第六章 死を運ぶ者との遭遇編

死の匂い

 


 突然に目が覚めた。


 まるで、自分のベッドで寝ていたかのようにすやすやと寝ていたのに、恐ろしいほどの空気に飛び起きた。


 意識がはっきりすると、その正体に気が付く。


 溢れるばかりの人を殺したいという殺気と、充満する鉄の匂い。


 鉄の匂いは、血の匂いと同じだと聞いたことがある。確か鉄分がどうだって。


 ぼくは、完全な素人でほんの少し前までは完全な一般人だったが。


 それでもわかるほどの危険な匂い。


 それが、本当に近い位置から感じる。ルシルの家からヴィーの家ぐらいの距離だ。


「ああ、嫌だなあ」


 好奇心という名の悪魔が疼く。こんなにも面白いものから目を背ける事なんてできない。


 例え、その先に何が待っているとしても、その道を避けることは出来ないのだ。



 ☆



 重い足取りを、気にしないようにして一歩ずつ歩いていく。


 こんなにも遅い歩きでも、数分もかからない。


 ああ、この雰囲気には覚えがある。


 ほんの数日前に、僅かに感じたものだ。


 一つの通りを曲がると、そこには……。



 ☆



 小さな公園ほどの大きさの、空間に出た。そこに見えるものは。


 四つの人の形をした有機物と、一つの人の形をした死を運ぶもの。


 その後ろには明らかに知性を感じる、見たことがある真っ黒な子犬がいた。


「ふむ、これで今日は十三個目だな」


 その爺さんは、満足したかのように持っていた剣を見つめている。


 目は見えていないはずだが、それでも思い入れがある剣なのかもしれない。


 成程、あの時に持っていた杖はいわゆる仕込み杖という奴だったんだ。


 仕込み杖は折れやすいと聞いたことがあるが、十三人も斬って、それでもほとんど新品に近く見える。


 まあ、元々が剣だとわからないほどに真っ赤に染まっているのだが。


「うん? そうだね、確かに一般人を殺すことによってわたしの腕が上がらないという意見はわかる。だが、わたしは既に強者と戦うことで上達するような技量ではないのだよ」


 なんか、一見すると独り言を言っているように見える。


 が、おそらくあれは……。


「わたしはもう歳だ。夢を諦める気は全くないが、今はこの極めた技量を落とさないことに腐心しなければならない。……面倒ではあるが、若いころに戻りたいとは思わないな。今のわたしがその人生において最強だと考えているからね」


 爺さんは戯言をいいながら、その剣を一振りする。


 それだけで、真っ赤に染まり切っていた刀身が銀の姿を取り戻す。


「最強への道はあまりにも遠い。……さてグリュークスよ。よろしく頼むよ」


 爺さんが剣を杖に戻すと、後ろにいた子犬が叫ぶ。


「ワオーン!」


 すると、その姿は劇的に変わる。


 本当に小さい子犬が、二階建ての一軒家ほどの大きさに変わる。


 ぼくが学院に通う前だったら、あまりの恐怖に叫んでいたかもしれない。


 ……いや、そんなこともないな。


 普通の世界にも、たくさんの異常が溢れていた。


 その世界には魔法なんてなかったが、理解できないものや気が狂いそうなものがたくさんあったんだ。


 ぼくはどうやら、そういう類のものに出会いやすいようで、普通の世界に生きる人間が生涯で決して出会わないもの、見ることがないものを見てきたんだと思う。


 それは確かに楽しかったが、今思うといつ死んでもおかしくないと思うことに満ちていたと思う。


 未だに、幸福と不幸の差が理解できないほどだ。


「グルアア!」


 その大きな犬か狼は、あまりにも真っ黒で大きな体と鋭すぎる牙と爪を持っている。


 正直に言えば死神にすら見えた爺さんより、はるかに強そうに見える。


 ぼくの体ぐらい、丸呑みにできそうだ。


「食え、グリュークス!」


 その黒い犬は、合計で五つの人の形をした有機物をその大きな口で食べてしまう。


 幸いなことに、美味しくて食べているようではなく、肉に食らいつくわけではなく丸呑みにしているようだ。


 つまり、あれは処理をしているだけなのだろう。


 成程、何人殺したとしてもあの犬が丸呑みにしてしまえば証拠は残らない。


 そして、もう一つ驚いたことがある。


 黒い犬は爺さんや地面まで含めて、全てを丸呑みにしたように見えたのに、なくなったものは有機物だけ。


 それ以外の全ては傷一つなく、しっかりと残っている。


 あれは、自分の食べたいものだけを食べることができる能力を持っているということかな?


「さて、そろそろ出てきたらどうかね? 正直に言って自信はないのだが、昨日の少年なのかな?」


 爺さんはぼくの方を向き、そんなことを口にした。


 黒い犬もぼくのいる方角をちらっと見た。


 うん、逃げることはできないな。


 あり得ないことだとは思っていたが、それでも一応は様子だけ窺ってコッソリと逃げるという方針もあったけど、それは不可能だと理解した。


 ぼくは苦笑を浮かべようと思ったのだが、その口元が吊り上がっていることに気づいた。


 正直に言おう。


 一歩間違えたら死んでしまう場所。明らかに人の理の外に存在するであろう化け物たち。


 ルシルもいない、何の力もないただの人間であるムゲンという名の一人の少年。


 目の前にある明らかすぎる絶望に、ぼくの心は楽しみで浮足立っていた。

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