死の夢の天使

春風月葉

死の夢の天使

 天井まで真っ白な病室には汚れ一つない。隣のベッドには両目と左腕を失った戦友が苦しそうに呼吸をしながら眠っている。何人も見てきたからわかるが彼もそう長くはないだろう。

 静かな部屋に白衣を纏った天使がやってきた。真っ白な部屋では彼女の黒く長い髪がよく映えていた。私は彼女がこの部屋にやってくることがこの部屋の誰かがまた天に還ることを示すのだと知っていた。彼女は私の方へと迷うことなく歩いてきた。カツ、カツ、カツと響く彼女の足音が自分の命の秒針の音のように思えた。ああ、嫌だ。呼吸が苦しい。カツン、彼女は私の隣で立ち止まると私とは反対を向いた。今日は隣の彼が逝ってしまうようだ。

 彼女は隣で眠る彼の右手を取った。そしてその手を両手で優しく包むと彼の名前を口にした。彼はその手を弱く、しかしたしかに握り返した。

「ああ、アリシア。」彼は誰かの名を口にした。私にはそれが誰なのかはわからないが、死ぬ間際に名を呼ぶ程には大切な人なのだということだけわかった。

「ええ…」彼女は甘い声でそう応えた。

「やっと戦争が終わったんだ。ようやくこれで俺も君のところへ帰れるよ。」彼は言った。

「ええ、あなたの帰りを待っているわ。」彼女は優しく言う。

「早く君に会いたいよ。」彼の嬉しそうな、泣きそうな声、私は初めてそんな声を聞いた。

「ええ、私もよ。」彼女の声は震えていた。その後、彼は口を開かなかった。

 私は彼女に声をかけた。

「私はいつ彼らを追えるんだい。もう、私は誰かを送ることに飽きてしまったよ。あんなのは辛いだけだ。君はどうなんだい。」

「あなたはきっとまだ生き続けますよ。それに私は彼らを送ることができてよかったと、そう思っています。」彼女はそう応えた。

「それはどうしてだい。」私は問う。

「最期の時間を一人で過ごすなんて悲しいでしょう。だからその時間を偽りの夢の中の嘘で作られた存在であっても埋められるのなら埋めてあげたいのですよ。」彼女の声は少し低く、重かった。

「だから、もしあなたにそのときが来たならば、私はあなたの隣であなたの望む人になりましょう。」少し明るい声で彼女は続けた。ああ、だめだ眠い。瞼が重い。彼女の手が私の顔を撫でた。


「私だって誰かを送るのは辛いんです。だから…」真っ暗な視界、薄れゆく意識の中、彼女の声が微かに聞こえ、響いていた。

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死の夢の天使 春風月葉 @HarukazeTsukiha

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