蔡廓7  兄を奉じる   

蔡廓さいかくは官位こそ高くなかったものの、

人々からは大いに支持されていた。


なので正月ともなれば、

その知遇を得たいと思うものが

こぞって身なりを整え、

蔡廓の家に訪問した。


そんな蔡廓であったが、

兄の蔡軌さいきを父親のように奉っていた。

あらゆる家にまつわる決定は

兄に確認の上おこなったし、

給与賞与の類は、全て兄に納めていた。

何か出費が必要な時には、

必ず兄にお伺いを立てる、

と言う感じだった。


以前、劉裕りゅうゆうに従って

彭城ほうじょうに出向いていた時には、

妻の氏が手紙で、夏服が欲しい、

と頼み込んできた。


その時の蔡廓の返事が、こうである。


「なるほど、夏服が欲しいのか。

 それはわかった。


 だが、

 兄上から頂戴したものがあるだろう?

 それで十分ではないか」


425 年、蔡廓は死亡した。47 歳。

かつて劉裕は彼に対し、こう評価している。


羊徽ようきと蔡廓は、平和な時代であったなら

 三公にまで上り詰めていただろうにな」


子供たちの中では、

末っ子の蔡興宗さいこうそうがもっとも有名である。




廓年位並輕,而為時流所推重,每至歲時,皆束帶到門。奉兄軌如父,家事小大,皆諮而後行,公祿賞賜,一皆入軌,有所資須,悉就典者請焉。從高祖在彭城,妻郗氏書求夏服,廓答書曰:「知須夏服,計給事自應相供,無容別寄。」時軌為給事中。元嘉二年,廓卒,時年四十七。高祖嘗云:「羊徽、蔡廓,可平世三公。」少子興宗。


廓は年に位は並べて輕かれど、時流に推重さる所と為り、歲時の至れる每、皆な束帶し門に到る。兄の軌を父が如く奉じ、家事の小大は皆な諮りて後に行い、公祿、賞賜は一に皆な軌に入れ、須く資せる所を有さば、悉く典者に就きて請いたる。高祖に從いて彭城に在せるに、妻の郗氏は書し夏服を求めど、廓は書に答えて曰く:「夏服を須むを知りたるも、計るに給事は自ら應に相い供ぜらる。別に寄すを容る無し」と。時に軌は給事中為り。元嘉二年、廓は卒す。時に年四十七なり。高祖は嘗て云えらく:「羊徽、蔡廓は平世の三公たるべし」と。少子に興宗あり。


(宋書57-8_倹嗇)




奥さまの要求絡みの話はちょっとわかんなかったです。それにしてもなんでこんなに兄貴ラブだったんだろう。若い頃に父親が亡くなって、それでずっと兄が家を切り盛りしてきてくれてた、とかなんでしょうか。なんにせよ、やっぱりこの人はもっとクローズアップしておきたいところですね。孔靖、王誕、徐広、孔琳之、蔡廓、あとは傅隆かな。この辺のバリバリの実務官たちのことを詳しく知れると、もうちょっと劉宋草創期の政権の実態が見えるような気がするのです。


ちなみに蔡興宗は、そのまま五十七巻の後半を占めています。分量としては、むしろ息子の方が圧倒的。「蔡興宗は劉宋中~後期を語るにあたってめっちゃ重要だけど、その父もまた無視できない存在感だったんだよ」と言う感じでしょうかね。

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