世界最高の魔法使いは弟子がいなくて困っている

 


 人が少ない所を探して歩いていると、どうやら中庭に出たらしい。


「……綺麗だ」


 ぼくが住んでいた場所は、割と自然が多い場所だった。


 親戚の三兄弟と一緒に、昼寝スポットを探して色々と見て回ったものだ。


 どれだけ探しても、こんなにも綺麗な自然はなかったし、人間と言う自然界の異物を、優しさをもって受け入れてくれる場所もそこにはなかった。


「よし、ここで昼寝しよう」


 まだ朝だが、問題はないだろう。


 眠たいし。


 ぼくは適当な木陰を探して、持っていた鞄を枕にしながら寝ることにした。


「今日はいい天気だ、意識を保っていることが罪深いほどに」


 自然に身を任せながら、夢心地にのんびりしてようやく眠れたのに、三十分ほどで起こされた。


 どうやら近くで、誰かが怒鳴っているようだ。


 無視したかったが声がうるさいし、場所を移動するのも面倒なうえ苛立たしい。


 この場所だと迷惑なことに、姿が見えなくても聞きたくもない会話の内容が、スムーズに耳に入る。


 まったくもって迷惑だ。ぼくのあまりにも短かった、穏やかな時間を返して欲しい。


「ルーシー先生、私は伝えましたよね? 次に生徒を壊してしまったら、あなたを解雇すると」


 落ち着いた男性の声が聞こえる。


 外国人が綺麗な発音で、難しい日本語を喋ると違和感が凄い。


 日本贔屓の外国の学院とは、こういうものなのだろうか。


 それでも、慣れなくてもいいことが救いだ。


 せっかく日本から離れたのだから、日本語からは遠のいた生活をしたい。


「わ、わかっています。それはわかっています。ですが、もう一度だけチャンスをください! お願いします」


 焦りを含んだ、女性の声が聞こえる。


 その声はもう駄目だとわかっていたのに、今からもう一度だけチャンスをくれと主張しているようだ。


 どうやらルーシー先生と言う人は、心が強いらしく一歩も後に引きそうにない。


 本人の繊細さが伝わってくるみたいな綺麗な声なのに、譲れない何かの為に必死に抵抗をする。


 姿なんて目に入らなくても、その意思の尊さはとても素晴らしい。


「そうだな。譲れないものがあるのなら、戦うべきだ」


 絶対に勝てない戦いだと思っていても、試してみれば奇跡が起きるかもしれない。


 ぼくは心の中だけで、ルーシー先生とやらを応援する。


「ダメです。大体、不可能なんですよ。あなたが弟子をとるなんて」


「そ、そんなことはありません」


 ルーシー先生は、弱々しく否定をする。


 男の声には厳しさと、圧倒的な確信が満ちていたからだ。


「わかりますか? 魔法の習得にはそれに応じた魔力量が必要なんですよ」


 その説明は、第三者のぼくにもわかりやすい。


「世界最高の魔法使いと言われるあなたのオリジナル魔法を習得することは、ただの学生程度には決してできません。それどころか学外の大人たち、そのうえ一流の魔法使いたちでも、まず無理でしょう」


 ……世界最高の魔法使い。


 素晴らしく、面白い言葉が聞こえた。


 それはとても甘美な言葉で、そんな人間が存在するのなら、是非顔を合わせてみたいほどに。


 そして、その人物はすぐ側に。


「なら、どうしろと言うのですか? この学校で教授になるには最低でも一人は愛弟子を作り、自らの魔法の大半を受け継いでもらわねばなりません。私はどうしても教授になる必要があるのです!」


 その言葉は叫ぶように。


 理解したくない現実に、近寄るなと威嚇するように。


 成る程。


 どうやらルーシー先生は、この学院の教授になりたいらしい。


 そして、本当の目標は遥か先にあるのだろう。


「この学校の創設者である、あなたのご先祖様の後を継ぐため、学院長になるためですよね? とにかく、教授にならなければ、学院長候補にすら選ばれませんから。いくらあなたでも、この学院のルールは破れません」


 ルールは絶対なのだと、男の主張にも共感できる。


 これは個人の話ではなく、集団の話。


 それも学院で、組織の話。


 ワガママを言いたいなら、出て行けと言うことだ。


「……それにしても、十歳まで普通の一般人として生活していたあなたに、一族の人間は酷な願いをする。普通、魔法使いは生まれた時から修行をするものなのに、あなたは……」


 男の声には、呆れと同情が含まれている。


「……仕方がありません、正当な一族の後継者がいたのですから。私は十歳の時に覚醒したのです」


 覚醒?


