謝裕4 その死に慟哭す
かれはいちど都令史、
ところて令史クラスでは通常、
単独で皇帝の霊廟に
参拝できなかったようである。
しかし邢安泰、この禁を犯し、単独で
皇帝が祀られているみたまやに参拝。
このことを
任命責任ということなのか、
謝裕も合わせて処罰を受け、
無官のまま職務に従事することに。
412 年、
415 年には改めて尚書右僕射に。
間もなく尚書左僕射となった。
謝裕、とにかく折り目正しいひとだった。
家もきれいに掃除が行き届いていた。
そんな謝裕の喉にタンが絡んだとき、
家の中に吐き出したくはなかったので、
側仕えの服に吐き出した。
もっとも、その後すぐに側仕えには
洗濯ための休みを取らせるのだが。
謝裕様のタンを服に受けるのは、
お休みをいただくチャンスだ!
……ということで、皆が謝裕のタンを、
争うように受けたそーである。
なので頼み込み、次男の
謝裕の娘をめあわせた。
そんな謝裕は 416 年に死亡。47歳だった。
葬儀の日、劉裕は自ら出向き、
激烈に慟哭。
弟の
「謝裕殿の死が、とても耐えきれん。
お前も似たような状態なのだろうな。
役目を果たそうとは思うものの、
油断すると、ふとかのお方への思いが
あふれ出て止まらんのだ。
あぁ、我々はこれからどこへ
向かえばいいというのだ!」
坐選吏部令史邢安泰為都令史、平原太守,二官共除,安泰以令史職拜謁陵廟,為御史中丞鄭鮮之所糾,白衣領職。八年,遷領軍將軍。十一年,轉右僕射,仍轉左僕射。景仁性矜嚴整潔,居宇淨麗,每唾,轉唾左右人衣,事畢,即聽一日澣濯。每欲唾,左右爭來受。高祖雅相重,申以婚姻,廬陵王義真妃,景仁女也。十二年,卒,時年四十七。追贈金紫光祿大夫,加散騎常侍。葬日,高祖親臨,哭之甚慟。與驃騎將軍道憐書曰:「謝景仁殞逝,悲痛摧割,不能自勝。汝聞問惋愕,亦不可堪。其器體淹中,情寄實重,方欲與之共康時務,一旦至此,痛惜兼深。往矣柰何!當復柰何!」
選じたる吏部令史の邢安泰の都令史、平原太守と為り、二官を共に除かれ、安泰の令史の職を以て陵廟に拜謁せるを、御史中丞の鄭鮮之に糾さる所に為りたるに坐し,白衣にて領職す。八年、領軍將軍に遷る。十一年、右僕射に轉じ、仍いで左僕射に轉ず。景仁が性は矜嚴整潔にして、居宇は淨麗、唾の每、唾を左右の人衣に轉じ、事の畢うるに、即ち一日にて澣濯せるを聽す。唾を欲せる每、左右は爭い來て受く。高祖は雅し相い重んじ、以て申し婚姻す。廬陵王の義真が妃は景仁が女なり。十二年に卒す、時に年四十七。金紫光祿大夫を追贈され、散騎常侍を加わる。葬ぜる日、高祖は親しく臨み、之に哭すこと甚だ慟なり。驃騎將軍の道憐に書を與えて曰く:「謝景仁の殞逝せるは悲痛摧割にして、自勝せる能わず。汝は惋愕の問いを聞き、亦た堪うべからざらん。其の器體に淹中せる情寄は實に重く、方に之と共に時の務めを康んぜんと欲せど、一旦、此に至らば、痛惜せること兼深なり。往矣たるは柰何ぞ! 當復たるは柰何ぞ!」と。
(宋書52-10_傷逝)
邢安泰はのちに
そして謝裕死後の劉裕の手紙、劉裕が家族ぐるみで謝裕の世話になったっぽいことが書かれていますね。良く文意はつかみ切れていないんですが、この人を喪ったことが本当に悲しくて仕方ないってのは伝わってきます。
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