王誕3  達人、逝く   

いちど皇帝の側仕えに任命されかけたが、

劉裕りゅうゆうの要請から劉裕の相談役となり、

間もなく副官となった。


劉裕のために誠心誠意仕えたため、

劉裕も王誕おうたんを大いに頼った。

南燕なんえん討伐の軍が出征した時には

斉郡せいぐん太守となった。


盧循ろじゅん建康けんこう襲撃に失敗し、

逃げ出そうとする時。

劉毅りゅうきが追撃したい、と申し出てくる。


この期に謀反でも

企んでんじゃねえだろうな?

そう疑う劉裕、結論を下せない。

そこに王誕が、こそっと耳打ちする。


「劉裕様の功績は既に

 南燕平定、盧循撃退と、

 もはや過去にも類を見ないほど

 高まっております。


 これらの功績を、わざわざ他人に

 分け与える必要などあるでしょうか?


 確かに劉毅殿は劉裕様と

 低い身分から立身され、

 ひとときには名声を

 相半ばとしておりました。


 しかし、先の敗戦にて、

 劉毅殿の名声は地に落ちております。


 ここで改めて、かれに功績を立てさせ

 挽回の機会を与えることもありますまい」


劉裕、この進言を採用した。


411 年、王誕を吳國ごこく內史に。

が、間もなく母が亡くなったため、離職。

412 年には劉毅征伐の軍が起こり、

喪中であった王誕にも参加してもらう事に。

この時劉裕は将軍号を与えようとしたが、

王誕、それを断り、無冠喪服姿で従軍した。


この頃、諸葛長民しょかつちょうみんの動きが怪しかった。

劉毅征伐にあたっては太尉府の留守を

守らせこそしたものの、

その心がそわそわしていたのは明らか。

劉裕も、落ち着いてはいられない。


劉毅平定ののち、王誕が帰還を申し出る。

劉裕、王誕に言う。


「諸葛長民のやつは、

 俺が狙って来ていると思ってるだろう。

 どうにか奴の疑念を払拭できんか?」


王誕は答える。


「諸葛長民は、私が劉裕様より厚恩を

 賜っていると存じております。


 となればここは、私一人で出向き、

 かれを安心させてみせましょう。


 そうすれば劉裕様も、はかりごとを

 落ち着いて進められましょう」


それを聞き、劉裕は笑った。


「お前の勇気は孟賁もうほん夏育かいく以上だな!」


この工作があったため、

劉裕は無事に諸葛長民を陥れ、

殺すことができたわけである。


413 年に死亡。39 歳だった。

それまでの功績をたたえ、

作唐さくとう県五等侯を追封された。


子は王詡おうく

宋の世子舍人となったが、夭折した。




除員外散騎常侍,未拜,高祖請為太尉諮議參軍,轉長史。盡心歸奉,日夜不懈,高祖甚委仗之。北伐廣固,領齊郡太守。盧循自蔡洲南走,劉毅固求追討,高祖持疑未決,誕密白曰:「公既平廣固,復滅盧循,則功蓋終古,勳無與二,如此大威,豈可餘人分之。毅與公同起布衣,一時相推耳,今既已喪敗,不宜復使立功。」高祖從其說。七年,以誕為吳國內史。母憂去職。高祖征劉毅,起為輔國將軍,誕固辭軍號,墨絰從行。時諸葛長民行太尉留府事,心不自安,高祖甚慮之。毅既平,誕求先下,高祖曰:「長民似有自疑心,卿詎宜便去。」誕曰:「長民知我蒙公垂眄,今輕身單下,必當以為無虞,乃可以少安其意。」高祖笑曰:「卿勇過賁、育矣。」於是先還。九年,卒,時年三十九。以南北從征,追封作唐縣五等侯。子詡,宋世子舍人,早卒。


員外散騎常侍に除せられるも、未だ拜さざるに高祖は請うて太尉諮議參軍と為し、長史に轉ず。心を盡くし奉を歸し、日夜懈まず、高祖は甚だ之に委仗す。廣固に北伐せるに、齊郡太守を領す。盧循の蔡洲より南走せるに、劉毅は追討を固求せど、高祖は疑を持ちて未だ決さず。誕は密かに白いて曰く:「公は既に廣固を平らげ、復た盧循を滅したり。則ち功は終古を蓋し、勳は二と無く、此くの如き大威、豈に餘人に之を分くべけんや。毅と公は同じく布衣より起ち、一時には相い推したるのみなれど、今、既に已に喪敗せば、宜しく復た功を立たしむるべからざらん」と。高祖は其の說に從う。七年、誕を以て吳國內史と為す。母の憂にて去職す。高祖の劉毅を征せるに、起ちて輔國將軍と為るも、誕は軍號を固辭し、墨絰にて從行す。時に諸葛長民は太尉留府事を行せるも、心は自ら安んぜず、高祖は甚だ之を慮う。毅の既に平らぐに、誕は先に下らんことを求むらば、高祖は曰く:「長民は自ら疑心有せるに似たり、卿は詎んぞ宜しく便ち去るべし」と。誕は曰く:「長民は我の公が垂眄を蒙りたるを知りたり。今、輕身にて單り下り、必ずや當に以て虞れたる無きを為さん。乃ち可なるを以て其の意を安んぜん」と。高祖は笑いて曰く:「卿が勇は賁、育に過ぎたり」と。是に於いて先に還ず。九年に卒す。時に年三十九。南北の從征を以て作唐縣五等侯を追封さる。子は詡、宋世子舍人たるも早卒す。


(宋書52-6_胆斗)



いちいちかっこいいエピソードを残して、颯爽と去って行った感じがあります。劉裕としても王弘より王誕にずっとサポートしてもらいたかったろうね……。ただ官位的には、厳然たる家門の差があった感じですね。きつい。


孟賁、夏育

戦国時代で剛力無双の英雄として知られていた人物。ほかに任鄙じんへん烏獲うかく慶忌けいきと言った人物が同じく無双の豪傑として呼ばれていたそうである。後の世ではその武勇を三国魏の曹仁そうじんや成漢の李流りりゅうと比較されており、一方でその胆力を三国魏の程昱ていいくと比較されている。と言うことは王誕、劉裕にとっての程昱的存在であった、と言えるのかもしれない。

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