「覚醒ですか。……まったく、稀なことがあるものです」


「とにかく、この件は一族の期待でもありますが。私個人の夢でもあるんです。どうしても叶えたい夢なんです!」


 その言葉からは、ルーシー先生の熱意が伝わってくる。


 後がない人間特有の、なんの説得力もない気持ちだけの言葉。


 だがそれは、男性には伝わらないらしい。


 ……あるいは聞き分けがないので、伝わらないフリをしているのか。


「ですがあなたは、弟子を何人も壊し。偉大な夢の第一歩である教授になれもせず、解雇されるのですよ」


 男の言葉は辛辣で、現実に満ちている。


 ルーシー先生の息をのむ音が、僅かに聞こえてきた。


 会話を聞いていれば、彼女が悔しがっているとよくわかる。


 まだ諦めていないことを、褒められてもいいほどに。


「いえ、おそらくは解雇まではされないでしょう。あなたは世界最高の魔法使いであり、様々な人たちに期待されている」


 その言葉に、希望は持てたのか。


「ですが、少なくてもこの学園で弟子をとるのはやめてもらいます。これは教頭である私の権限で命令します。いいですね?」


 それとも、道は閉ざされたのか。


「それにしても、なるほど男性は教頭だったのか」


 つい、声を出してしまった。


 声だけでは、年齢が分からない。


 道理で、理詰めな言葉を語るとは思った。


 だが話を整理して考えると、結構ルーシー先生に融通を聞かせていたみたいだし、わかりやすい敵ではないのだろうな。


「……待ってください。教頭先生が次に生徒を壊したら解雇にすると伝えた時、私は既に弟子を持っていませんでした。つまり、もう一度だけチャンスがあるはずです」


「は?」


 悔し紛れにしか聞こえないが、確かにその言葉が本当なら、チャンスはもう一度あるはずだろう。


 最後通告より、自らが破綻するほうが早かったようだ


 ゆえに、自分の弟子の命を軽く思っている点に眼をつぶれば、非難されなくてもいいだろう。


「あなたはまだ、生徒の命を奪いたいというのですか? 今期の入学生の成績を私も確認しましたが、直ぐにあなたの弟子になれそうな生徒はいませんでしたよ。間違いなく殺してしまいます!」


「だとしても、チャンスはあと一度あるはずです!」


 ルーシー先生は、本当に強情らしい。


 話がここまで進むと、教頭が正しいと思えてきた。


 これ以上の犠牲は出すなと、人道に沿った主張だと思う。


「……いいでしょう。ただし、あと一人です。それ以上は認めません。いいですね?」


「……はい」


 その言葉を最後に、教頭は中庭から去っていったようだ。


 本当の意味で、最後の譲歩なのだろう。


「……なんというか、教頭が正しいな。人間としても、教師としても」


 話をしっかりと聞いて、素直にそう思った。


 だが、面白いのはルーシー先生だ。


 自分のためなら、他人を犠牲にしてでも意思を貫く。


 でも、犠牲にすること葛藤がないわけでもない。


 涙を流しながらも、その道を歩むことは目に浮かぶようだ。


 ルーシー先生はその場に留まっているみたいで、その理由も、簡単に推察できる。


「どうしよう、私の魔法を学べる弟子なんていないよ……。最低でも、国で一番の魔法量がなければ!」


 その言葉には、絶望が含まれている。


 もうどうしようもないと、自分でも理解しているのだろう。


 だが、どうやらぼくと利害は一致しているようだ。


 もしかしたら、助けてあげることが出来る余地は、残されているかもしれない。


 昨日、確かに両親から、ぼくの魔力量は膨大であり日本で一番だと聞かされた。


 でもぼくは魔法に興味がなく、明日からロンドンの町で遊び歩く身の上だ。


 だが、自分の魔力量と言うものが、本当はどのぐらいのものかということには興味がある。


 それに世界最高の魔法使いにもだ。


 今まで、映画や漫画でしか聞いたことがないような、魔法使いという存在。


 その中でも最高の人間に、関わってみたいと思った。


 実際に助けるかどうかは、状況とお礼次第だな。


「ルーシー先生。ぼくなんかどうですか?」


 ぼくは地面に寝転がっているまま、ルーシー先生に声をかけてみた。


 その姿は、今まで聞こえていた声音から察していたように。


 繊細さと強靭さが入り混じったような、どこにでもいる普通の女性が……。


 突然現れたぼくの姿に、小さめの悲鳴を上げた。

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