蔡廓2  バリバリ糾弾マン

蔡廓さいかくの官歴は堂々たるものだ。

司徒主簿、尚書度支殿中郎、通直郎、

高祖太尉參軍、司徒屬、中書、黃門郎。

この頃の司徒は、おそらくは王謐おういつ


その忠実で飾り気のないところは、

実に劉裕りゅうゆう好みであった、と言える。


劉裕が兗州えんしゅう刺史となった時、

兗州の別駕從事史となり、

実質の兗州に関する切り盛りは

蔡廓が行った。


劉裕が中軍将軍に降格となった時には

その相談役に。

とことんまでに、劉裕の政務に関する

中心的なスタッフと言う装いである。


太尉從事中郎に任じられようとした時、

母親が死亡。

行動が礼に則りまくりの蔡廓、

当然服喪も孝に満ちたもの。

三年間入浴もせず、喪に服していた。


喪が明けると、相国に昇進した

劉裕の從事中郎となり、記室参軍に。

劉裕が宋王となると、侍中となった。


この頃、劉義符りゅうぎふの側仕えとなっていた

謝靈運しゃれいうんが殺人事件を起こした。

本来この事件に対応すべき

王准之おうじゅんしがまともに動かなかったため、

糾弾し、免官させる。


劉裕は、蔡廓のこの権威への

おもねりが一切ないさまを見て、

王准之の代わりに御史中丞とした。


そしたらもう、

ガンガン不正をブッ叩きまくる。

あいつやべえ、と

皆ビビったそーである。


この頃、劉裕の側近であった

傅亮ふりょうの権威が凄まじく大きくなっていた。

その学識も当代トップ。

なので宮廷の典礼にまつわるもろもろは

まず傅亮に持ち掛けられたのだが、

その傅亮も、実際の施行は

蔡廓にお伺いを立てたあとにしていた。


ここで傅亮と蔡廓に

意見の相違があったとしたら、

蔡廓は絶対に折れなかったという。




遷司徒主簿,尚書度支殿中郎,通直郎,高祖太尉參軍,司徒屬,中書、黃門郎。以方鯁閑素,為高祖所知。及高祖領兗州,廓為別駕從事史,委以州任。尋除中軍諮議參軍,太尉從事中郎。未拜,遭母憂。性至孝,三年不櫛沐,殆不勝喪。服闋,相國府復板為從事中郎,領記室。宋臺建,為侍中。世子左衞率謝靈運輒殺人,御史中丞王准之坐不糾免官,高祖以廓剛直,不容邪枉,補御史中丞。多所糾奏,百僚震肅。時中書令傅亮任寄隆重,學冠當時,朝廷儀典,皆取定於亮,每諮廓然後施行。亮意若有不同,廓終不為屈。


司徒主簿、尚書度支殿中郎、通直郎、高祖太尉參軍、司徒屬、中書、黃門郎に遷る。方鯁を以て閑素とし、高祖に知らる所と為る。高祖の兗州を領ぜるに及び、廓は別駕從事史と為り、以て州が任を委ねらる。尋いで中軍諮議參軍、太尉從事中郎に除せらる。未だ拜せざるに、母が憂に遭う。性は至りて孝、三年櫛沐せず、殆んど喪に勝らず。服の闋ぜるに、相國府は復た板じ從事中郎と為し、記室を領す。宋臺の建つるに、侍中と為る。世子左衞率の謝靈運の輒ち殺人せるに、御史中丞の王准之の坐し糾せざるを免官とし、高祖は廓が剛直にして邪枉を容れざるを以て、御史中丞に補す。糾奏せる所多かれば、百僚は震肅す。時の中書令の傅亮が任は隆重に寄し、學は當時に冠じ、朝廷の儀典は皆な亮に取定さるも、每に廓に諮り然る後に施行さる。亮が意に若し不同有れど、廓は終にも屈したるを為さず。


(宋書57-2_直剛)




うんまぁ……すごい人だなーって思うんですけど、近くにはいてほしくないというか。国家みたいな、一つの命令で簡単に何人もの命を奪いかねないような場にあっては、孔琳之こうりんしとか蔡廓みたいに自他ともに対して厳しい人がいなきゃいけなかったような気もしますけど。

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