范泰7  文で殴る    

劉義隆りゅうぎりゅうは皇位につき、

まもなく親政を始めていた。

ただ、未だ徐羨之じょせんしらの権力は大きい。


そこで范泰はんたい、上奏文を書く。


「伏承廬陵王已復封爵,

 猶未加贈。

 陛下孝慈天至,友于過隆,

 伏揆聖心,已自有在。


 但司契以不唱為高,

 冕旒以因寄成用。


 臣雖言不足採,誠不亮時,

 但猥蒙先朝忘醜之眷,

 復沾廬陵矜顧之末,

 息晏委質,有兼常欵,

 契闊戎陣,顛狽艱危,

 厚德無報,授令路絕,

 此老臣兼不能自已者也。


 朽謝越局,無所逃刑」


よくわからない。

廬陵ろりょう王、つまり徐羨之じょせんしらに殺された

劉義真りゅうぎしんの封爵を加増させましょう、

ということだろうか。

となればそれは、徐羨之らに対する

強烈な牽制の意図となるだろう。


最後の一文は、自分のようなものが

こんな差し出がましいことを言えば、

刑に服するのも仕方がない、

と言ったところか。


この文を見た范泰の子たち、

慌てて父親を止めた。

そりゃそうだ。

下手すりゃ族滅レベルである。


426 年、徐羨之らが誅殺されると、

侍中、左光祿大夫、國子祭酒となった。

江夏王師、特進については元のまま。

引退はどうしたジジイ。


劉義隆、

范泰が劉裕りゅうゆうよりの恩寵甚だしく、

また、その足の病のことも気にかけ、

宴や集会の際に、特別に

輿に乗って参内することを許可した。


范泰、劉義隆とも時事にまつわる

様々なことを語る。

劉義隆はそれを

笑顔で聞いていたという。




時太祖雖當陽親覽,而羨之等猶秉重權,復上表曰:「伏承廬陵王已復封爵,猶未加贈。陛下孝慈天至,友于過隆,伏揆聖心,已自有在。但司契以不唱為高,冕旒以因寄成用。臣雖言不足採,誠不亮時,但猥蒙先朝忘醜之眷,復沾廬陵矜顧之末,息晏委質,有兼常欵,契闊戎陣,顛狽艱危,厚德無報,授令路絕,此老臣兼不能自已者也。朽謝越局,無所逃刑。」泰諸子禁之,表竟不奏。三年,羨之等伏誅,進位侍中、左光祿大夫、國子祭酒,領江夏王師,特進如故。上以泰先朝舊臣,恩禮甚重,以有脚疾,起居艱難,宴見之日,特聽乘轝到坐。累陳時事,上每優容之。


時に太祖は當陽親覽せると雖ど、羨之らは猶お重權に秉りたれば、復た上表して曰く:「伏し承るに廬陵王は已に復た爵に封ぜられ、猶お未だ加贈されず。陛下の孝慈なるは天に至り、友なるにては過隆、伏して聖心を揆せるに、已に自ら在せる有り。但だ司契の高為るを唱えざるを以て、冕旒は以て因りて成用に寄す。臣が言は採るに足らざると雖ど、誠に亮ならざる時、但だ猥蒙にして先朝の忘醜の眷、復た廬陵矜顧の末を沾じ、息晏し質を委ね、兼常の欵を有し、戎陣を契闊し、艱危を顛狽し、德厚かれど報い無く、授令の路は絕え、此れ老臣は自ら已に兼す能わざるなり。朽謝越局し、刑より逃るる所無し」と。泰が諸子は之を禁じ、表は竟に奏ざれず。三年、羨之らの誅に伏さるに、位は侍中、左光祿大夫、國子祭酒に進み、江夏王師、特進を領せるは故の如し。上は泰の先朝の舊臣にして恩禮の甚だ重きを以て、脚疾有り、起居に艱難なるを以て、宴見の日にては特に轝に乘りて坐に到るを聽す。時事を累陳せば、上は每に之を優容す。


(宋書60-7_規箴)




スルーすべき上奏文じゃない、が、わからない。うーん、悔しいです。辞書引いてもなんかうまくつながってくれんし。とりあえず息子たちが慌てて止めるくらいにやべえことが書かれている、とはなるんでしょう。それがどうやべえのかを読み取れたら、きっと楽しい。たぶんすっげえ勢いで殴ってますよこれ。なので未来の自分に丸投げするのでした。

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