范泰5 武帝期少帝期
金紫光祿大夫、散騎常侍が加えられた。
421 年、國學を建てるにあたり、
という動きがあった。
范泰は後進推挙を旨としたい、と語った。
結局國學は建たなかった。
またこの頃、流通に用いられる貨幣が
少なくなっていた。
そこで
という議論が持ち上がった。
范泰、これにも反対している。
劉裕が死に、
特進に昇進。
ただ、翌年に七十歳となったため引退。
國子祭酒の任も解かれた。
劉義符は在位中
多くの失態をしでかしていた。
そのたびに范泰は口を酸っぱくして
劉義符にお小言を垂れたという。
劉義符は聞く耳ももたなかったが、
一方で、これと言って
范泰を罰することもなかった。
范泰、
二人が
范泰は親しいものに言っている。
「これまでの歴史からして、
先帝からの顧託を受けてながら
後継ぎを殺したものどもは、
賢王に殺し返されるであろうよ」
高祖受命,拜金紫光祿大夫,加散騎常侍。明年,議建國學,以泰領國子祭酒,泰上表陳獎進之道。時學竟不立。時言事者多以錢貨減少,國用不足,欲悉市民銅,更造五銖錢。泰又諫。景平初,加位特進。明年致仕,解國子祭酒。少帝在位,多諸愆失,上封事極諫。少帝雖不能納,亦不加譴。徐羨之、傅亮等與泰素不平,及廬陵王義真、少帝見害,泰謂所親曰:「吾觀古今多矣,未有受遺顧託,而嗣君見殺,賢王嬰戮者也。」
高祖の受命せるに、金紫光祿大夫を拜し、散騎常侍を加わる。明年、國學を建つるを議せるに、泰を以て國子祭酒を領ぜしめんとするも、泰は上表し獎進の道を陳ぶ。時に學は竟に立たず。時に事を言う者の多きは錢貨の減少せるを以て、國に用うるに足りず、市民の悉きが銅を欲さば、更に五銖錢を造るべしとす。泰は又た諫む。景平の初、特進の位を加う。明年に致仕し、國子祭酒を解かる。少帝の在位せるに、諸もろの愆失多く、上封し極諫を事とす。少帝は納む能わざると雖ど、亦た譴を加えず。徐羨之、傅亮らと泰は素より平らかざれば、廬陵王義真、少帝の害さるに及び、泰は親所しきに謂いて曰く:「吾れ古今の多きを觀たるに、未だ顧託の遺さるを受け、而して嗣君の殺さるを見るに、賢王の嬰戮せる者有らざりたるなり」と。
(宋書60-5_規箴)
国学に関するところ、五銖銭に関するところでそれぞれ范泰さんが長大な上奏をなさっておられますが、心折られたため翻訳から撤退いたしました。いやん。学識はすさまじく、教育者としては優れていたけれども、政治力はなかった、という感じの人なのかしらね。
うーん、范泰のところでまで書かれてるってことは、劉義符の政がクソだったはどうにも揺るぎようのないことだったっぽいですねー。
で、とりあえず上表のせときます。むりむり。
国学について。
臣聞風化興於哲王,教訓表於至世。至說莫先講習,甚樂必寄朋來。古人成童入學,易子而教,尋師無遠,負糧忘艱,安親光國,莫不由此。若能出不由戶,則斯道莫從。是以明詔爰發,已成渙汗,學制既下,遠近遵承。臣之愚懷,少有未達。今惟新告始,盛業初基,天下改觀,有志景慕。而置生之制,取少停多,開不來之端,非一塗而已。臣以家推國,則知所聚不多,恐不足以宣大宋之風,弘濟濟之美。臣謂合選之家,雖制所未達,父兄欲其入學,理合開通,雖小違晨昏,所以大弘孝道。不知春秋,則所陷或大,故趙盾忠而書弒,許子孝而得罪,以斯為戒,可不懼哉。十五志學,誠有其文,若年降無幾,而深有志尚者,何必限以一格,而不許其進邪。揚烏豫玄,實在弱齒;五十學易,乃無大過。昔中朝助教,亦用二品。潁川陳載已辟太保掾,而國子取為助教,即太尉准之弟。所貴在於得才,無繫於定品。教學不明,奬厲不著,今有職閑而學優者,可以本官領之,門地二品,宜以朝請領助教,既可以甄其名品,斯亦敦學之一隅。其二品才堪,自依舊從事。會今生到有期,而學校未立。覆簣實望其速,回轍已淹其遲。事有似賒而宜急者,殆此之謂。古人重寸陰而賤尺璧,其道然也。
五銖銭について。
流聞將禁私銅,以充官銅,民雖失器,終於獲直,國用不足,其利實多。臣愚意異,不寧寢默。臣聞治國若烹小鮮,拯敝莫若務本。百姓不足,君孰與足。未有民貧而國富,本不足而末有餘者也。故囊漏貯中,識者不吝;反裘負薪,存毛實難。王者不言有無,諸侯不言多少,食祿之家,不與百姓爭利。故拔葵所以明治,織蒲謂之不仁,是以貴賤有章,職分無爽。今之所憂,在農民尚寡,倉廩未充,轉運無已,資食者眾,家無私積,難以禦荒耳。夫貨存貿易,不在少多,昔日之貴,今者之賤,彼此共之,其揆一也。但令官民均通,則無患不足。若使必資貨廣以收國用者,則龜貝之屬,自古所行。尋銅之為器,在用也博矣。鍾律所通者遠,機衡所揆者大。夏鼎負圖,實冠眾瑞,晉鐸呈象,亦啟休徵。器有要用,則貴賤同資;物有適宜,則家國共急。今毀必資之器,而為無施之錢,於貨則功不補勞,在用則君民俱困,校之以實,損多益少。陛下勞謙終日,無倦庶務,以身率物,勤素成風,而頌聲不作,版、渭不至者,良由基根未固,意在遠略。伏願思可久之道,賒欲速之情,弘山海之納,擇芻收之說,則嘉謀日陳,聖慮可廣。其亡存心,然後苞桑可繫。愚誠一至,用忘寢食。
劉義符へのお小言。
伏聞陛下時在後園,頗習武備,鼓鞞在宮,聲聞于外,黷武掖庭之內,諠譁省闥之間,不聞將帥之臣,統御之主,非徒不足以威四夷,祇生遠近之怪。近者東寇紛擾,皆欲伺國瑕隙,今之吳會,寧過二漢關、河,根本既搖,于何不有。如水旱成災,役夫不息,無寇而戒,為費漸多。河南非復國有,羯虜難以理期,此臣所以用忘寢食,而干非其位者也。陛下踐阼,委政宰臣,實同高宗諒闇之美。而更親狎小人,不免近習,懼非社稷至計,經世之道。王言如絲,其出如綸,下觀而化,疾於影響。伏願陛下思弘古道,式遵遺訓,從理無滯,任賢勿疑,如此則天下歸德,宗社惟永。書云:「一人有慶,兆民賴之。」天高聽卑,無幽不察,興衰在人,成敗易曉,未有政治在於上而人亂於下者也。臣蒙先朝過遇,陛下殊私,實欲盡心竭誠,少報萬分,而惛耄已及,百疾互生,便為永違聖顏,無復自盡之路,貪及視息,陳其狂瞽。陛下若能哀其所請,留心覽察,則臣夕殞于地,無恨九泉。
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