江夷2  挙止善きひと  

劉裕りゅうゆうが宋王に任じられたころ、

五兵尚書ごへいしょうしょとなった。

更に皇帝に即位すると、

掌度支しょうどしに。


いちど義興ぎこう太守となったのだが、

病を得たため離職。

しかしすぐに吏部尚書りぶしょうしょとなり、

また吳郡ごぐん太守となった。


劉義符りゅうぎふが吳で殺されたのを受け、

江夷こういは劉義符のもとに赴き、

哭礼をなした。

それから間もなくして、

兄の病を理由に離職。


とは言え、江夷のことを

放っておいてはもらえない。

すぐに丹陽尹たんよういん吏部尚書りぶしょうしょに。

散騎常侍さんきじょうじに加えられ、

尚書右僕射しょうしょうぼくしゃにもついた。


江夷はその身なり美しく、

かつその振る舞いも礼に適うもの。

各着任先でも、和をもって貴しとし、

簡素な指示出しなどで部下らからは

讃えられていた。


やがて湘州しょうしゅう刺史に任じられたのだが、

任地に赴く途中で病にかかり、死亡。

48 歳だった。


遺命は葬儀を豪華にせぬこと、

職務にては倹約を旨とすべきこと、

であったという。




宋臺初建,為五兵尚書。高祖受命,轉掌度支。出為義興太守,加秩中二千石,以疾去職。尋拜吏部尚書,為吳郡太守。營陽王於吳縣見害,夷臨哭盡禮。又以兄疾去官。復為丹陽尹,吏部尚書,加散騎常侍,遷右僕射。夷美風儀,善舉止,歷任以和簡著稱。出為湘州刺史,加散騎常侍,未之職,病卒,時年四十八。遺命薄斂蔬奠,務存儉約。追贈前將軍,本官如故。


宋臺の初に建つるに、五兵尚書と為る。高祖の受命せるに、掌度支に轉ず。出でて義興太守と為り、秩中二千石を加わるも疾を以て職を去る。尋いで吏部尚書を拜し、吳郡太守と為る。營陽王の吳縣にて害さるを見るに、夷は臨みて哭し禮を盡くす。又た兄の疾を以て去官す。復た丹陽尹、吏部尚書と為り、散騎常侍を加えられ、右僕射に遷る。夷は風儀美しく、舉止に善く、歷任せるに和簡を以て稱さること著し。出でて湘州刺史と為り、散騎常侍を加わるも未だ職に之かずして病にて卒す、時に年四十八。薄斂の蔬奠、務むに儉約の存せるを遺命す。前將軍を追贈され、本官は故の如し。


(宋書53-13_徳行)




ずいぶんすっきりとした立ち振る舞いの人だったのでしょう。前にも触れましたが、これだけほうぼうで求められた人なんだから、有能ではあったんでしょうね。ただ惜しむらくは後半病がちになってしまっていたことかしら。それにしても劉義符のために表立って慟哭できた人ってどのくらいいたんでしょうか。徐羨之たちが宮中で幅をきかせている中、それをできるかどうかは気骨の太さが問われそうです。

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