王准之2 御史中丞の家  

劉裕りゅうゆうそう王となった時、

御史中丞ぎょしちゅうじょうに任命を受けた。

これによって同僚からは

避けられるようになった。


御史中丞。

官僚らを糾弾するのがメインの仕事。

曽祖父、祖父、父が

代々引き受けてきた仕事でもある。


ある句会のときことである。

王准之おうじゅんしが五言詩を詠んだ。

すると近くにいた范泰はんたいが笑う。


「そなたは人を糾弾することばかりが

 得意と見える!」


王准之、きっとなって言う。


「ど淫乱を世に鳴らす方が、

 よくもまあ仰るものだ!」



のちに謝霊運しゃれいうんによる殺人事件が発生。

部下がこの事件を糾弾せず、

またそれを追求しなかったことから、

いちど免官となった。


が、劉裕が即位したときに

黃門侍郎として復帰。


421 年には司徒左長史となり、

その後始興しこう太守に配属された。




宋臺建,除御史中丞,為僚友所憚。准之父訥之、祖臨之、曾祖彪之至准之,四世居此職。准之嘗作五言,范泰謿之曰:「卿唯解彈事耳。」准之正色答:「猶差卿世載雄狐。」坐世子右衞率謝靈運殺人不舉免官。高祖受命,拜黃門侍郎。永初二年、遷司徒左長史,出為始興太守。


宋臺の建つるに、御史中丞に除せられ、僚友に憚らる所と為る。准之が父の訥之、祖の臨之、曾祖の彪之より准之に至り、四世にて此の職に居す。准之は嘗て五言を作さば、范泰は之を謿いて曰く:「卿は唯だ彈事を解したるのみ」と。准之は色を正して答うるらく:「猶お差や卿は世に雄狐を載せたり」と。世子右衞率の謝靈運の殺人を舉げざるに坐し免官さる。高祖の受命せるに、黃門侍郎を拜す。永初二年、司徒左長史に遷り、出でて始興太守と為る。


(宋書60-10_政事)




こうして読んでみると、四代続いた御史中丞ということで、面倒くさいしがらみもできちゃってたんでしょうねえ。というか下手に謝霊運なんて叩けないよな。そして本来のご政道から考えれば罪は罪なので裁けやボケって言われるのは当然のこと。なので王弘さん、蔡郭さんは「王准之め、なーにをちんたらやっとんのじゃ!」ってキレた。そんな感じかなあ。



雄狐


春秋しゅんじゅうせい襄公じょうこうが、すでに嫁に出ていた妹と近親相姦を決めていたことを詩経斉風「南山」で風刺されていたことから、雄狐は淫乱の象徴として使われるようになったそーである。ん、范泰にその辺のエピソードがあるってこれまで全く出てこなかったけど、それっぽい内容どこかに載ってるのかしらね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る