孔靖3  戯馬台の会   

414 年に宰相として

中央に召喚を受けたが、これも辞退。


それから間もなく領軍將軍、散騎常侍、

本州大中正となった。


416 年、中央に改めて出仕。

金紫光錄大夫きんしこうろくだいふをとなった。


同年、劉裕りゅうゆう後秦こうしん討伐の軍を起すと、

孔靖こうせいは従軍を希望した。

長安ちょうあん洛陽らくようの陥落を共に見届け、

劉裕がその功績から相国に昇進すると、

相国府に幕僚として入った。


劉裕が宋王となると、

尚書令となるよう要請があったが、

こちらも辞退。


そのかわり侍中、特進、

左光祿大夫となった。


関中から彭城ほうじょうに戻った時、

孔靖は劉裕に対し、

引退して会稽かいけいに戻りたい、と言う。

そこで劉裕、戲馬臺ぎばだいと言う場所で

孔靖を送別する宴を開いた。


人々はそこで、孔靖の

素晴らしさを讃える詩賦を書いた。


劉裕が皇帝となると

開府儀同三司の特権付与が諮られたが、

何度も来る諮問を固辞し続けて、

ついに死ぬまで受けなかった。


422 年に死亡、76 歳。

侍中、左光祿大夫、開府儀同三司が

追贈された。




十年,復為尚書右僕射,加散騎常侍,又讓不拜。頃之,除領軍將軍,加散騎常侍,本州大中正。十二年,致仕,拜金紫光錄大夫,常侍如故。是歲,高祖北伐,季恭求從,以為太尉軍諮祭酒、後將軍。從平關、洛。高祖為相國,又隨府遷。宋臺初建,令書以為尚書令,加散騎常侍,又讓不受,乃拜侍中、特進、左光祿大夫。辭事東歸,高祖餞之戲馬臺,百僚咸賦詩以述其美。及受命,加開府儀同三司,辭讓累年,終以不受。永初三年,薨,時年七十六。追贈侍中、左光祿大夫、開府儀同三司。


十年、復た尚書右僕射と為り、散騎常侍を加うるも、又た讓りて拜さず。之の頃、領軍將軍に除せられ、散騎常侍を加えられ、本州大中正となる。十二年、致仕せるに、金紫光錄大夫を拜し、常侍は故の如し。是の歲、高祖の北伐せるに、季恭は從いたるを求め、以て太尉軍諮祭酒、後將軍と為る。關、洛を平せるに從う。高祖の相國と為るに、又た府に隨いて遷る。宋臺の初に建つるに、令し書にて以て尚書令、加散騎常侍を為さしめんとせるも、又も讓りて受けず、乃ち侍中、特進、左光祿大夫を拜す。東歸を辭事し、高祖は之を戲馬臺にて餞し、百僚は咸な賦詩にて以て其の美なるを述ぶ。受命せるに及び、開府儀同三司たらんとせらるも、辭讓せること年を累ね、終には以て受けず。永初三年に薨ず、時に年七十六。侍中、左光祿大夫、開府儀同三司を追贈せらる。


(宋書54-3_寵礼)




劉裕の孔靖へのリスペクトが半端なかったであろうことが伺える。16歳年上ってことは、もはや先生みたいなもんだよなぁ。会稽でのアドバイス、確かにものすごい重要でしたものね。これに劉裕が従っていなかったら、さてクーデターはどうなっていたのか。あるいは一地方反乱として踏みつぶされていた可能性もあった?


劉裕としては、どうしてもこの大恩人に一品官クラスの待遇を与えたかったようだが、そこまで上り詰めることを他ならぬ孔靖自身が嫌がっていた印象である。開府儀同三司(=三公クラスの幕府を開設することが許される)周りのやり取りには、そんな印象もうかがえる。


なお孔靖を戯馬台にて送別しようという時のはなむけの詩会で作られた作品、文選に二句残っている。



謝瞻しゃせん

 風至授寒服 霜降休百工

 繁林收陽彩 密苑解華叢

 巢幕無留鷰 遵渚有來鴻

 輕霞冠秋日 迅商薄清穹

 聖心眷嘉節 揚鑾戾行宮

 四筵霑芳醴 中堂起絲桐

 扶光迫西汜 歡餘讌有窮

 逝矣將歸客 養素克有終

 臨流怨莫從 歡心歎飛蓬

謝瞻は謝晦しゃかいの兄。謝晦の権勢が高まることを危惧していた。そんなひとの残した詩の大意は「寒さ募る中催された宴は楽しいものであったが、この宴が終わると孔靖様は会稽に去られてしまう。ああ、なぜ私は彼と共に会稽に戻れないのだろう」。将来の謝晦の破滅も込みで見ると冬の寒さが身に染みる感じの内容。



謝霊運しゃれいうん

 季秋邊朔苦 旅鴈違霜雪

 淒淒陽卉腓 皎皎寒潭絜

 良辰感聖心 雲旗興暮節

 鳴葭戾朱宮 蘭卮獻時哲

 餞宴光有孚 和樂隆所缺

 在宥天下理 吹萬群方悅

 歸客遂海嵎 脫冠謝朝列

 弭棹薄枉渚 指景待樂闋

 河流有急瀾 浮驂無緩轍

 豈伊川途念 宿心愧將別

 彼美丘園道 喟焉傷薄劣

「寒さこそ厳しいが、いま世の中には劉裕様の改革により古の善き時代が取り戻されつつある。それは喜ぶべきことでこそあるものの、わたくしも本来は此度の孔靖様のように、故郷での隠棲を望んでいる。それを叶えきれないのが、なんとも悲しきことである」みたいな内容。まぁ謝霊運だしね……。



なお戯馬台の話は、他にも王弘おうこうの弟、王曇首おうどんしゅが誰よりも早く詩を書き上げた、と言うエピソードも残っている。その詩は現存しないけど。早けりゃいいってもんじゃない、ゾッ☆

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