王准之1 王氏青箱学   

王准之おうじゅんし



王准之、字は元曾げんそう琅邪ろうや臨沂りんし県の人。

琅邪王氏マジで多いですね。


高祖父は王彬おうひん、尚書僕射。

曾祖父は王彪之おうひょうし、尚書令。

祖父の王臨之おうりんし、父の王訥之おうとつし

ともに御史中丞だ。


王彪之は博聞多識、

朝廷の儀礼について知悉していた。

その知識をまとめ上げ、

青い箱に封じ、家に代々伝えた。

人々はこれを「王氏青箱學」と呼んだ。

これによって、王准之の家は

代々朝廷の儀礼についての知識が

他家に優越することになったのだ。


そんな秘伝を継承した王准之自身も、

また秘伝に明るく、礼にも詳しく、

かつその表現力も多彩。


はじめ本國右常侍として就職、

そこから晋を乗っ取った桓玄かんげんの幹部に。

桓玄が簒奪をなすと尚書祠部郎に。


桓玄が倒れると、尚書中兵郎に。

そこから劉裕りゅうゆうの幹部として働いた。

中軍参軍と言う事だから、

南燕なんえん征伐終了までは幹部として働いた、

となるのだろう。

併せて丹陽たんよう丞、つまり建康けんこうの副知事に。


その後会稽かいけい山陰さんいん県の県令に。

そこで治績を挙げた。


盧循ろじゅん討伐にあたっては、

おそらく兵站周りでだろう、

功績を挙げたために、

都亭侯に封爵された。


その後劉裕が出征するところには

幹部として従軍していったようだ。

さらに尚書左丞、本郡大中正となった。




王准之字元曾,琅邪臨沂人。高祖彬,尚書僕射。曾祖彪之,尚書令。祖臨之,父訥之,並御史中丞。彪之博聞多識,練悉朝儀,自是家世相傳,並諳江左舊事,緘之青箱,世人謂之「王氏青箱學」。准之兼明禮傳,贍於文辭。起家為本國右常侍,桓玄大將軍行參軍。玄篡位,以為尚書祠部郎。義熙初,又為尚書中兵郎,遷參高祖車騎中軍軍事,丹陽丞,中軍太尉主簿,出為山陰令,有能名。預討盧循功,封都亭侯。又為高祖鎮西、平北、太尉參軍,尚書左丞,本郡大中正。


王准之は字を元曾、琅邪の臨沂の人なり。高祖は彬、尚書僕射。曾祖は彪之、尚書令。祖の臨之、父の訥之は並べて御史中丞。彪之は博聞多識にして朝儀を練悉せば、是より家にて世よ相い傳わば、並でべ江左の舊事を諳んじ、之を青箱に緘ず。世人は之を謂えらく「王氏青箱學」と。准之は兼明禮傳にして文辭に贍かなり。起家し本國右常侍と為り、桓玄の大將軍行參軍となる。玄の篡位せるに、以て尚書祠部郎と為る。義熙の初、又た尚書中兵郎と為り、參高祖車騎中軍軍事に遷じ、丹陽丞、中軍太尉主簿となり、出でて山陰令と為り、能名を有す。盧循を討てる功に預り、都亭侯に封ぜらる。又た高祖鎮西、平北、太尉參軍と為り、尚書左丞、本郡大中正となる。


(宋書60-9_政事)




王弘おうこうとか蔡廓さいかく謝霊運しゃれいうん周りでブッ叩かれていたお方の登場です。


ここまで読んできて、ひとまず「御史中丞は他の人たちをブッ叩く役」というのはようやくつかめてきました。代々御史中丞ってことは代々ほかの官吏をブッ叩いてきたってことであり……サンソン一族かな?


とか思ったら、その辺が次の条で語られてました。待て次回。

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