袁湛3  渭陽の情    

陳郡ちんぐん謝氏の謝重しゃじゅう琅邪ろうや王氏の王胡之おうこしの孫。

そう言うわけで自らの親族に対して

傲慢な振る舞いをしていた。


親が親なら、子も子である。

謝重の息子(謝晦しゃかいの兄)、謝絢しゃじゅん

かれは袁湛の甥にあたるのだが、

おおやけの場で袁湛を侮辱。

すると袁湛、きっと顔を引き締め、言う。


「お前にはもとより

 渭陽いようの情など期待すべきでもないな!」


この言葉に謝絢、すっかり恥じ入った。


418 年、官職にありながら死亡。40歳。

左光祿大夫,加散騎常侍を追贈された。


後に劉義隆りゅうぎりゅうが即位すると、

袁湛は皇后袁齊媯えんさいぎの父であったことから

更に侍中、左光祿大夫、開府儀同三司を

追贈した。敬公と諡された。





初,陳郡謝重,王胡之外孫,於諸舅禮敬多闕。重子絢,湛之甥也,嘗於公座陵湛,湛正色謂曰:「汝便是兩世無渭陽之情。」絢有愧色。十四年,卒官,時年四十。追贈左光祿大夫,加散騎常侍。太祖即位,以后父,追贈侍中、左光祿大夫、開府儀同三司。諡曰敬公。


初、陳郡の謝重は王胡之の外孫にして、諸舅への禮敬に闕を多くす。重が子の絢は湛の甥なれど、嘗て公座にて湛を陵し、湛は色を正して謂いて曰く:「汝は便ち是れ兩世に渭陽の情無きなり」と。絢に愧じる色有り。十四年、官にて卒す。時に年四十。左光祿大夫,加散騎常侍を追贈さる。太祖の即位せるに、后の父なるを以て、侍中、左光祿大夫、開府儀同三司を追贈さる。諡して敬公と曰う。


(宋書52-16_言語)




渭陽の情


春秋時代。晋の文公とその甥である秦の康公の仲が非常に良く、また文公が秦の擁立によって文公を晋の統治者として送り出そうとした時にも付き従った。そこからおじと甥との関係が非常に良いことのレトリックとなった。

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