣に当たりたくないと思っているだけで、実際に剣が当たらないと言っているようにすら聞こえる。
「人間とはな、理解できないものを恐れるのだ」
ルシルと爺さんの戦い、……のようなものはあまりにも一方的だ。
爺さんは自分に勝ち目がないということを心から悟ったのだろう。
だが、敗北を受け入れることが出来ない心がその矛先を変える。
「死を恐れず、生に価値を感じない。そんなものは理解などできない。全ての生物は死を恐れながら、生に価値を求めて生きていくものだからだ!」
それは正しく人間の在り方だ。
「そこに人間や、動物。神や化け物ですら大きな差などない。あるのは価値観の違いだけだ! 生物が当たり前に持つものを持たない存在を、恐怖して何がおかしいというのだ!」
少しのやり取りで、ルシルの弱点はぼくだということに気づいたのだろう。
だが、これは爺さんの本音だ。
偽りのない本音をぶつけることによって、ルシルの心を攻撃している。
実際に、爺さんの剣はほんの少しずつルシルの体に近づいているように見える。
ルシルの言葉を借りるのなら、ルシルの意志が弱まっているのだろう。
その原因は、疑問か不満。ルシルは、少し俯いていてその表情は伺えない。
「だからこそ、美しいのですよ」
顔を上げたルシルの顔は、曇りのない微笑みだった。
「自分には理解できないもの、想像すらできない感情を抱いている存在。ムゲンは弱いのに、あまりにも強い。それは恐れるものではなく、称えるものなのです」
それが、ルシルの結論だった。
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