巻55 卓越した文官1
臧燾1 卓越した学者
臧燾、字は
劉裕の皇后、
貧乏ぐらしのなか学問を好み、
三禮によく通じ、そのふるまいは
地元でも素晴らしいと評判だった。
晋の
と考えたときに、甥の
助教授となった。
しかし母親が老いたため、
その介護に当たりたいと離職、
弟の
貧乏暮らしもものともせず、
慎ましく十年あまり父母を介助した。
父母が共に亡くなったところで、
喪に服すこと六年。
ようやく官途に復帰した臧燾は
すっかりやつれ上がっており、
人々にその孝行ぶりが讃えられた。
太學の教授となり、
また
劉裕の幹部に遷る。
更に尚書度支郎となり、
掌祠部に改められた。
父の封爵であった
臧燾字德仁,東莞莒人,武敬皇后兄也。少好學,善三禮。貧約自立,操行為鄉里所稱。晉孝武帝太元中,衞將軍謝安始立國學,徐、兗二州刺史謝玄舉燾為助教。以母老家貧,與弟熹俱棄人事,躬耕自業,約己養親者十餘載。父母喪亡,居喪六年,以毀瘠著稱。服闋,除臨沂令。義旗建,為太學博士,參右將軍何無忌軍事,隨府轉鎮南參軍。參高祖中軍軍事,入補尚書度支郎,改掌祠部。襲封高陵亭侯。
臧燾は字を德仁、東莞の莒の人、武敬皇后が兄なり。少きより學を好み、三禮に善し。貧約せど自立し、操行にて鄉里に稱わる所と為る。晉の孝武帝の太元中、衞將軍の謝安の始めて國學を立つるに、徐、兗二州刺史の謝玄は燾を舉げ助教と為す。母の老いたるに家貧したるを以て、弟の熹と俱に人事を棄て、躬耕を自業とし、己を約し親を養うこと十餘載たり。父母の喪亡せるに、喪に居せること六年、毀瘠を以てて稱わらること著し。服の闋ぜるに、臨沂令に除せらる。義旗の建つるに、太學博士と為り、右將軍の何無忌が軍事に參じ、府に隨いて鎮南參軍に轉ず。高祖の中軍軍事に參じ、入りて尚書度支郎に補せられ、掌祠部に改まる。高陵亭侯を襲封す。
(宋書55-1_為人)
国学の設立は太元十年とあります。劉裕23歳ころですね。この頃にはもう劉裕と臧愛親も結婚していたんじゃないでしょーか。
謝安謝玄に取り立てられるようなグレードの家門と姻戚で、かつ
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