袁豹2  国太夫人の扱い 

劉毅りゅうきのもとで副官を務めつつ、

御史中丞に移る。


ところで鄱陽県侯である孟懷玉もうかいぎょくの母、

だん氏に鄱陽國太夫人の称号を

与えようという議論があった。

これが審議にかかり、認可される。


だが袁豹えんひょうの論としては、

婦人の爵位は夫に関連させるべきであり、

孟懷玉の父の孟綽もうしゃくが列卿であるならば、

その妻は列侯の母でなく列卿の妻として

扱うべきであると主張。


孟懐玉の官位に準じて檀氏の称号を

決めようとした劉柳りゅうりゅう徐羨之じょせんし何邵かしょう

罷免するべき、と言う論を提出した。


孟昶もうちょうが死ぬと、その代りに丹陽尹たんよういんに。


411 年、部下が政府に納める金を

着服したことにより、降格。


劉裕りゅうゆうの相談役となり、

間もなく副官に昇進した。




尋轉撫軍司馬,遷御史中丞。鄱陽縣侯孟懷玉上母檀氏拜國太夫人,有司奏許。豹以為婦人從夫之爵,懷玉父大司農綽見居列卿,妻不宜從子,奏免尚書右僕射劉柳、左丞徐羨之、郎何邵之官,詔並贖論。孟昶卒,豹代為丹陽尹。義熙七年,坐使徙上錢,降為太尉諮議參軍,仍轉長史。


尋いで撫軍司馬に轉じ、御史中丞に遷ず。鄱陽縣侯の孟懷玉の上母の檀氏の國太夫人を拜せるに、有司に奏じ許す。豹は以て婦人に夫の爵に從いたる為し、懷玉の父の大司農の綽を列卿に居せるを見、妻を子に從うを宜しからず、奏じ尚書右僕射の劉柳、左丞の徐羨之、郎の何邵の官を免じ、詔して贖論を並ぶ。孟昶の卒するに、豹は代りて丹陽尹と為る。義熙七年、上錢を徙しむるに坐し、降じ太尉諮議參軍と為り、仍いで長史に轉ず。


(宋書52-18_政事)




なんかめっちゃ面白そうなことが書かれてそうな気がするんだけど、自分の漢文力及び宋書取材力じゃうまく掘り切れない。とりあえずこんな感じなのかなーと言うところではあるんだけど。孟氏の進退は晋書でも宋書でも、なんだか見えづらくされてるんだよなー。後の世で貴顕っぽく扱われてるけど、この時期は孟昶の自殺があったからなのか、やや腫れ物扱いっぽいし。うーん、謎。


つーか劉柳だよなー。彼の動向ももう少し見えやすくしたい。結構重要な動きしてそうな気がするんですよねこの人。

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