蔡廓3  皇子の席次 上 

劉義真りゅうぎしんが揚州刺史に任じられた時、

ふと朝礼で並ぶべき席次を

疑問に思ったという。


そこで傅亮ふりょう蔡廓さいかくに書面で伝えた。


「劉義真様は現在、揚州刺史。

 ならば刺史としての序列に

 おられるべきである。


 が、私の席次は

 朝礼に集まるどの官より

 上であるべきではないのか?

 と仰ってこられた。


 蔡廓殿におかれては、

 劉義真様のこの疑問に対する

 回答をお考えいただきたい。


 確かに毛詩もうしの序には記されている、

 皇帝の娘が諸侯の嫁に出る時、

 夫の身分にかかわらず、

 その衣服は皇后の

 一段下のものとすべきだ、と。


 皇帝の娘がそうであるならば、

 皇帝の息子の衣装も、

 諸王や公爵らの上に位置付けられる、

 となるべきと言えるのかもしれん。


 陸機りくきが書き残した起居注にも、確かに

 式乾殿に諸皇子を集めたとき、

 彼らは三公よりも上の席次であった、

 と書かれている。


 例えばこんな例がある。


 廃帝はいてい司馬奕しばえきが皇帝となった時、

 席次は太宰の司馬晞しばきが第一、

 撫軍将軍の司馬昱しばいくが第二、

 大司馬の桓温かんおんが第三であった。


 彼らを官職で比べれば、

 大司馬の位は最も高い。

 しかも内外の軍務総督でもあった。

 しかし、席次は確かに

 司馬晞、司馬昱の次になっていた。


 これも、皇帝の息子の下に

 ついていた、となるだろう。


 この例は他にもある。


 穆帝ぼくてい司馬聃しばせんの治世の時にも、

 蔡謨さいも様が三公の司徒であり、

 司馬昱が撫軍大将軍であった時にも、

 いくら大将軍位であるとはいえ、

 元来の席次は

 三公である蔡謨様の方が上。

 にもかかわらず司馬昱が前、

 蔡謨様が後ろであった。


 これらの例を踏まえれば、

 劉義真が九卿よりも下の席次にいるのは、

 礼に反している、と

 言えるのではあるまいか?


 どうか、席次を改めては頂けぬか?」




時疑揚州刺史廬陵王義真朝堂班次,亮與廓書曰:「揚州自應著刺史服耳。然謂坐起班次,應在朝堂諸官上,不應依官次坐下。足下試更尋之。詩序云:『王姬下嫁於諸侯,衣服禮秩,不係其夫,下王后一等。』推王姬下王后一等,則皇子居然在王公之上。陸士衡起居注,式乾殿集,諸皇子悉在三司上。今抄疏如別。又海西即位赦文,太宰武陵王第一,撫軍將軍會稽王第二,大司馬第三。大司馬位既最高,又都督中外,而次在二王之下,豈非下皇子邪。此文今具在也。永和中,蔡公為司徒,簡文為撫軍開府,對錄朝政。蔡為正司,不應反在儀同之下,而于時位次,相王在前,蔡公次之耳。諸例甚多,不能復具疏。揚州反乃居卿君之下,恐此失禮,宜改之邪。」


(宋書57-3_政事)




傅亮さんにしてみりゃ、自分がいまの地位につけてるのは劉裕と言う絶大な力あってのものだという自覚があるのでしょうね。なので、皇族を優先し、自分たちはそのおこぼれに、みたいな感じなのかもしれない。


とりあえず蔡廓の回答がクッソ長いので、次に回します。

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